機械の少年ピーノ(前)

 近ごろ人間とロボット関係が険悪になっている。ゲームの目的は、最新型ロボットのピーノを使ってこれを修復すること。
 けれど生まれたばかりのピーノは何も分からない。
 ピーノが起きたら、コントローラーを手放して画面を眺めていると、彼は、家にある様々なものに興味をしめします。しゃがんでボールを拝んだり、国語の本の匂いを嗅いだり。ボールは投げるものとか、本は読むものとかの学習をしてないですから。ほおっておいてそれを見ているだけでも楽しい。誰だって小さなころ絵本をなめたり、匂いを嗅いだりしたはずやしね。
 しかし、ゲームを進めたい欲望がムラムラと。プレイヤーは無垢なピーノに学習させるために、育ての親として拘わり始める。
 一つ目の課題はボールを遠くに投げること。偶然ピーノがボールを投げたらすかさず褒める。何故褒められたのか分からないピーノですが、喜びます(こっちも何だか嬉しい)。褒められたいピーノはボールを投げてみせることが段々増え、何度目かに、「ボールを投げる」を学習する。けれどもう、ボールの匂いを嗅いだりしなくなる(何だか寂しい)。その辺りの明確さは、まさにデジタルな子育てやけど、日常の本物の子育てにもそうした要素はあるよなあ、と改めて考えてしまいます。

1995/08/02


機械の少年ピーノ(後)

 して欲しい行動を偶然ピーノがしたら、すかさず褒める、が基本なのですが、ことはそう単純ではない。早く学習させたいからと、そればっかり褒めていると、彼は飽きてしまう。
 そして、褒めるという行為は当然ながら叱るという行為と連動していて、別の行動をしたら叱る必要が出てくる。褒めるより叱ることのほうが、どんだけ気分的にシンドイかが、たかがゲームをしながらも再確認させられます。指示しても指示しても、プレイヤーが望む行動を取ってくれないとき、腹立ちまぎれに、必要のないことまで叱っていてゾッとすることも。そうすると信頼関係が失われ、ピーノはプレイヤーの指示を全く受け付けなくなる。だもんで、ピーノに機嫌をなおしてもらおうと、今度は何でもかんでも褒める。と、彼は一体何をしたらいいのか分からなくなる。
 つまり、褒めどきと叱りどきをどう判断するかが難しいのやね。うー、デシタル子育ても、大変や。
 子どもたちはどんな気分でプレイしているのやろうか? 自分を親に見立てて、ピーノを理不尽に叱ったり、悪いことをしたら褒めたりしているのかもね。そして、言うことを聞かなくなったピーノを眺めながら、うなずいていたり。
 そんなことを想像しながらプレイするのもええのやないかな。

1995/08/09