ポケットモンスター(前)
ゲームボーイはカートリッジさえ取り替えれば、いつでもどこでもTVモニター無しにゲームが楽しめるハードとして八年前に登場。TVゲーム版ウォークマン。ただしウォークマンが音だけを再生すればいいのと違って、ゲームボーイはモニター画面も必要。手のひらサイズのハード上に設置されたそれは、たった五センチ四方のモノクロ液晶で、はっきりいって貧素。これって数年の命やないのかなー、と当時思ったのやね。だから後に参入した他社はカラー画面を採用したりした。けれど、結局ゲームボーイの一人勝ち、どころか現在もバリバリ現役で元気。次世代機だ、32ビットだ、64ビットだ、3Dだ、華麗なグラフィックスだ、なんて騒いでいる時代に、この『ポケットモンスター』はミリオンセラーとなり、昨年の売上本数三位をゲット。
ところでウォークマンは私的空間(一人で音楽を聞く)を公的空間(例えば電車の中)に持ち込み可能にしてしまった革命的なグッズ。つまり、他人の前で自分一人の世界に浸ることができる。公私の境界線の混乱の始まりやった。
一方、当初それと似た発想で出現したゲームボーイは、もう一つの要素を加味。通信ケーブルがそれ。おかげで友達のゲームボーイとの間でデータ交換ができるし、対戦プレイもできる。公的空間に私的空間を持ち込んだ後に、そこで閉じこもらずにコミニュケーションせよ! との宣言やね。それを最高質で実践したのがこのソフト
ポケットモンスター(後)
『ポケットモンスター』(通称ポケモン)の設定は、ポケモンを研究している博士から、それを収集してきて欲しいと頼まれ、様々な場所を冒険し、遭遇したポケモンを捕らえていくというもの。ポケモンの数は百五十種。こまめでありさえすれば簡単そうやね。ところがこのソフトは緑赤青の三種類ある。ストーリーはどれも一緒。違いはただ一つ。それぞれのソフトでしか収集出来ないポケモンがいる。たったそれだけのことで三本のソフトを買う子どもはまずいない。買える子が、それでポケモンを全て収集しても友達の尊敬は得られないやろうしね。
けど、全部のポケモンを収集したい。
集めることの快楽。それは私の世代だと野球カードで、十年ほど前ならビックリマンシール。要するにその欲望はいつの時代の子どもでも強固なんですが、それを『ポケモン』は見事にゲーム世界に具現化したのやね。
ソフトを一つしか買わない子どもたちが、全てのポケモンを収集するための手段はただ一つ。友達がプレイしている別の色の『ポケモン』からデータを通信ケーブルでもらうこと。
こうして、子どもたちはどのポケモンを交換するかで友達と駆け引きをする。これって、コミニュケーションのもっとも正しい在り方です。
ゲームは子どもを内向させる(させるときもあるやろうけど)という言説への反証の一つがここにあるのやね。