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都を焼き尽くした応仁の乱は、一四七七年東西両軍の退陣によって都での戦乱は治まったが、この乱をひき起こした畠山政長・義就は、山城・河内で地元の民衆を苦難の渕に沈めつつ、一四八五年山城の国一揆によって追い出されるまで争い続けた。 本書は、義就方の軍勢が南山城の国人狛氏の居城を攻める一四八三年から国一揆が解体する一四九三年に至る戦乱の中を生き抜いた民衆・国人の姿を捉えようとする。舞台は木津川・宇治川がはぐくんだ山城三郡の地である。此処はまた南都(奈良)から五里、京から五里の交通の要衝でもある。 物語は、義就方斉藤彦次郎の軍勢が狛城を攻め落とすところから始まる。斉藤彦次郎・狛城主狛秀・興福寺大乗院大僧正尋尊など実在の人物と共に、天涯の孤児で斉藤の足軽隊に組み込まれていた九朗やイ助・秀の娘織姫などが登場する。 戦乱期・社会の変革期には、人間はそれぞれ姿を曝け出す。 両軍の争いを避けて山あがりした農民や行商尼など千人を超える人々の、あたり前に、強かに生きる姿があり、それらの人々に一命を救われ、己が生き様を考えようとする九朗、賞金稼ぎに身を落としたイ助、など下層の民衆の様子も語られる。 日々権力争いに明け暮れる幕府管領と共に、法相宗の教学に功績大と称される興福寺大僧正尋尊も、この戦乱の中では山城の寺領の年貢の上がり具合には関心を持つが、百姓の暮らしには無関心の俗物として描かれる。 将軍義政は銀閣の造営に余念がなく、妻富子は関銭の収入以外に関心がない。この中で、戦乱・長陣は「万民迷惑」として両軍退去を求める途を探り、国中を行脚する狛秀の生き様が胸を打つ。 当時の幕府・寺院勢力の動きは、深刻な経済不況の中で政権をめぐって離合集散する今日の政治家の姿を思い出させる。(吉田 弘子)
読書会てつぼう:発行 1999/01/28
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