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多発する子どもの暴力事件に対して、家族の機能や父権の回復を云々する風潮がある。子どもの問題行動が露出すると、必ずといっていいくらいに登場する論議なのだが、だんだん現実味が薄れてきているのも事実だ。もはや父親も家族も、子どもの援護装置として機能しえない現実が進行している。 アメリカを舞台にしたこの作品は、そんな現在をシンボリックに描いて、しかも世界が逢着している問題群に爽やかで新鮮な方向性を示唆しているようだ。 黒人だけの学校に白人の少女レーナが転校してくる。主人公の少女マリーは、レーナと友だちになる。レーナは母親をがんで亡くし、マリーの母親は家を出て、自分を見つけるために世界各地を転々としながら父子に葉書を送ってくる。母の不在が二人を結びつけているのかもしれない。 オハイオ大学の特待生で大学の教員をしている父親は、市民権運動で白人からひどい目にあったので、娘がレーナと付き合うことを嫌う。二人は周囲の偏見を全く無視して、お互いの違いをぶつけ合いながらも理解しあおうとする。 終章、レーナは父親の性的虐待を回避するために妹を連れて家出する。しっかりと自己主張し、自立を目指す十二歳の少女たちの潔さが爽快だ。家族幻想や父権などもぶっ飛んでしまう。 同世代の感性を巧みに捉えた訳文も魅力的。(野上暁)
産経新聞 1999.02.29
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