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一九八八年のカナダ図書館協会賞を受賞した作品。 心に悩みをもった主人公が非現実の世界にはいり、そこでの出来事をつうじて現実の悩みを解決していくという型のファンタジーには、メアリー・シュトルツの『鏡のなかのねこ』やウィリアム・メインの『闇の戦い』などがある。主人公がはいっていく世界は、古代のエジプトだったり、竜のすむ世界だったりと様々だが、本書のパトリシアは三十五年前の過去の世界にはいる。 パトリシアは十二歳の少女で、両親は離婚しようとしている。離婚の相談のため、パトリシアはひとりで夏休みを、叔母さんの家族と湖のコテージで過ごすことになる。テレビのニューズキャスターをしている、美人で活動的なお母さんルツとは対照的に、パトリシアは料理がすきで内気だ。なかなかいとこたちのなかにもはいっていけない。いとこたちにおいてきぼりにされたひとりぼっちの午後、お客用の小さな丸太小屋で、パトリシアは床下にかくされていた古い懐中時計をみつける。時計はパトリシアのおばあさんナンのものだった。 時計のねじを巻くと、パトリシアは三十五年前のコテージのそばに立っていた。そこには、十二歳だったお母さんがいた。一家でコテージにきていたルツは、家族のだれからものけ者にされ、つらい夏を過ごしていた。パトリシアはルツをなぐさめ、ルツと友だちになりたいと思う。パトリシアは自分と同じ孤独なルツがいる過去の世界に夢中になる。現実の世界で、お母さんとお父さんとどちらと一緒に暮らすか決めてほしいと、ルツがコテージを訪ねてきたとき、パトリシアは自分の気持ちをお母さんにぶつける。そしてはじめてお母さんの涙を見る。 パトリシアが過去にいられるのは、ねじを巻かれた時計が動いている間で、その間現実の時間は動かない。そしてパトリシアがいた過去の期間ははじめてルツを見てから仮装パーティーまでの二週間だ。ひとつ過去の扱い方として不満なのは、姿は見えないのにパトリシアが物を食べたり動かしたりできる点だ。 物語は過去の世界と現実の世界を往復しながら進む。しかしただとりとめなく往復するのではなく、なぜ時計が床下にかくされていたのかという謎を軸に、ナンとルツ、ルツとパトリシアの二組の母娘の姿を見事に浮き彫りにする。時計はナンが死んだ婚約者から贈られたもので、ナンはとても大切にしていた。時計は、現在のコテージにも写真がかざってある仮装パーティーの日になくなったのだ。ナンは死んだ婚約者の兄と結婚した。ナンがルツにつらくあたったのは、人生にたいする失望から攻撃的になることと、ルツに自分が信じる、いい結婚をする「善良なレディー」をおしつけようとしたからだ。インディアンの家をいたずらにおそったときにも、二人の兄はしからずルツだけをしかった。また、おとなしい妹はナンのお気に入りだった。そんな母に反発して、ルツは仮装パーティーの帰りにナンが落とした時計をかくしたのだ。 過去の世界で仮装パーティーが行われる前に、現実の世界ではナンがコテージに遊びにくる。離婚はルツのせいだというようなナンの言い方に、パトリシアは怒りを爆発させる。 ルツが時計をかくしたところで時計がこわれ、パトリシアは過去の世界へは戻れなくなる。もう過去の世界は必要ないのだ。大切な時計だとわかっていたが、パトリシアはナンに時計を返さなかった。ナンが帰った後、今度はコテージにルツが現れる。少女時代のルツに非常な親しみを感じていただけに、一緒に暮らしてほしいと言わないお母さんにパトリシアは悲しくなる。しかし、怒りにまかせてパトリシアが自分をぶつけたとき、ルツの本心がわかる。愛しているのに、パトリシアのほんとうの心がわからなかったのだ。返しそびれてしまったナンの時計は、パトリシア同様ずっとルツの心の重荷でもあった。時計は二人の「罪の秘密」と言いながら、ルツとパトリシアは時計をナンに返す相談をする。 ルツをはなれ、パトリシアがいとこたちの同情だけでなく尊敬も得たいと、得意の料理で自分を主張する場面は小気味よい。ルツと似ているいとこのケリーとパトリシアの対比や、小道具としての写真の使い方もうまい。時代を超越した湖やアビの鳴き声も印象深い。母娘の気持ちのつながりを考えさせる一冊だ。(森恵子)
図書新聞 1991年3月2日
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