ラッキー・ドラゴン号の航海

ジャック・ベネット

斎藤健一訳 福武書店 1990


           
         
         
         
         
         
         
         
    
 ベトナム難民に関係がある作品といえば、ジョン・ロウ・タウンゼンドの『ハルシオン島のひみつ』が頭にうかぶ。受けいれを拒否されたベトナム難民の「ボートピープル」のニュースを直接のきっかけとして、タウンゼントは難民を受けいれる側の立場から作品を書いたが、『ラッキー・ドラゴン号の航海』は、ベトナム難民その人たちの物語だ。おもくるしい作品なのかなと初めとりつきにくかったのだが、読みはじめたら一気に読んでしまった。冒険物語、そしてなによりも勇気ある人間の物語なのだ。
 クアンは十四、五歳のベトナム少年。クアンの一家は、サイゴンの郊外で小さな雑貨店をやっていた。家族は父さんと母さんと十二歳の妹のリと、タンおじさん、ビンおばさんと中国人の乳母のアースーンの七人だ。タンおじさんはベトコンとの戦いで片足をなくし、ビンおばさんも夫と娘を失った。ベトナム戦争は北ベトナムの勝利に終わり、南北ベトナムは統一されベトナムは一つの社会主義国家となる。新政府は南ベトナムの人々の再教育にのりだす。クアンの一家も資本主義者だとされ、店はとりあげられ家族はばらばらに再教育センターや新経済地帯へ送られることになる。
 父さんは家族がばらばらになるのをふせごうとラクジャーで漁師をしているおじいさんのもとへ逃げる計画をたてる。ここからクアンたちの息詰まる逃避行がはじまる。逃避行は三段階からなる。第一はラクジャーまで、第二はラッキー・ドラゴン号をうばうまで、第三は船での航海だ。どの段階にも危険がともなう。ラクジャーまででは、タンおじさんと組みになって出発したクアンは、北からきた教師たちに告げ口をしているといううわさの友だちにあってしまう。協同組合に没収されたラッキー・ドラゴン号をうばうには、クアンたちは桟橋の見張り小屋と川向うの機関銃を無事に通りぬけなくてはならない。
 船をうばい海にでたのはいいが、船を動かした経験のある者は一人もいず、しかもラッキー・ドラゴン号には航海用の計器も海図も無線もない。ここで力強い味方が登場する。この船で働いていて船で眠りこんでしまったク隊長だ。ク隊長はクアンたちと同行してもいいという。クアンたちは、はじめにマレーシアに、後にオーストラリアに向かう。マレーシアからオーストラリアへの航海中、ドラゴン号は海賊船、台風、サメ、飢えと次々に災難におそわれる。歯切れのよい文章も手伝って、冒険物語として堪能できる。
 数々の冒険とともにこの作品のもうひとつの柱となっているのが、クアンたちがみせる様々な人間性だ。危機に直面して、クアンはけっして勇気と希望を失わない。みんなが絶望するなかで、ラッキー・ドラゴン号をうばいかえす方法を考えたり、船をオーストラリアに向かわせたのもクアンだ。なかでも、すべてをあきらめきったような無気力なマレーシアの難民キャンプの様子をみて上陸を拒否するところや、とっさの判断で海賊船のスクリューに網をからませて動けなくするところなど、印象的だ。
 クアンや陽気なク隊長や人が変わったように強くなるビンおばさんとは対照的に、人間のもろさをみせるのがクアンの父さんだ。店を失い、祖国を追われ、父さんはとうとう船の上で心を病んで死んでしまう。逃げ場のないせまい船上で展開される人間性のドラマは忘れ難い。
 オーストラリアの作家ジャック・ベネットは、難民となるベトナム人の苦しみを理解してほしいと願ってこの作品を書いたという。日本でも、二年前に中国人の乗った船が日本沿岸につぎつぎにたどりつき偽装難民として大きな問題となったし、昨年末には緒方貞子さんが国連難民高等弁務官に選ばれた。難民の問題を考えるうえで、クアンたちの苦しみにも目をむけたいと思う。(森恵子)
図書新聞 1991年2月2日