タクティクス オーガ(前)
RPGの源流の一つにトールキンの「指輪物語」がある。五十年代にイギリスで発表されたのですが、常勝国アメリカが初めて経験する泥沼のベトナム戦争時代の若者たちに、圧倒的に支持されました。
翻訳単行本で六巻にもなるこの物語に、自国のアイデンティィの初めての揺らぎに直面していたアメリカの若者が、引かれた原因の一つは、そこに完璧に近い別世界が構築されていた点でしょう。
言語学者であるトールキンは、物語の舞台となっている別世界の言語を創作していたし、登場する種族それぞれの歴史も作り上げていたし、登場人物それぞれのそれまでの人生もちゃんと造形していた。物語は直接語ってはいないけど、その背後にある確固たる世界は、読者の誰にも感じ取れたはずです。
このソフトは、そうした完璧に近い別世界をプレイヤーに想像させる、簡単でうまい方法を採用しているのやね。それは映画「スターウォーズ」が試みた、「この物語は、この別世界のエピソードの一つにしか過ぎない」ってやつ。「スターウォーズ」はエピソード4やったけど、これはエピソード7とのこと。となるとプレイヤーは勝手に、その背後にはもっと大きな世界が広がっていると想像してしまう。うまい! ひょっとしてルーカスもこのソフトの制作者も大阪人とちゃうか。と、勝手に想像するのだ。
タクティクス オーガ(後)
これは長い叙事詩の中のエピソードの一つだと宣言して、その背後に大きな別世界が広がっていると仄めかしても、そんなセコイやり口は直ぐに見破れますよね。でもこれは「ホンマにエピソードの一つだけなんと違うやろうか?」と気持ち良く思わせてくれる物語の深さがある。
ゲームとは良い意味で、現実からの逃避行為をさせてくれるものなのやけれど、これ、なかなか逃避させてくれない。もちろん舞台は別世界ではあるけど、そこに繰り広げられる物語はコテコテの現実に極めて近い。勧善懲悪やないの。お約束通りに悪がいて、それをやっつける設定にもかかわらず、主人公たちええもん組からも、権力欲や嫉妬により裏切る者が出てくるし、なんぼ正義の戦いでも、戦いそのものに疑問を抱く者もいる。主人公が尊敬してやまない人物は、戦いの果てに燃え尽きてしまう。しかもこの人物、エピソート5である前作「伝説のオウガバトル」で重要だったキャラ。つまり前作で彼を好きだったプレイヤーは、彼の末路をこのソフトで見るはめになる。
そうした、これまでのゲームが忌避してきた要素を、恐れずにつぎ込んだ気概はなかなかなもんです。ビッグタイトルになったせいか、プレイそのものは前作よりずっと易しくなっているけど、そのマイナスを補って余りある出来やね。