90/07

           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
     
 今月は読みごたえのある作品が多かった。
きっちょアンナのおくりもの』 (ジーン・リ卜ル作、田崎真喜子訳、福武書店、一四〇〇円)は、何をやってもぐずで人並みにはできないために、学校でも家庭でも(パパを除く家族から)仲間外れにされていたドイツ人の少女アンナが、家族の移住先であるカナダで医者に視力が極度に弱いと診断され、眼鏡をかけ、同じ障害を持つ子ばかりが通う特殊学級で先生にも友達にも親切にされることにより、アンナのまわりに新しく楽しい世界が開け、次第に彼女自身が明るさと自信を取り戻し、家族にも受け入れられていく過程を描いた作品。弱者や自分たちとは異なる異分子を排斥しようとする集団心理、そして排斥される側の心の痛みを実にリアルに描いているだけでなく、物語の設定をナチスが政権を確立した一九三二年のドイツにとり、思想・精神の自由を求めてカナダに移住した家族を登場させることにより、時代的なテーマと現代の「いじめ」にも共通する普遍的なテーマをうまくからませ、両者の共通点を示唆している。
オーストラリア児童文学賞受賞作すことがたくさんあるの・・…・』 (ジョン・マースデン作、安藤紀子訳、講談社、一二〇〇円) は、いじめではないが、両親の不和が原因で自ら心を閉ざし、話すことも笑うこともできなくなった十四歳の少女が、全寮制の学校で先生や寮友の暖かさに触れるうちに、孤独感や心の傷を次第に癒し、周囲に心を開き言葉を回復するまでの内面の成長を、少女の日記で綴った一種の成長小説。この作品にしても前記の作品にしても、人間にとって (特に障害や心の傷を持った者にとっては)周囲の人々に、愛情をもって暖かく受け入れられることがいかに大切であるかを感じさせる。
明けのうた』(ミンフォン・ホー作、飯島明子訳、佑学社、一三〇〇円) は詩的で印象的な作品。テーマは今はやりの少女の成長と自立を扱ったものだが、それに負けず劣らず少女と弟との美しい姉弟愛が胸を打つ。夕イの小作農の娘タワン(十四)と一歳下の弟クウェはとても仲のよい姉弟で、事情があって今は学年も同じ。試験の結果が発表される日、学年で最優秀の成績を収めて都会の学校に進学するための奨学金を受ける資格を得たのは、両親の期待に反して、姉のタワンであった。しかしその結果を喜んでくれたのは祖母だけで、夕ワンのまわりには、女に学問は不要だという父親、都会の恐しさを説き夕ワンの進学に反対するいとこ夫婦、タワンが辞退すれば自分にチャンスが巡っってくる次点のクウェの思惑など様々な障害が立ちはだかる。その中で悩みながら、タワンは進学への意志を固め、しっかりした問題意識を持って周囲を説得して旅立つ。一時的には利己的な考えを抱いていたクウェも自分の過ちに気づき、父の説得では姉の加勢をし、二人でよく歌った夜明けのうたを歌って姉を見送るる。物語の最初と最後で歌われるこの歌と姉弟で歌うそのシーンが作品のテーマを象徴し、作品の詩情をさらに増している。
イギリスのカーネギー賞受賞作シェフィールドを発つ日』(バーリー・ドハーティ作、中川千尋訳、福武書店、一三○○円)も、フランス留学に旅立つ少女を題材にした作品だが、これは出発前夜のお祝いに集まった家族がそれぞれに語るる祖父母、両親、主人公とその兄の三世代の青春模様、恋物語を綴った作品。オムニバス的な楽しみがあり、世代を越えて共通する人生の悲喜こもごも、愛とは、幸福とは、生死とは何かなどを考えさせる作品だが、焦点が絞りきれず、テーマのインパクトはやや弱い。
この他、パパとの約束を破って空気銃を撃ち、ネコの片目を奪ったのではないかという罪悪感や自責の念にさいなまれる少年の心の動きを追った『片目のねこ』 (ボーラ・フォックス作、坂崎麻子釈、ぬぷん児童図書出版、一二三六円)や、最近問題にされているゴミ処理の問題を扱ったノンフィクション『どろんこサブウ』 (松下竜一作、講談社、二○○円)が注目に値する。 (南部英子)
読書人1990/07/16