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ともかく難解な本である。それはことばのモザイクのような文体や、物語進行中にしばしは主人公アリラの過去回想が挿入されることにもあるだろうが、それよりもアリラ一家の種族、血族の問題に、我々単一民族には理解し難いものが多くあるからだと思う。しかし二読三読するうちに、主人公の、また家族それぞれの自己確認のありようがよくみえてきて、なかなかの味わいある本となる。 この作品は父方のインディアン(これは後にアメリカ人によってよばれるようになった名称で作中の彼らはアメリンドと自称している)、母方の黒人の血をひく十二才の少女アリラの一人称で語られていく。アメリンドの居留地であろうか、貧しいクリフビルから、アメリカ中西部の小さな町、母親の生まれた町に移り住んだアリラ一家は、アメリカ人として生きるか自分の種族の血の中に生きるかのはざまでゆれている。 ![]() 一方、最もアメリンドの血を誇示しようとしていた兄は、真の自己確認ができていず、真実を求めて迷い続けてきたアリラの前で、大怪我を機に挫折をみせる。兄ジャックのミドゥルネィムが「天翔ける太陽」であったが、ここでやっと得た「太陽をおとしたアリラ」というミドゥルネィムがこの作品の原題『Arilla Sun Down』であることにも深い意味あいを感じさせられる。 またこの作品には、語り部ジェ-ムズが部族の物語を後世までアリラに語りつがせようとする場面があり、やがてアリラは自分でも気づかなかった血への劣等意識(P204 我が家のことを作文に書きたがらないところに顕著に現れている) を捨てて、ついに書くことの意味を知る (P265)過程には、作者ヴァジニァ・ハミルトンの創作態度が暗示されているような気がする。 ハミルトンは母方の祖父がかって逃亡奴隷であり、「私生活をそのまま小説に書きこむことはしない」とあとがきにある。しかし、父親から「心の痛みをかくすため血をもてあそんでいるだけ」 (P 356)と指摘された兄ジャックのつっぱりにおける幻想と、妹アリラが求め続けてきた真実。この中には作者の心の複雑な過程が織りこまれているように思え、自己の血の中にあるものを語りつがねばという熱いものすら感じられる。 なお肌の色による差別の問題も、外からの目、意識的な論理ではなく、かつての逃亡奴隷という苛酷な歴史をもつその血族の中からの力強さで、叫ばずして作中に語られていると思う。その意味でも深く考えさせられる本であった。 (持田まき子)
児童文学評論23号 1987/07/01
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