ゆきむすめ

内田莉さ子再話 佐藤忠良画

福音館書店

           
         
         
         
         
         
         
    
 ずいぶん前のことになりますが、内由莉さ子さんに「子どもの頃どんな絵本が好きだったの?」と聞かれ、「色々あるけれど、『シナの五にんきょうだい』とか『ゆきむすめ』とか…」と、何気なく答えた所、「そう、『ゆきむすめ』を読んでくれたのね」という返事が返ってきました。驚いたのなんの。だって、『ゆきむすめ』が内田さんの再話だとはその時まで知らなかったのですから。子どもの頃は、誰の文章だからとか誰の絵だから 読むということはありませんでした。「面白いかどうか」で、何度も読んだり一度読んだだけで二度と手に取りもしなかったり、が決まっていたような気がします。
 私が『ゆきむすめ』に出会ったのは小学校五年 生のことでした。クラスのパーティーの出し物に短い劇をやろうということになって、ネタさがしの為に絵本を片っ端から読んでいた時、この作品に出会ったのです。
 初めて本を開いた時のことは、場所や時間も含め、よく覚えています。なんて不思議で、なんて悲しいお話なんだろう。私はすっかり絵本の中に入り込んでいました。劇にしてみたいけれど難しそう…とは思うのですが、あきらめきれずに何度も何度も読み返し、迷っ たあげく結局とうとうあきらめたのでした。(劇の方は、絵本『おんちょろちょろ』を元になんとか無事終えました。蛇足ですが、確認の為に福音館に電話をしたら『おんちょろちょろ・こどものとも167 号』は、私の記憶とは違い、ハードカバーになったことはないとのことでした!)
 私は小学校の高学年になっても絵本を読むことが好きで、面白ければどんな本でも読んでいました。でも最初の出会いから数十年ぶりに、大人になってから再び『ゆきむすめ』のぺージを開いてびっくり。記憶の中の本と目の前の本が違うのです。あれ、もっとぺージ数があっていろいろな絵があったはずだけど? ゆきむすめはもっとずっとひこみじあんな顔をしてなかったっけ? …つまり、軽の中でゆきむすめのお話は勝手に 膨らんで勝手に場面を増やし、少女の顔は絵本に描かかた絵とは違う顔に変化していたようなのです。
 子どもの頃の感動を思い出すと、この簡潔で暖かい文章と骨太な絵には、子どもの想像力を限定せず、子どもに自分なりの物語世界の構築を許す『間』というか『深み』があるのでしょう。今になると、それがしみじみと良く分かります。(米田佳代子
徳間書店 子どもの本だより「絵本っておもしろい」1994/11,12