アンジェリーク(前

 テレビゲーム産業は、巨大なパイに成長しているけど、実はまだ半分の大きさでしかない。何故なら、ゲームソフトの殆どは男の子をプレイヤーに想定して作られていて、女の子がまだまだ未開拓なのね。もったいない話やで、全く。作り手側の発想変革しだいで、もっともっと女の子を増やすことも可能な筈やのに。 でも、ロープレなんかをやっていると、女の子のプレイヤーは自分が排除されていると感じてしまうやろうことは分かります。
 まず主人公は男の子が多いし、彼の仲間に女の子がいたとしても大抵は回復魔法がお役目。まるで、会社という戦場から帰宅した夫のために夕食とお風呂を用意している妻みたいなもの。いくら一緒に冒険の旅をしていても、いつもいつも炊事係と風呂係じゃ、つまんないのは当然。攻撃タイプの女の子の場合も魔法攻撃に優れているというのが常道。様するに魔女ね。それに成長のスピード(特に強さや攻撃のエレメント)も男の子に比べて遅く設定されていることが多い。
 作り手側には男が多いので、無意識のうちに出てしまうのやろうね、女の子はこうあって欲しいとか、女ってのはこういうもんだ、が。
 そんな中、女性スタッフにより製作された女性のための初めてのゲームというウリで現れたのがこのソフト。

1995/09/27


アンジェリーク(後)


 このソフトのキャッチコピーは、「恋を選ぶか、女王の座か。すべては、あなたの心のままに」。
 究極の選択が恋と女王の座なのがすごい。男の子を主人公だと仮定したとき、恋と王の座の選択なんてあるやろうか? この二つは対立項やないもの。例えばドラゴンクエスト の主人公は恋愛結婚をし、王にもなる。どうして女の子の場合こうなるわけ? そうか、あれやね、結婚か仕事かってやつ。
 女性スタッフによる女性のためのソフトの内容が、見事にジェンダーによる性差別を反映している。
 女性スタッフはこのソフトを作るにあたってそんな選択肢が存在したのやろうか? そして「仕事」を選んだのやろうか?
 でも、このゲームにハマル女性は結構いて、売上はなかなかのようです。
 じゃ、やっぱり女はそうなんだよ、かと言えばこれが違っているみたい。彼女たち、この理不尽な選択を楽しんでいるのではなくて、そういう選択を迫るのやったら、権力の座を得ることなんか放棄して、九人の美形の守護聖から好みの男を選んで徹底的に恋に生きてやれってノリのもよう。
 つまりゲームの主旨を読み替えて、結局、恋愛において男なんて権力あるなしじゃなく、容姿でなんぼのもん、男は顔だぜ、ですね。

1995/10/04