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「アメリカの女工哀史」と、本書を紹介されて、また、パターソンの世界が広がったと思うと同時に、二つの興味がわいた。パターソンがどんな製糸工女を描いたかということと、『ああ野麦峠』に見られるような日本の製糸工女とアメリカのそれとの違いである。 リディは貧しい農家の長女で十三歳、。父親は家出をし、そのため母親は精神を病んでいる。弟のチャールズとどうにかして畑を守ろうとするが、借金のため、リディはローウェルの紡績工場で働き始める。 機械のスピードがあがり、労働時間はどんどん長くなるなかで、リディは懸命に働き賃金も上がる。お金の亡者のようにリディが働くのは、借金をかえし畑と家族を守るためである。しかし、それが根底からつき崩されることになる。母親が死に、畑は売られ、一時手元にあずかった妹も、チャールズが世話になっている家族にひきとられる。ひとりぼっちになったリディには、つらい仕事だけが残る。さらに追い討ちをかけるように、監督に乱暴されそうになった仲間を助けたために、反対にリディは工場をやめさせられる。 リディは決して負け犬にはならない。監督にくぎをさし、故郷の青年の求婚もしりぞけ、ベッツィが話していたオハイオの大学へと旅立つ。 『ガラスの家族』『父さんと歌いたい』『もうひとつの家族』と、家族というものを追及してきたパターソンは、本書でも、リディと家族のつながりの上に、リディの人間としての目覚めを描いてみせたのである。 このテーマで、リディの敵を象徴する「クマ」の使い方は見事である。一家離散はクマから始まる。家に押し入ってきたクマをリディたちは撃退するが、これを機に、リディとチャールズはおいて、母親は妹たちを連れて伯父の家へ行ってしまう。 リディは試練の度にクマを思いだす。初めて織り機の前に立ち圧倒されたとき、「あのときは黒クマをにらみつけたじゃないの」と自分にいいきかせ仕事を始める。機械のスピードがどんなにあがっても、リディは機械をクマだと思って頑張る。「これをクマたと思おう…クマなら見さげてやれる。」 母親が入院し、妹を押しつけられ、畑も売られそうで不安なとき、夢にクマが現れ、クマは皆がだきあって避難している屋根裏まで飛びあがってくる。大切な家族も畑も失い、仕事までやめさせられたときにはクマの存在はますます大きくなる。「クマが勝ったのだ。家も、家族も、仕事も、名誉もうばっていってしまった。…クマにすべてをかっさらわれてしまった。」 「あらゆるクマをにらみかえす」ためリディは新たな一歩を踏みだす。「…今になって、クマはこのせまい心の中にいるのがわかった。このクマをにらみすえてやろう!」 アメリカと日本の製糸工女の違いだが、相違というよりも似かよっている点が目についた。始まりは十九世紀前半、アメリカの方が四十年ほど早い。アメリカの最初の織り物工場はフランシス・ガボット・ローウェルという人が自国で織り物を生産してはどうかと考えマサチューセッツ州に設立したもので、良家の娘たちにはイギリスへ留学する代わりに「ワーキング・ガール」として社会勉強ができ、リディのような貧しい家の娘には高賃金が保証される、憧れの職場だった。設立の場所にはローウェルの名前がつけられている。日本でも、政府によってつくられた富岡製糸工場には、新生日本の期待を担い誇りに満ちた士族の工女がいて、明治十年ごろまでは憧れの職場だった。また、リディに仕事を指導してくれたダイアナが参加していたような労働争議はアメリカでも日本でも起きている。妊娠してしまったために、工場をやめたダイアナや、咳が悪化したために貯金も使い果たし、それでもオハイオの大学行きの夢にしがみつくベッツィの悲痛な叫びなどは、日本にもあてはまる工女の悲劇である。アメリカの現代史の一端を描いて、本書は歴史物語として読むのもおもしろい。(森 恵子)
図書新聞1994年11月19日
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