年末商戦とはすなわち、ガキ向け商売の勝負の時。児童文学もこのときばかりは張り切って、クリスマス絵本なんかでバンバン商売をする。要するに私の本なんぞは棚の隅に追いやられる。
当然TVゲーム業界もここに照準を合わせていて、サターンはゲームソフト一枚をおまけに付けたし、プレステは、祖父母から孫へのプレゼントのために、ハードを入れる靴下を添付した。
そんな盛り上がりの中、ニンテンドウ64が送り出したのが『マリオカート64』。これはスーファミで人気があったシリーズのニンテンドウ64版。つまりタイトルとしてはなんら新しくない。
クリスマス商戦やから安定度のあるタイトルを出した?
ということなのかもしれへんね。けどそれだけやなくてハードの性能を世に知らしめようという、王者任天堂の誇りを賭けた勝負やないかと私は思う。
さして目新しくないタイトルとゲーム内容。けど、それがニンテンドウ64に乗っかると、どれほどバージョンアップされてしまうかを見せたい。
そのために任天堂は大盤振る舞い。なんと、コントローラーを一つおまけに付けた。私たちは強制的に二つのコントローラーを持たされる。ならば誰かを招いて対戦するしかない。プレステやなくニンテンドウ64を買ってしまった自分が間違った選択をしたのではないことを誰かに証明する機会が訪れた。
そして、嬉しいことにこのソフトはそれに応えてくれたのやね。
マリオ・カート64(後)
カーレースゲームで有名なのはサターンではセガラリー、プレステだとリッジレーサー辺り。アーケードのカーレースゲームの人気は不動なようで、昨夏のロンドンでもセガラリーに子どもが群れてたのを確認しとります。
これらに共通しているのは、リアルであること。レース場であれ、メガロポリスの高速道路であれ、その風景はどんどんリアルなCGになっていってますし、肝心の車の設定の細かさは殆ど実車並。それらのゲームはいかに現実に近づけるかに、心血が注がれている。で、その現実のほうはといえば、この国の道路事情ではその能力をとても発揮できないランクや種類の車が、それを手に入れるだけでその能力が発揮されるかのような幻想の元に購入され続けている。
つまり現実の側は幻想を求め、幻想(ゲーム)の側は現実(リアル)を求めるという究極(懐かしい言葉)のトートロジィ。それが平気で許される車とは、きっと男のとっての子宮なのやね。
ところがこの『マリオカート64』。こいつは男のそんなトートロジィや子宮回帰願望を認めません。まず車がカートなんやから。リアルもへっちゃっちゃもない。このソフトのルールは孤独な男の疾走ではなく、仲間(家族でも友達でも)との心和む一時の競争。要するにワイワイガヤカヤ。その環境を提供できるるハードはニンテンドウ64だと任天堂は主張する。美しい主張ではある。