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一読後、ジョニーのいる索漠とした都会の風景やソフィーの住む汚濁に満ちた家の中の克明な描写が息苦しく感じられた。しかし、二度、三度読み返す内にそこから、おかしさ、ユーモア、人間への暖かい眼差しが浮かび上がってくる。「やはり、マーヒーだ」と思う。 十九歳のジョニーは姉の転落死の記憶から逃れられない。その記憶は五年もの間、ジョニーを侵し、自暴自棄にさせたり、無力感に陥らせたりする。姉の死に自分が手を貸したのではないかという疑いがあるためだ。事故の現場に居合わせた姉の親友、ボニーに真相を確かめようとして果たせず、真夜中、無人の駐車場で老女ソフィーに出会う。アルツハイマーを患い、記憶や判断があやしい彼女はジョニーを昔の恋人と思い、家に連れ帰る。汚れきり、猫屋敷と化した家に住むこのソフィー像は老いのリアルさに加え、人間的魅力を残し、秀逸だ。 成り行きでつきあったものの、逃げる機会を窺っていたジョニーだが、ソフィーの状況を知るにつけ、放っておけなくなる。彼の中に埋もれていたやさしさが顔を出す。 記憶は訂正され、救いにもなることがある。やっと出会えたボニーは記憶にあった神秘性を失い、姉と共にかつてタップダンスのスターだったジョニーをいじめたネプも小心な男にしか見えない。ジョニーにとってダンスが生来、掛け替えのないものだと気付かせてくれたのも、ポニーの記憶である。ようやく真相を確かめ、自分の生を掴まえたと感じるジョニー。 現代の都市で、自分の存在を「プラスチックのように」無価値だとみなす若者が、社会に見捨てられて生きる老女と関わる。マイナスと見えたものがプラスとなり得、若者に自分を肯定して生きる力を与えるまで。重いが、またひとつ世界を見る目を拡げてくれる作品である。(高田 功子)
読書会てつぼう:発行 1996/09/19
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