ゆがめられた記憶

マーガレット・マーヒー
清水真砂子訳/岩波書店

           
         
         
         
         
         
         
     
☆『ゆがめられた記憶』ってどんな話?

 主人公のジョニーは19才の青年。9〜14才の頃、姉のジェイニーンと一緒にテレビのCMに出ていた。5年前、姉とその友人ボニーと3人で崖っぷちで遊んでいた時、姉は翔び立つように崖から落ちて事故死し、ボニーも姿を消した。…あの時、たしかにジョニーは、歌もダンスもうまい姉に嫉妬していた。だけど、崖から姉を突き落とすようなことは、決してしなかったはずだ。でも、もしかして…? あれ以来、所在なく日々を過ごし、もてあまし者となっているジョニーは、はっきりと思い出せないあの瞬間の真相をつきとめようとボニーを探し求める。
 真夜中、ショッピングセンターの駐車場をさまようジョニーは、赤い帽子の老女ソフィーに出会い、「あなたよねえ。お茶でもどうぞ」と知己のように話しかけられて、ふらふらとついていった。
 不潔な臭い部屋で猫たちと住むソフィーはアルツハイマーだった。ジョニーのストライプの上着がソフィーの亡夫の若い日の服に似ていたために、彼女は最愛の人と過ごした日々の記憶の中で生き始めた。そんなソフィーを見捨てることができず世話するうちに、ジョニーの中の何かが変わっていく。うす汚く気味わるかったソフィーがいとおしくなり、彼女の発する一見意味のない言葉が生きて伝わるようになるのだ。惚けた老女に偏見を持たずに関わっていくことによって、心に傷を持つ若者が救われていく。そしてボニーとの再会。…事件の真相は?

☆この本を読んで感じたこと

 一読して翻訳が少し固いのが気になった。もう少し若者言葉を取り入れてみたらと思った箇所がいくつかあった。このことは、いま一番この物語を読んでほしい読者層に、とっつきやすい形で提供するという点で重要だと思う。
 この物語の背景を見てみると、郊外のボニーの養親の住居の前のクルミの木、ジョニーがマックスの車から降ろされた、そして最終章で再出発の時もう一度そこに立ってここから出直そうと思った安全地帯の植え込み、それから姉の死んだ崖…そのくらいしか自然が出てこない。背景に流れているのは、ウォークマンから流れる音楽、タップダンスの靴音、そして多分場末のコンクリート・ジャングルのような町。そんな都市砂漠の中で、姉の死に負い目を感じ傷ついたジョニーの心を癒していくのは、意外にもアルツハイマーの老女だった。始めは目をそむけたくなるようだったソフィーのいる所がジョニーのオアシスになっていく。それも僅か数日の間に。常識的に考えると人生経験の豊かな老女の行動が若者を癒していくはずなのに、自分のことすら満足にできないソフィーを放っておけなくて仕方なく助けようとしたジョニーが逆に癒されていくという、人と人とのふれあいの不思議さ、絶妙さ。これはジョニーに挫折経験があったからこそ起こった奇跡だろう。しかもソフィーがジョニーを受け入れたきっかけは、ジョニーの(多分、最新流行の)ストライプの上着が、その昔のソフィーの恋人の上 着とそっくりだったという偶然の一致のおかしさ。この作者の他の作品と読み合わせると、まさに彼女こそ魔女!という感じだ。
 しかしこの物語では作者一流の魔法を使わず、現実の中で完結する形で描いたのがよかった。痴呆になった人の人格を描くことは難しい。しかもそんな人にさえ傷ついた人の心を癒す力が備わっていたとは! これはすごい小説だ。
 その上隣には失ったと思った心の恋人、ボニーもいた。ボニーは昔のジョニーのもっていた心やさしい天性を再発見していく。「ボニー・ベネディクタ、君のエンジニアはどうも見込みがなさそうだね」というジョニーの言葉から、彼にはボニーを取り戻す自信もありそうで、ポジティヴな結末が予感される。この物語では、消したくても消えない記憶に悩むジョニーと取り戻したくても薄れていくソフィーの「記憶」という言葉と、そして、主人公の成長と変化…「変身」がキーワードだろうか。

 この物語を読んで私はポーラ・フォックスの『片目の猫』を思った。暗闇の中で猫を撃ってしまったのではないかと悩む十一才のネッドは、老いさらばえて死に至る老人との交流の中でアイデンティティーを確立していき、両親との間にも本当の理解が生まれる。ここでも死に瀕した老人への行動や思いや告白が少年を救うのだ。
 フォレスト・カーターの『LITTLE TREE』で、町へ出て傷ついた少年の心を癒したのは故郷の大自然と慈しみ深い祖父母の愛だった。しかし都市砂漠で育ったジョニーの心を救うのは、もはや大自然でも、肉親の愛でもない。受け身ではなく自らの能動的な行動によって挫折から立ち直って行く若者の姿には、作者の祈りがこめられている。しかもこんな大きなテーマを、大上段に構えず、さりげなく、いかにも自然に描いているのは彼女の手腕と言えるだろう。まさに現代の若者へのメッセージだと思う。
 この他に私たちは同じ作者の『危険な空間』『足音がやってくる』の二作品を読んだ。どちらも、いわゆる幽霊の物語で、好みによって評価が分かれた。
 私はさらに『めざめれば魔女』『贈物は宇宙のカタログ』を読んだ。これらの中でマーヒーは、まさに蛹から蝶が生まれようとする瞬間のような少女や少年の姿を綿密に描いている。
 これらの作品から私が感じた共通項は意外と常識的で受け入れやすいものだつた。
 1 幸せは身近な所に…物語はHappy End.
 2 理解し合うことが愛を育み、深める。
『LITTLE TREE』のおばあさんはいみじくもこう   いっている。「理解は愛」と。
 3 魔女の存在が信じられていた過去を持つ精神風土の中での発想か、魔法使いの話が多い。その魔法は信じたくなるような魔法。考えてみれば人と人との出会いほど不思議なものはない。恋人同士の出会いの瞬間に感じるインスピレーションは   まさに魔法ではないだろうか。(山本明子
「たんぽぽ」16号1999/05/01