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夕ごはんまでの五分間、バベダはお父さんに「パパのこと、ママとあたしたちのこと」を話してとせがむ。小さい子にまだそれほど長くはない家族の歴史を語るのは、どうもこれがはじめてではないらしい。バベダはつい黙っていられなくて、先回りして口をはさむ。 話す父も聞く娘も、そしておそらく台所でときおり聞き耳を立てている母も、この話が気に入っているのだ。「家庭の幸福」とはこういうものなのだろう。しかし、幸福はそうたやすくは手に入らない。 お父さんは郵便屋さんで、配達先の理髪店の女の人に、心ひかれていた。女の人が待ちつづけていたのはブラジルへ行った男からの手紙で、その男の子どもをすでに宿していた。しかし、ようやく届いた手紙は、別れの手紙。ショックで倒れた女の人を、お父さんは介抱し、はげまし、二人は仲よくなって、やがて赤ちゃんが生まれる。その赤ちゃんは、少し大きくなって手術を受けるまで、目が見えなかった。それでも何の不安もなかった。見えなくても、お母さんやお父さんが見えた。カミナリも、ちくりと刺したハチもよく見えた。そういうあれこれがあって、いまここにひとつの家族がある。血のつながりは父と娘の間にはない。娘には「障害」があった。それがどうした? と、この本はやさしく問いかけている。(斎藤次郎)
産経新聞 1996/09/27
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