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 発売開始からすでに二か月半も経ち、いまさらこんなことをいうのも恥ずかしいのだが、ワタクシ現在、スーパーファミコンソフトトルネコの大冒険』(チュンソフト)に、夢中である。忙しさにかまけ、発売当日に買いに行かなかったら、後はどこを探してももつからず、今頃になってようやく手に入れた。あの名作ロールプレイング・ゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズのWに登場した、ちょっとお茶目な武器商人トルネコが主人公となり、「不思議なダンジョン(地下迷宮)」の地下深くに眠る「しあわせの箱」なる宝物を取ってくるというシンプルなつくりのこのゲーム、しかしこれが、やりだすと実におもしろいのである。そのおもしろさの本質については、私がここで下手な解説をしなくても、「よむ」(岩波書店)十一月号の三浦明彦氏の「電視遊戯館32」に詳しいのでそちらを御覧いただきたいのだが、まあ、乱暴にまとめてしまうと、直線的なストーリーに乗った壮大なすごろく的様相のこれまでのRPGに対し、『トルネコー』は無限に変化する、スピーディーな挟み将棋みたいなものである(っていっても、やっぱり解ってもらえないだろうな、ハハハ)。
 とはいえ、注目したいのは、ほとんど無いといっていいそのストーリー性とは裏腹に、この作品の持つ濃厚な物語性である。駄作の海の中に、時折名作が出てくれぱラッキーという、子どもの本の供給状況にも似たゲームソフトの市場の中で、「ドラゴンクエスト」シリーズは、この、物語の使い方の巧みさという点において、明らかに他の作品群と一線を画している。ストーリー性と物語性をごちゃごちゃに捉えている他の作品では、一方的に「泣きの三文芝居」が展開されることもしばしばだが、「ドラクエ」の場合、物語にプレーヤーを乗せ、感動させてしまうパワーがある。それが今回の『トルネコー』では、ほとんどポピュラリティーを持たないゲームパターンを用いつつも、すでに知られた「ドラクエ」の世界観を土台とすることで、メタ・フィクション的展開の中に物語性をうまく持ち込んでおり、実はこれが、ストーリーは無くとも、プレイヤーが物語を堪能できる仕組みであるのだが、それはさておき。 児童文学の方でも、このメタ・フィクション的手法を確信犯的に用いた新作が登場した。帯には「物語宣言!」という、なかなかに刺激的に言葉を謳った理論社の新シリーズ「ファンタ ジーの冒険」の第一弾、荻原規子のこれは王国のかぎ』(一七00円)が、それだ。アラビアンナイトという、語り物、冒険の王道を行く物語世界に主人公・上田ひろみをぶち込み、一人称の語り(=彼女の「見た目」)で物語らせることによって、王権を手放して冒険の旅に出た王子の話、赤子の時に連れ去られた王子であることの判明する少年の話といった、それこそ、どこかで聞いたようなお話を、ユーモラスにかつ新鮮に描き出してみせる。 それは、『空色勾玉』や『白鳥異伝』(ともに福武書店)で、その力を存分に示した作者の筆力によるのはもちろんだが、同時に、語り手・ひろみを他の登場人物と同列に並べることなく、トリックスター的役割の魔人族に充てた構成の手柄でもある。中学校のダサイ制服に身を包んだ主人公が魔人族になることによって、物語の中心的ストーリーから離れたところに身を置きつつ、しかも、積極的に関わることが許され、また、魔人族としての超能力を身に付けていることで、地上から、空中から、といった、融通無下な語りの視点も確 保できる。さらに、主人公が制服のままで居続けることは、あちらの側の世界に染まり切らない彼女の心持ちの象徴であるのだが、それは等しく、読み手の拠って立つところへの、作者からの優しいサインである。 読者を楽しませること、それは物語において、読み手をどこまで語り手の位置に引きずり込めるかということにもある。実は、「「ドラクエ」も『これは王国のかぎ』も、この点をきちんと押さえているからこそ、おもしろいのである。(甲木善久)
読書人 93/12/10
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