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船や航空機などで方位を測定するときに使う羅針盤。いろんな物事を判断するときに、心の中にも羅針盤があったとしたら、心強いですよね。そんな頼もしい羅針盤が、実は誰の中にも存在するんだと確信させてくれた本があります。 『りんごは赤じゃない』(山本美芽著/新潮社)。これはごく普通の公立中学校に勤めていた美術教師、太田恵美子先生の授業を一九九九年から二年間にわたって取材したノンフィクションです。二〇〇一年に退職するまで、その卓越した指導力で多くの生徒が毎年各展覧会で入賞を続け、中には美術の教科書に採用された作品や、ユネスコの国際コンクール入賞、読書感想画中央コンクール最優秀賞を受賞する作品も! こう書くと、美術の指導法の本みたいですが、限られた一部の生徒だけでなく、いわゆる問題児といわれるような子までが、それぞれに自分自身を見つめ直し、心の羅針盤を見つけ出してゆく、この本は、さながら「航海」のような授業の記録です。 「りんごは赤じゃない」というのは、太田先生が子どもの先入観をなくすときに投げかける言葉。週に一時間しかない授業で、戸外へ雑草のスケッチに延々と出かける。それから、発砲スチロールと粘土で野菜や果物のレプリカ作り。ものをよく観察する習慣がついたあとでは生徒たちが選ぶ絵の具の色数が圧倒的に増えてきます。まず先入観をなくし、自分の目でものの本質を見る力をつけさせる、そのうえで自分だけの考えの土台を作り、表現する学習をくりかえすことで、ゆるぎない自信が生まれ、人間性が成長していくのです。美術は絵を描く時間という常識にもとらわれません。例えば、「将来の夢」というテーマ。生徒は一枚の絵を仕上げるまでに、調査研究にニカ月以上かけます。資料を写し、感じたことを書き、写真や切り抜きに至るまで貼ったスケッチブックは何冊分にもなります。その道のプロにも話を聞き、自分の中でふくらんだイメージを絵にするのに一カ月。ここまでくると皆、宿題でもないのに、家でも絵を描きたくて仕方がなくなるそうです。 生徒を迎える美術室は花と緑を絶やさず、生徒たち全員の作品を自費で揃えた立派な額に飾り、まるで一流ホテルのような雰囲気。美術室に足を踏み入れるたび、自分は大切な存在だと感じてほしいと、休み時間から生徒を迎えるために立って待ち、生徒がひとり来るたびに明るい声で迎え握手する姿。実は太田先生が教職に就いたのは年齢制限ギリギリの三十六歳。十四年間の専業主婦生活の後、三十五歳で離婚し、息子二人を抱えながらの採用試験チャレンジでした。人から認めてもらえない悲しさはそれまでの人生でいやというほど味わったという先生。とにかくどんな些細な事でも子どもたちをほめ、生徒がいい加減な態度を見せたときには「だめ」ではなく「いやだ」と一人の人間としての感情を伝えます。その根底には、子どもを「自分でものごとを判断できる人間」として尊重し、接していこうという心があるのです。 「描く力」の土台に「ものを見る力」があり、この「ものを見る力」こそ、人が生きていく上での洞察力につながる…、ヒントに満ちた光る一冊です。(飯島智恵) 芝大門発読書案内「自分だけの羅針盤」 徳間書店「子どもの本だより」2003年3-4月号 より テキストファイル化富田真珠子 |
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