老人と子供の民俗学

宮田登

白水社


           
         
         
         
         
         
         
     
 昔話をはじめとして子どもの読み物には、おじいさんやおばあさん、つまり老人がよく登場する。働き盛りの父や母と違って、労働の現場から距離のある孫と祖父母には、どこか共通する心性があるのだろう。核家族化が進展するまでの日本では、家庭的には暗黙のうちに両者が支え合い癒し合い、社会的には老人から子どもへと貴重な暮らしの知恵を伝達してきた。この本では、すでに失われてしまった、伝統社会における老人と子どもの生活シーンや関わりを子細に検討しながら、両者の接点を探ろうとする。そしてそこから、高齢社会を迎えたわが国の老人の生きがいや、高度情報化社会に生きる子どもたちの現在に、様々な伝統的枠組みを提示して見せ、それがかえって新鮮であり刺激的でもある。
じつは私は、この本をインドネシアのバリ島に向かう機中で読み終えた。周知のようにバリ島は、急激に観光化が進んだ現代でもなお、伝統的な生活儀礼が暮らしの隅々にまでしっかりと根を下ろし、人々は忠実にそれに従って日々を過ごしている。今年は三月二十一日が、ニュピというヒンドゥー教の月齢をもとにした暦の新年にあたる日で、その数日前からバンジャールと呼ばれる寄り合いごとに、正月前の色々な儀式の準備が行われていた。ニュピの三日前の三月十八日は、私が滞在した村ではメラスティという儀式の日にあたり、バンジャールごとに寺院の備品や神様を浄めるために、村中の人々が正装して近くの海に向かった。誇らしげに正装した幼い子どもたちを先頭に、その行列は延々と続く。海辺では、特別に造られた祭壇の前で、村の長老と思われる老人たちの采配で厳かに儀式が行われ、その回りで幼い子どもたちが遊び戯れる姿が印象的だった。老人も子どもも一体となってそれぞれの役割を担い、大切な祭りや儀式を進めるといった光景は、かつて日本中どこにでもあったもので、そこに奇妙な懐かしさを感じた。バリ島では、この 本の著者が描く老人文化や、日本の伝統社会を支えてきた生活文化装置とほとんど共通のものが、今日でもあちこちに見られるのだ。 
かつて日本の伝統社会には、子ども組という組織があった。七歳から十三歳ぐらいか、あるいは十五歳ぐらいになって若者組に入るまでの間、そこで様々な技術を模擬的に習得した。道祖神のお祭りのように、親元を離れて子ども同士で合宿生活を送り、性的な知識などもそこで伝達されたりもした。「子供が自由自在に振舞えるような文化装置が、子供仲間あるいは子供組」であり、子どもたちに伝承されているものも彼らの創意工夫によって変化しているのだが、「近代以降の学校制度の定着化に伴って、学校の先生の指導ということが大きな影響を与えるようになる」と著者は言う。伝統社会が備えていた生活技術や社会的なトレーニングのシステムを、近代の学校制度は肩代わりすることが出来ず、それに代わった学校文化の一元化が従来のシステムを崩壊させてしまったのだ。学校という効率的制度による伝統文化のなし崩し的解体が、社会の治癒システムをも崩壊させてきたと見ることもできる。そして、かつての子ども組から若者組に参入する大切な年代に、今は高校受験で悩まされるといったことになる。著者は、「老人文化をはじめに論じ ていくうちに子供の問題がその射程の範囲に入ってきた」と述べるが、イジメなどといった今日的な問題群の所在を考える上にも、じつに示唆に富む論稿である。(野上暁