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 ズバリ『童話物語』(向山貴彦 幻冬社)というタイトルを持つ書物は、本来十巻からなる妖精の書の「五巻『大きなお話の始まり』と六巻『大きなお話の終わり』にあたる部分を抜粋して、理解しやすく、記述を簡略化したものである」(附記)。これはスター・ウォーズ・サガなどと同じ手法。「抜粋して〜簡略化した」は巽孝之の解説を読む限り事実で、原話は倍の分量、約2500枚(約2MB)あるという。つまり、『童話物語』は「本当の物語」の、あるバージョンにしかすぎない。初稿、決定稿といった区別とは全く別の事態がここでは起きている。これまでの物語が印刷物として、コピーされるしかない「テクスト」であったとするなら、『童話物語』のスタイルは(とりあえず印刷物として出版されているけれど)、それが容易に加工も圧縮も入れ替えも書き換えも可能な「.txt」へ変わっていく兆しの一つなのかもしれない。また、奥付の前のページには「制作=studio ET CETERA」「原作・文・監修=向山貴彦」「絵・装丁・ワールドデザイン=宮山香里」「文章構成・アレンジ=吉見知子」とスタッフ名が明記されている。これは、作者を特権的場に置かない主張かな? 私もやったことがあるので、勝手に支持。
 主人公の少女ペチカが孤児であること。虐げられたため、誰も信じていないこと。人類を滅ぼすかどうかの品定めにペチカを選んだ妖精フィツや、ペチカをいじめていたことを悔いている少年ルージャンと共に、邪悪な存在に立ち向かい、世界を救うこと。そして救うための最も重要な要素は、強くなることではなく、ペチカが憎しみを捨て他者と繋がる点にあること。善と悪の象徴がクリスタルであること。それらは、さして目新しくはなく、例えば『ファイナル・ファンタジー8』と共鳴している。また、はぐれたペチカを探すルージャンとフィツが逗留する住宅に偶然ペチカも住んでいたり、ペチカが捨てた邪悪なクリスタルの欠片を偶然、ペチカたちと敵対する邪悪な人物が拾ったりといったストーリー展開は、ジェットコースター・ノヴェルどころか、「お約束事物語」とひとまず呼んでおきたいものなのだが、そう腹をくくって読めば、これは小説というよりはむしろ、見事なまでにRPGである。つまり、そこには本当のペチカもフィツもルージャンもいるわけではなく、彼らをロールプレイする誰かがいるばかりなのだ。たぶん本当の彼らは、先の「本当の物語」の中にいるのだろう。そうし た手触りもまた、「テクスト」から「.txt」への変化なのかも知れない。「もう誰にもぺチカを傷つけさせないって。ぺチカはおれが守る」「あの小さくて無力な女の子はもうどこにもいなかった。今、ここにいるのは、やがて強い母親になる、一人の大人の女性だった」といった読んでいて痒くなるフレーズはヴァージョンアップして欲しいけど。
 チカと同い年で、イスラエル国籍のアラブ人少女ナディアが、地域医療に尽くす医者になるために、村を出てユダヤ人の寄宿学校に入学する物語『心の国境をこえて』(ガリラ・ロンフェデル・アミット 母袋夏生 さ・え・ら書房)は、『童話物語』とは全く違った手触。ここには「お約束事」でトントンと進んでいく気配はいささかもない。例えば同じ学校のユダヤ人生徒と最初に出会い自分がアラブであることを告知すべきかという場面。「どうしようと、なんども思った。もしいえば、自分がアラブ人であることに劣等感を持っているように聞こえる。だって、だれもそんなこと聞いてないもの。だったら、なぜいうの? もしいわなければ、やっぱり、アラブ人だってことにコンプレックスを持ってて、かくしてると思われる」。ナディアであることとアラブ人であること。こうした個人と政治という問題に、安易な解決法を示すことなく、物語は驚くべき腰の強さで、最後まで緊張感を持続する。一見日本の中学生からは遠い話のようだけれど、ナディアの内面の葛藤や、 友人たちとの交流の微妙な難しさには、容易にシンクロできるだろう。
読書人1999/05