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子ども時代を回想した本は数多くありますが、背景の特異さと卓越した描写力とで異彩を放つ本に出会いました。『闇の中で』は、アイルランド独立戦争という歴史の流れに翻弄されたある家族の物語であり、大きな出来事の後になって生まれた少年が、家族の古い秘密を知っていく物語でもあります。 一番初めの回想は、「私」が五歳の頃のこと。「この世ならぬもの」を感じる力を持った母が、「階段の途中に何かがいるから」降りていけない、と怯える場面です。このいかにもアイルランド的な母の能力が受け継がれたらしく、八歳になった「私」は墓地で、死んだ妹に出会います。でもその話を聞いた兄は、即座に「おまえどうかしてるよ。(そんな話を聞かせたら)母さんは狂っちまう。何も言うな。おまえは何も見なかった」と弟に言い聞かせるのです。 幼い頃の「私」は、「この世ならぬもの」だけでなく、「独立戦争の炎の中に姿を消した父さんの兄さん」「悪魔と寝たために狂ってしまった男」等、伝説の人物達に囲まれていました。けれどやがて「私」は、大人達から得た手がかりを一人で少しずつ組み立てていき、彼らの本当の姿を知るようになります。独立のために戦った英雄だったはずの伯父は、警察に通じていた裏切り者だった…いや、裏切り者は別の男で、伯父は濡れ衣を着せられ仲間に殺された…伯父を殺すように命じたのは、母方の祖父だった…だが、両親は結婚したとき、それを知らなかった…などと。「悪魔と寝た男」は伯父を実際に処刑した人物で、そのせいで正気を失ったらしい事もわかります。本当に警察に通じていた裏切り者は、母の妹の夫だったという事も。 「家族の秘密を知る」というと、主人公が突然誰かに秘密の全貌をあかされて苦しむ、という筋書きを想像しがちですが、この本で描かれる「秘密」には、現実って本当はこうだろうな、と思わせる強いリアリティがあります。殺した者の近親と殺された者の近親が複雑に入り交じり、一つの家族となってしまっていたにも関わらず、一人一人はそれぞれ過去のごく一部しか知らない…長い年月をかけてひとかけらずつ事実を集め、推測を繰り返してきた「私」以外には、「全貌」を知る者がいないのです。そして、ただ一人「全貌」の重みを背負わなければならなくなった「私」の心の支えとなった兄と父の姿は、感動的です。「おまえは何も見なかった」と言い切った、兄の健全さ。「事実」を知らぬまま「裏切り者の弟」と呼ばれる事に黙々と耐え、家族を守るために働き続けた父の誠実さ…。 もしかすると、『闇の中で』という邦題も相まって陰惨な本を想像されるかもしれませんが、全体の印象は決して暗くはありません。子ども達や教室の様子を描く筆にユーモアがあり、一人一人の家族へのまなざしには深い愛情が感じられます。何より、薄い美しい布を一枚ずつ重ねて一つの模様を浮かび上がらせるような攻勢の巧みさと、描写の美しさとが光る本なのです。(上村令) |
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