特集◆ <成長テーマ> を問い直す
大人も成長する
―外国児童文学で「成長」を考える―

三宅興子

           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
     
 子どもは成長して大人になる
 何か経験したり、行動することによって、子どもは、成長の階段を一段のぼる
 子どもは大人から教えをうける

 こうしたことを自明の理としてきた子どもの本の世界に、「成長したくない子ども」や、「子どもっぽい大人」が描かれるようになったのは、そんなに昔々のことではない。一九六〇年代の終りから七〇年代のはじめにかけて少しずつ姿をみせはじめたように思われる。特に「離婚」をテーマとした物語のなかで、大人という支えをなくして成長せざるをえなくなっていく子どもや、大人役割をになうことを余儀なくされる子どもが描かれることで、大人・子どもの区別がつかなくなったこともそうした印象をもった理由であろう。
 ジュディ・ブルームの『カレンの日記』(一九七二)とN・クラインの『私はちいさな小説家』(一九七五)をはじめて読んだ日のことが思い出されてくる。父母の離婚という子どもにとって、その事実を認めたくない出来事を、作者たちは、主人公をしっかりした女の子にすえ、子どもには、事実を認める以外に方法がないことを納得させて、解決してみせた。そのことに、驚きとともに疑問をもったのである。『私はちいさな小説家』では、主人公のおばあさんがボーイフレンドとつきあっているエピソードを入れており、ついでに、青春=恋愛の公式も破ってしまった。
 十年ほど後、ドイツで出版されたエルフィー・ドネリーの『わたしはふたつにわれない』(一九八二)になると、主人公がしっかりした女の子であることは同じであるものの、大人の弱さ、だめさを、積極的に描こうとしており、その意図が明瞭に出すぎているきらいがある。ティーネ、女の子、十一歳、母親アンゲーリカ、父親カレ、弟ティム七歳という家族構成で、別居していた父親が学校帰りのティーネをいきなり、外国旅行に連れ出し、帰国するまでの父娘の物語である。

 いままでカレは、むすめのほおをたたいたことは一度もなかった。そしていまもたたきはしない。でも、カレの手はたしかにふるえている。ひどいやつだ、とカレは思う。(中略)すべてがあべこべだ。ティーネがカレを思うままにしている。カレがティーネを、ではない。いやだいたい、だれかがだれかを思いどおりにするなんてことがあってはならない。だれもが自分以外の人間の主人ではない。(P85)
 ふん、おとなか。カレは、自分がおとなだとは、これっぽっちも思っていない。ものごとをすべてきちんとわきまえ、自分のすすむ道をちゃんと知り、責任をりっぱに引きうける。これがおとななら、カレはおとなでいたくない。おとなはばかげたことをしてはいけない。カレはばかげたことをしたい。おとなは、夜、まくらに顔をあてて泣いてはいけない。しかし、カレはときどき泣く。(P113)
 「おとなになればなったで、またちがったくだらないことをしでかすものよ。」とインゲ(註・旅行で知りあった女の人)がいう。「あのカレもあなたのお母さんも、まだ成長しつづけているの。背の高さじゃないわよ。頭の中と心の中。ねえ、ある日の朝、目がさめたらおとなになっていた、なんてこと考えられる?考えられないわよね。少しずつおとなになるのよ。」(P154〜155)
(以上、かんざきいわお訳、偕成社、一九八五より)


 ドネリーの描いた父親カレは、大人でありたくない大人であり、娘よりも幼い心情を吐露している。また、自由な生き方をしているインゲの口から出るのは、人間は少しずつ成長していくのであって大人という完成品はないという考え方である。ここには、八〇年代から九〇年代にかけて変容をとげてきた児童文学思想の結論(!?)が出されている。大人役割、男女役割、子ども役割、という「らしくなければならない」という規範の呪縛が、社会の変化、特に家族の変化によって、ゆるみ、もはや力をもちえない時代の到来である。
 規範が機能しなくなっているさまは、幼年文学にも及んでいる。やはりドイツのマンフレート・マイ作の「おとぼけアンナ」1〜4(一九八七〜九一)のシリーズである。
 小学二年生のアンナはパパ、ママとくらしている、第一巻『パパ、とりかえっこしない?』では、仕事が大変というパパに、アンナは、「学校だっておしごととおなじくらいたいへんなのよ。うそだと思うんなら、いちど、じぶんでいってみればいいんだわ。」(P10、ひらのきょうこ訳、リブリオ出版、一九九一より)と挑発し、役割交替する物語である。想像のつくように、学校も会社も、楽しいこともあれば、大変なこともあり、傷みわけのような結末となっている。第二巻『ママはお休み』は、時間のつかいかたが下手だとなじるパパに反発して、ママが休日をとり、パパが奮闘する物語、第三巻は人間関係がテーマ。第四巻では弟の誕生がテーマの物語と続いている。大阪府立夕陽丘図書館蔵書の裏に貼付されている返却票の記録をみると、切れ目なく貸し出されており、人気シリーズであることがわかる。アンナは、どんなときにも率直にものをいう。生まれたばかりの弟をみて、「この子、まるでさるみたいじゃない!」とはっきりいうし、いとこがくるというと「男の子って、たいていばかよ。ばかでいばりや。」と嫌悪をかくすことがない。もちろん、物語が進行するにつれて、アンナの 断定が少しずつやわらいでいくことになるのだが、「おとぼけ」どころか、大人の権威や立て前をものともせず、自分の眼を信じ、行動する強いアンナに共感の拍手が送られているのであろう。小学二年生には、小学二年生のまぎれもない人生があり、どこかはるかな到達点を目指す途中の半人前以下の子どもではないことが描かれる。――アンナは、人間として日々生きているのである。
 「等身大の人物を描く」といったいい方が、書評などでよく使われるようになったのは、ここ十年位であろうか。大人になりたくない大人の数が増えたとして、「ピーターパン・シンドローム」なるレッテルが使われるようになった時期と同じころかと思われる。また、「拒食症」という数としては多いとはいえない病気の名前が日常会話のなかで使われるといった状況も出てきた。成長して大人になることがプラス・イメージではなくなってきたのである。身近にいる子ども数人に大人になりたいと思っているかという質問をすると、二通りの答が返ってきた。イエスの場合、大人になると自分の好きなことができ、欲しいものが買えるといい、自由と経済的自立にあこがれていることがわかる。ノーの場合、大人はしんどい、責任があるからといい、子どもの方が楽できると考えていることがわかる。どちらも本音であろう。
大人・子どもというのではなく、本音で生きていくことのできる家庭や社会を求めていく、ドイツの両作品は、非常に教育的であったといえる。同じような意図をもっているとしてもそれを、フィクションとしてロマンテックに構成したのは、スエーデンのウルフ・スタルクによる『おばかさんに乾杯』(一九八四)である。十二歳の少女シモーネは、母親がその恋人とくらすため引っ越しをし、はじめて登学した日に先生から男の子のシモンとして扱われ、そのまま男の子として過ごすことになる。その日々のおかしな苦労と、死ぬために母親のもとにやってきたその父親、つまりシモーネにとっては祖父との交流が描かれる。母親は画家で自由人として、祖父は、死ぬ前に、妻とくらした島の家を訪ね、その家でチェロをひき、いよいよとなると友人をよんでオーケストラの演奏をきくという生き方の達人として登場させている。母親の恋人イングベはどこか間が抜けているものの信頼できる大人で、はじめ無視しようとしたシモーネのくらしに不器用ながら入ってきてしまう。男の子になりすまして困りながらも、それを楽しんでしまうシモーネも含め、一人一人が、その人らしく生きることを賛美し、祖 父の姿から自分の意志にしたがって自分らしく死ぬ準備をすることをすばらしいことであるように描出していく。
 女の子にも、男の子のような面があること、どれだけ仲がよくても、ゆずれないことがあること、自由な母親というものは、子どもにとって手ごわい親でもあること、――作品にはさまざまのメッセージと読みとれば読みとれるものが含まれている。行きがかりから、級友のイサクと競泳をし、二人とも死にそうな体験をしたことから、女の子であることがわかり、女の子に戻ったシモーネを、六〇年代までの作品であれば、「成長した」と書いたであろうが、作者は、「今また、変装しているような気持ちだった。今度は女の子に変わるのだけれど。」(P210)と書く。「あとがき」では、主人公のことを「大人へと成長していく道をあゆんでいる」(P236)と述べられている。確かにその通りであるのだが、女の子であるといって登学してきたシモーネをみて、打ちのめされている担任の先生にむかって発せられる次のようなシーンは、「大人への成長」と一般化するよりは、「シモーネという個体の成長」といってみたい気にさせられる。なぜだろうか。

 「怒らないでくださいね」わたしはつけ加えた。「きっといい子になりますから」
自分がまるで子どもをなぐさめている大人のような感じがしてきた。(P215、以上、石井登志子訳、福武書店、一九九二)


 シモーネは、どの大人たちとも対等の関係をもっており、もともと、「子ども」というレッテルでおさまるようなキャラクターでもない。自らの判断と好奇心によって、行動し、日々をくらしているのである。大人でも成長するのと同じように、シモーネも成長していく。
 スーザン・テリスの『キルト――ある少女の物語』(一九八七)は、一八九九年から物語がはじまる歴史物語であることもあって、シモーネの環境とは全く違い、主人公ネルを閉塞状況におく。十八歳のネルは家庭の事情で大学進学ができず、親のすすめる結婚を決意するにいたるが、結婚の日が近づくにつれ、食欲をなくし、キルトを作るのに没頭していくが、衰弱していく。未来に希望をもつことのできないネルの病気は、今日いうところの拒食症そのままである。作者は、ネルをかたくなに、心をひらくことのできない状況へと追いこんでいく。一針ずつ縫いこんでいったキルトの最後の一枚に自分の名前を刺繍したネルは、美しく仕上がった一年がかりのキルトを黒い塗料で染め、死のうとする。そのぎりぎりのところで、内なるエネルギーがこみあげ「死にたくない」と叫ぶ。
 母親の生活を見て育ったネルは、いつもいつも同じことを繰り返しているにすぎない母親の仕事や人生に否定的であった。親の決めた結婚が出来なかったネルにかわって妹がその結婚をすることになる。それも自分から希望してである。母親も、「母さんはボストンより、もっと楽で、苦労のすくない人生よりも、この人生を選んだの」(P207、堂浦恵美訳、晶文社、一九八〇)という。ネルは大学や、人のために働いたおばあちゃんへのあこがれを強くもっていた。家にいて安定を選ぶことと、外の世界に飛び出して冒険したいと欲することは、両者とも人間にとって基本的な欲求といえる。ネルがキルトのなかにと閉じこめようと、身をけずって注入した負のエネルギーは、はかり知れないくらい大きいものであっただろう。
 作者は、歴史物語の枠を組み、昔の少女の物語を語りながら、その実、現代においても普遍的なテーマである女の子の自己実現の困難さととり組んでいるのである。どれだけ意識のうえで拒否しようと、内なるいのちは、たぎり、出番を待っているといわんばかりの結末であった。
 これまでとりあげてきた作品群とアメリカの作家パトリシア・マクラクランの作品群とは微妙に違っている。大人と子どもを同一線上で描くことや、家族の問題を基礎において物語づくりをしていることは共通しているものの、思想として語られたものが、より人物の身についてきていることと、シンプルな文体から出てくる音や情景で織りなした世界がとても美しいことなどである。
 『明日のまほうつかい』(一九八二)は、みんなの願いをかなえるためにこの世にいる明日のまほうつかいと、その弟子のマードックとかしこい馬の三人組の活躍する短篇連作童話集である。たとえば、三作目の「あいうえおじいさん」では、「あくまのように、いやみで、うらみがましく、えこじで、おこりっぽい」(P53、金原瑞人訳、福武書店、一九八九)おじいさんと、ぐちばかりこぼしているモナのところに、その願いによってかわいくてやさしい女の子プリムローズがさずかる。かわいくてやさしいプリムローズはしかし、ネコのクリフォードにひっかかれたため、どなったり、なぐったり豹変する。

 「こうでなくちゃな」あいうえおじいさんがいいました。
 その日からというもの、プリムローズと、あいうえおじいさんと、モナと、クリフォードは、どなりちらし、わめきちらし、ぐちをこぼしながら、いつまでもしあわせにくらしました。(P65、67、前出)


 五作目の「かんぺきなバイオリン」では、完璧なバイオリンづくりをしたいブリスは試行錯誤し悩みが深い。妻のモードは、明日のまほうつかいの助言で夫が、「おまえはいいつまだ。すばらしいつまだ」といったとき、「わたしはかんぺきなつまかしら?」と質問してみる。ブリスは完璧な妻だったら、二人の間にまずいことがおこるとすべて夫のせいになるじゃないか、と答えてハッとする。

 「かんぺきなバイオリンをほしがる人間なんて」ブリスはゆっくりいいました。「いやしないんだな。ひどい音がでたら、ひいてる人間のせいになっちまうもの」
(中略)
その日からというもの、ブリスはもう、かんぺきなバイオリンなど作ろうとしなくなりました。そんなことは頭からおいだしてしまったのです。そして、バイオリンの先生がひどい音をだしても、にこにこしていました。そして二どと、みじめで、かなしくて、ふこうで、なんともやりきれない気もちになることはなくなったということです。
(P104〜105、前出)


 このように、ひとのありようを、そのまますばらしものだとさらりと表現していて、さわやかである。マクラクランは、『わたしさがしのかくれんぼ』(一九八二)『のっぽのサラ』(一九八五)『ふたつめのほんと』(一九八八)と家族とそこにいる子どもに焦点をあわせ、それぞれのありようを静かに、時に美しく表現した中長編を続々と刊行している。サラには絵、『わたしさがし』のキャシーには詩、『ふたつめ』のミナーには、チェロと、それぞれの主人公に自己を表現するにふさわしい「伴侶」とでも名付けたいような道づれを設定している。「人生」というよりは、「くらし」という言葉があてはまるような日々の出来事のなかで、手探りしながら、それぞれの構成員が、それぞれに、自分らしくくらしていこうとする。それでいい、と語りかけてくる。
一九九一年の『おじいちゃんのカメラ』には、ジャーニーとう名前の十一歳の男の子が、家を出ていった母親のことを思いながら、農業をしている祖父母とくらしている毎日が綴られている。その生活のなかで、何かというと写真をとるおじいちゃんのカメラが、前作の詩や音楽にかわって登場してくる。おじいちゃんは、家族の写真をとる。

「写真はいっしゅん時をとめて、そのままとどめておいてくれる。すばらしい時にしろ、ひどいことがあった時にしろ。おまえのママは、パパが家をでていってしまったあとには、ふりかえって見たとき、すばらしかったといえるようなことが、なんにもおこらなかったと思っているんだよ。すばらしいことは、これからさきにあると思っている。おきるのをまちかまえているちょっとさきのかどをまがったところで、ってな。ママは写真がよくわかっていないんだ。」
「ぼくたちにはわかっているよね。」ぼくがいった。
(P115、掛川恭子訳、偕成社、一九九四)


 ジャーニーは、「ぼくはふりかえってみるのって、大すきさ。」(P116、前出)という。おじいちゃんの撮る家族の記念写真は、過去をふりかえる大きい手がかりをジャーニーに残してくれている。「今」を止めてくれている写真は、過去に帰るというのではなく、今の今を生きる力となるのである。かつてのいい方である「未来への成長の夢」は、このような描き方で語られているのである。
 『潮風のおくりもの』(一九九三)での家族は、生まれてすぐに死んでしまったベイビーのことを気にしながらも、触れないように、触れないようにくらしている。そこは、夏だけ、人々がやってくるリゾートの島で、最後の船の出たあとその家族の戸口に、ソフィーという一歳の子が置かれたことから、物語ががはじまる。ソフィーを預ったことで家族のダイナミックスは変化していく。イノセントなソフィーをめぐって、島の人々も心をなごませていく。冬がすぎ、一番の船でソフィーの実母がやってくる。ソフィーは、家族みんなに愛されたという実績をもって島を去る。亡くなった弟のことを事実として見られるようになることで一家はなごむ。
 この作品でも、マクラクランは、小さい一人のソフィーの存在の重みを充分に伝える。これまでのレッテルを貼れば、「捨て子」であるソフィーをそのまま、それぞれの表現で愛し抜く。ネガティブとみえる状況を、そのまま受け入れることは、敗北主義(この言葉は、マクラクランを語るのに、ふさわしくないが)でもなんでもなく、負でもなんでもなく、そのままがそのもの、であることをうたいあげている。生きていくことには、悲しいことやつらいこともついてくる、うれしいことや、さまざまの発見もある――それが、くらし。
 大人の問題を、子どもの文学のなかで描きはじめた当初、作家は結果的に子どもの側に大きい負担をかけることで解決をはかろうとした。ダメな大人を強調するあまり、大人っぽくならざるをえない子どもを生み出してくることになった。九〇年代に入って、そこのところで無理をしなくてもいいのではないかと考えはじめたのである。
 こうしてみてくると、いわゆる大冒険をして成長するという十九世紀的な物語を、現代において発想し創作していくことが困難になったことがよくわかる。

 子どもも大人も成長する
 幸せは、未来にあるのではなくて、くらしや、物の本質の見方にある
 大人は子どもから教えられることが多い
*( )内年は、原作発行年
日本児童文学1995/09
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