わたしはアリラ(Arilla Sun Down)


ヴァジニア・ハミルトン

掛川恭子訳 岩波書店 1985(1976)

           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
    
 十二歳の<月の娘>アリラの家族はインターレイシャルで、すぐれて目立つ一家である。先祖の血と文化に敬意を払い、体の中の磁石がたえずアメリンド(アメリカンインディアン)の土地に向いている<太陽の石>父さん。現代的な美しい黒人の母さん。アメリンドの「形」を身にまとい、カリスマ性を持つ兄<天翔ける太陽>ジャック。アイデンティティをしっかりと打ち立てている個性的な家族の中で、アリラだけが「わたしはだれ?」と叫び続けている。ユニークな家族は、必ずしも互いに理解しあった親密な関係を結んではいないし、アリラは自分に君臨するジャックの影響から逃れることができない。
 一方で、アリラは幼いころ、<仮面の>ジェームズという賢老人と親しくし、無意識のうちにアメリンドの民族集団の物語をたくさん手渡されていた。ある日、ジャックの落馬事故をきっかけに「太陽が落ちた」ことを象徴的に受けとめたアリラは、アメリンドという民族集団の歴史・自分の家族の歴史を語る<言葉の護り手>の役割を、自分の真のアイデンティティとして認識するようになる。
 平行文化の抱える問題を、常に作品の核に据えるアメリカの黒人女性作家ハミルトンの自伝的な要素が強い作品である。個人のアイデンティティが民族集団といかに深い関わりを持ち得るかが、叫びのようなアリラの語りに示される。少女の成長・民族集団と個のつながりという二つの大きなテーマが、ここにひとつの方向性をもって統合された。
 自分につながる多くの命や先祖の文化に向き合い、常に人種を確認しながら生きるアメリカの子どもたち。児童文学が、子どもの成長を基軸に平行文化の問題に取り組むとき、過去の血を受け継いで未来に生きる子どもは、自分だけの物語を紡ぐ。そしてその上で、民族集団と家族と個をめぐる、ひとりの子どもの問題は、普遍性を獲得するのである。(鈴木宏枝
           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
    

『ユリイカ』1997年9月号