リンドグレーン『わたしたちの島で』における
<休暇>と<住まい>

青木真理


鳴門教育大学研究紀要(教育科学編)第10巻 1995


           
         
         
         
         
         
         
    
(キーワード 児童文学、リンドグレーン、休暇、住まい、家族)


1.はじめに

 児童文学には休暇中の出来事を描いたものが多い。<休暇>は冒険、成長などを内包する興味深いテーマといえるだろう。一方、休暇ほどは目立たないにしても住むところを求め、そこに住まう<住まい>というテーマもまた多くの児童文学に散見できる。本論ではその両方のテーマが現れていると考えられる作品『わたしたちの島で』をとりあげ、二つのテーマを手がかりに臨床心理学的観点から作品を論じることにしたい。
 『わたしたちの島で』はスウェーデンの児童文化作家アストリッド・リンドグレーンが1964年に発表した作品である。リンドグレーンのの想像力の縦横無尽さ、たくましさは、読む人に強い印象を残すが、その想像力に圧倒されるのか、評論は成り立ちにくいようである。そこで本論はリンドグレーン論の試みという側面を持つ。
 リンドグレーンは子どもの生活物語とでもいうべき作品と、幻想的な作品という、非常にトーンの異なる2種類の作品を書き分けてきた作家である。『わたしたちの島で』はそのなかでは生活物語に分類されうるが、他の生活物語と異なる点は、主人公は家族のメンバーのひとりひとりであり、なかでも父親も子どもたちと同様に主人公として扱われている点である。『長くつしたのピッピ』や『やかまし村の子どもたち』『名探偵カッレくん』といった1940年代から50年代にかけて次々と発表された生活物語は、子どもを主人公にすえ、子どもの世界に焦点をあわせるものであり、おとなも登場するがごくまれであり、しかもあくまで主人公の親として、脇役としての登場であった。その点で『わたしたちの島で』はリンドグレーンとが初めて試みた家族の物語であったと思われる。
 児童文学に親を主人公として登場させ、児童文学のなかで家族全体をとりあつかうための手段として、作者は父親を幼児性を残した育ちきらないおとなに仕立てた。そうすることによって子どもの視点から家族全体を眺め渡すことが可能になった。父親は父親の<子ども性>を通じてひとつの家族物語のなかに組み込まれ得たのである。
 さらにもうひとつの工夫が<休暇>である。<休暇>は日常を離れた時間・空間であり、そこではおとなも子どもに帰ろうと思えば帰れる。<休暇>という設定を行うことによって父親のなかの<子ども性>が非常に鮮明に浮かび上がることになり、同一平面上で家族個々人を扱いつつ同時に家族という単位をも扱うことができるようになっているわけである。ではまず本作品の<休暇>について他作品との比較を行い考察することにする。

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