イーハトーヴォ物語(前)
生前は殆ど世間に知られず、後に発見された宮沢賢治とその作品は、今や「日本の良心」とでも呼んでもいい存在となってます。彼とその作品を巡る研究書、論文、エッセーの数は、もはやそれらすべてに目を通すことなど、クラムポンにカプカプ笑われながら、雨ニモマケズ風ニモマケズに頑張っても不可能なほど。
何故、かくも多くの人々が彼とその作品に興味を持ったり信奉したりするのかは、興味のあるところ。恐らく、多くの作品が、未定稿のままであることも一因なのやろうね。つまり、彼とその作品に向かい合う人々が、自分の想いや思想を自由に投影できるから。そして、賢治を愛することが自分の良心の証しであったり‥‥。
このソフトは、彼とその作品を巡る、テレビゲームってメディアでは初めての作品やと思います。
ということは、彼とその作品を信奉したり、愛している人で、テレビゲームを嫌いやったり、知らない人は、このソフトに触れることで、テレビゲームの世界へ足を踏み入れてみるのもいいのやないかな。
宮沢賢治をネタにゲームを作るなんて!
とか考えず、賢治を愛していることは間違いないこのソフトの制作者たちに、「その解釈はちょっとちゃうんとちゃうか」とかチャチャを入れながらプレイするのも楽しいと思うよ。
イーハトーヴォ物語(後)
中古ソフト屋へ出向くと、このソフト値段があまり下がっていない。製作ロットが少なかったであろうことも考慮に入れても、発売から二年半過ぎて、このニーズはなかなかなもの。
設定を簡単に説明すると、イーハトーヴォ(賢治の心象風景としての岩手県)にやってきた旅人が、村人から賢治の話を聞いて興味を持ち、賢治が紛失した七つの手帳を捜し求めるというもの。一つ一つの手帳の探索過程が賢治の童話をなぞっていて、発見ごとにその童話のストーリーが語られ、このゲームをすれば、賢治の主要作品に接することができる。そうしたエデュティメントさが、親が子どもに与えたい良心的なゲームソフトとして、人気を支えているのかな。
けど、もしあなたが、一万円ほどするソフトを購入した限り、数十時間は遊びたいと思っているなら、これには手を出さない方がいいかもしれない。せやかて、クリアまで一、二時間もあれば充分なんやから。要求される謎解きが簡単すぎる(BGMはとてもいいけど)のやね。「偉大」な原作に寄り添おうとしすぎて少し腰が引けたってことでしょうか。けど、わざわざ別のメディアである小説から素材をいただくのなら、それをゲームの独自性でねじ伏せてやろうって気概はやっぱり欲しい。
そうした姿勢が、小説にもゲームにも刺激を与えるはずやからね。