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この作者の作品はいつもソフトな雰囲気の世界に、読者をソフトに誘ってくれる。例えば、第八話「明るく穏やかなところ」は、父親の会社を継いで営々と努力した男が、親子二代の念願だった古風な海浜のホテルに泊まり、そこで不思議な少女に会い、わが名を呼ばれて驚くが、やがてその少女が幼なじみだったことに気づく。そして、明け方、「銀髪痩身面長」で年齢も主人公とほぼおなじくらいのご婦人にさそわれ、「不意に宙に浮かぶと、光の中に吸い込まれて」いくのである。 これは作品の形式がわかりやすいので、紹介したのだが、出来ばえは「百翁昔噺」「幻談」「『うちの人』」「夢の波」などが上かもしれない。「幻談」は「または『雲を笑いとばして』その後」とあるように、後日談として恩師の死が語られる。「『うちの人』」は妻の方が片肺の夫婦の、お互いを愛し、友と芸術を愛した生涯が紹介される。つまり、この、死が必ず現れる十六話は、作者が現在までの人生で出会い、恩義を感じ、強い影響を受け、感銘した人々に対する賛辞と言えよう。あらすじを紹介した第八話など、若者や子どもは一種のゴースト・ストーリーとして楽しむかもしれない。中年の働き手は自分と比較できるリアルな短編として読むかもしれない。死に至る人間の全行程の意味をさぐりながら、それを読者それぞれの立場から読めるように語る……そこが、すごい。(神宮輝夫)
産経新聞 1997/09/02
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