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 「手元に『吸血鬼ドラキュラ』という児童書がある。多くの児童文学同様、こちらも翻訳ではなく翻案である」で始まるエッセイ(篠田節子 朝日新聞 1999,03,14「寄り道ビアホール・子供の本棚から」)はいきなり、多くの海外児童文学が翻案であるかのような誤解を招く書き出しで困ってしまう(ただし私は、翻案反対派ではない)。
 多くの海外児童文学は完訳である。その少し後の文章、「大人が読んで感動するような児童文学」はあるが、「概して子どもの間では人気がない。(略)人生の悲哀も挫折感も味わったことのない年齢の者が、大人の喜ぶような、人の心の微妙な襞を描いた作品や、寓話の類を理解できるわけがないし、ましてや感動できるはずがない」は不思議? 
 というのは、「人の心の微妙な襞を描いた」児童文学の全てがとは言わないまでもその多くは、子ども読者が「理解できるわけがないし、ましてや感動できるはずがない」ように書いているのではないからだ(それなら児童文学として出版する意味がない)。そうではなく、「人の心の微妙な襞を描いた」児童文学が、同じたぐいの大人向けの作品とは違う手法、子ども読者に理解できる(と個々の書き手が判断する)言葉や表現やシーンで書かれているから、大人の読者は大人向けのそうした作品とは違う手触りに新鮮な感動を覚えるということやろうね。
 とりあえず、篠田が司書をしていた十年前に出ていた数冊を。『夜の鳥』(ハウゲン)、『ヒルベルという子がいた』(ヘルトリング)、『あの頃にはフリードリッヒがいた』(リヒター)、『夜が明けるまで』(ヴォイチェホスカ)、『偉大なるMC』(ハミルトン)、『アナグマと暮らした少年』(エッカート)、ナドナド。
 「人の心の微妙な襞」を子どもが理解や感動できないと思っていない、子どもとしての理解や感動はあると思っている児童文学作家は、その磁場で「大人向け小説を書くのと同様か、それ以上の筆力と技術」を駆使して書いている。
 それから、大人向けの小説を見渡したとしてもその手の人気が高いとは思えない。要するに、そんなタイプの作品を活字メディアで読むことを好む人間は、大人だろうが子どもだろうが、現在少なくなっているということやね。とはいえ少ないにしても、そうしたものを好む、それを必要としている子どももいると信じている限り児童文学作家は書いていく。売れる部数は数千からせいぜい一、二万部程度だけれど、これとて、大人向けのそうした書物とさして違わないだろう。
 さて、児童文学。といいながら実は、ミシェル・デル・カスティーヨのタンギー』(平岡敦訳 徳間書店)は児童書ではなく、一九五七年にフランスで大人向けに発表されたもの(次の年、生田耕作訳で紹介されている)だ。
 帯のコピーによれば当時ジャン・コクトーは、「この本を読んで思った。今後は、どんなことにも不平は言うまいと。恐ろしく、そして素晴らしい本だ」(フィガロ誌)と評したのだが、それから四十年後の今、それは大人向けではなく、児童書メディアで再公開されたこととなる。
 自伝的(と読んで欲しくないと、カスティーヨは作家としての正しい希望を述べている)物語のラインは、三〇年代、フランス人の父親とスペイン人の母親の間に生まれた男の子タンギーがスペイン戦争に巻き込まれて家族とフランスへ亡命。がそこはナチス支配となっており、父親は共産主義者の母親をナチスに売って、自分は逃げ去る。収容所に入る母子。しばらくしてユダヤ人でないためなんとか収容所を出ることができるが、活動に身を捧げる母親はタンギーを捨てる。そうして彼はソ連の収容所、孤児院と、たった一人で生きていく、というもの。つまり子捨て、いや、親に捨てられる子どもの物語。従ってタンギーは、近代が保証しているはずの「子ども時代」を経験することなく育って行く。
 そうした物語が、この国で今、児童書として出版されたことの意味を考えてみていいだろう。私にはとても生々しい物語だった。
 もちろんこれは、完訳である。

読書人1999/04