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 書評欄ではあらすじの紹介は欠かせない。でも、予備知識をもたずに読んだほうが魅力が発揮される作品について、説明のための種明かしをしてよいものだろうか? これは書評者が常に悩むジレンマだが、ロイス・ローリーの・ギバー:記憶を伝える者』(掛川恭子訳、講談社、一四〇〇円)にもまた、このジレンマがよく当てはまる。
実はロイス・ローリーといえば、ビバリー・クリアリーやジュディ・ブルームのように悩める現代っ子を等身大で描くアメリカの現代小説の作家として名が通っている。その代表作アナスタシア・クルプニックという女の子のシリーズは、『愛って、なあに?』『おとなりさんは魔女かしら』『ただいまアルバイト募集中』『ないしょのペット日記』の四冊が掛川恭子訳で偕成社から八〇年代に翻訳された。だから、その作者が一九九三年になって未来社会を舞台にしたこのSFを発表したときは、(『ふたりの星』という戦争を扱った作品があったにせよ)唐突な変身をしたと思ったものだ。もっともそれはわたしひとりの印象ではなく、『ホーンブック』九三年七月号の巻頭言の筆者も、同じようなことを書いている。もちろん、ローリーの果敢な挑戦とその成功に敬意を表してのことだ。 未来のコミュニティが舞台。このコミュニティでは乳児から老人にいたるまで行き届いた世話がおこなわれているし、穏やかで健康的な生活が保証され、人々は飢餓や戦争を知らない。主人公はまもなく一二歳になるジョーナス。彼は自分がどの職業 に任命されるかに大きな関心を寄せている。というのも、このコミュニティでは一二歳を境に子ども期が終わり、残りの人生をどう過ごすかは、長老によって決定されてしまうからである。ジョーナスは予想外の職業ーー記憶を受けつぐ者ーーに任命され、その訓練を受ける過程でコミュニティに関する意外な真実を発見していく。
このあらすじから、本作品が高度に管理された社会を舞台にしていることは察しがつくだろうと思う。というのも一見理想的なこのコミュニティには「自由」がないからだ。作者の主張ははっきりしている。ひとつには合理性や安全、便利さといったものを追求し、すべての異分子や不確定要素を排除することの危うさである。さらに、難しい決定を先送りにしたり、選択そのものを「長老」たちにゆだねることの危うさである。それらが積み重なり、現在の姿になっている。だが、この作品の長所は主題のわかりやすさだけではない。主人公といっしょに、このコミュニティの真実の姿を見抜いていく過程こそが驚きをもたらしてくれる。そのためには一見平凡に見える文章の裏を読む作業が必要とされる。たとえば「おやすみだっこちゃんというのはほとんどの場合、リリーの持っている象のように、想像上の動物のふかふかやわらかい縫いぐるみだった」とあれば、縫いぐるみの説明に惑わされずに、「想像上の」という言葉に注目してほしい。この一言で、子どもたちが「象」「キリン」「カバ」といった動物を一切見たことがないこと 、ひいてはこのコミュニティにはあらゆる動物がいないことを察知しなければならないのだ。そして、こういう細部を元に世界の全体を把握し、その意味を知ったとき、かつてわたしがそうであったように、あなたもまたこの世界の意外性に魅了されるであろう。
「もしも・・だったら」という発想から生まれ、シミュレーションの冴えをみせ、管理と自由をめぐるSFならではの問題提起をおこなったこの作品は、結果として九四年度のニューベリー賞に輝いた。昨年のこと、英語圏の児童文学関係者の間では「もうこの本を読んだか」という問いがしきりにかわされたという。さて、あなたはどうする? 九〇年代を代表するであろう『ザ・ギバー』に、だまされたと思って挑戦するか、無視するか。
読書人 1995/10/20
           
         
         
         
         
         
    

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