「日本児童文学」1978年12月号
翻訳時評

アンネの向日性の背景と、ネモ船長のペシミズムの背景は背中で出会っているのだろうか

           
         
         
         
         
         
         
         
     
 十四年ぶりのアメリカを旅してきた。たった一か月あまりの旅だったのに、帰ってから自分の一部が毀れたような感じがとれなくて困っている。怠ける口実としての旅の疲労も時効にかかっている。

(T) 少女期の鋭敏さにふれて

 アンネ・フランク著ンネの青春ノート』(木島和子訳 小学館)を読んだ。アンネが十三歳の時から死ぬ直前までに書き残したエッセイ、短篇のお話、遺作である未完の小説などを編集したアメリカ版からの翻訳である。悩み、考え、夢見、どうしたらすべての人が平等になりえるのか思索する女の子がそこにはいる。熱心に日記をつけたり、友人とノートを交換したりする時期に、特有の鋭敏さと傷つきやすさが出ている。アンネの日記を読み、伝記を読んだ読者には、すでによく知っている人がフィクションとして登場してくるのも興味深い。
 また、「U、考えること」に入っている三つのエッセイから、アンネが辿りついた向日的な人生観がきれいによみとれる。「わたしが身のまわりの美しさを感じて、それを目で見たその瞬間、それまでわたしを悩ませつづけてきた、さまざまのくだらない雑音が、ぴたりと聞こえなくなってしまったの。」「かんたんにいうと、現在に満足するということを知ったの。」(P60)「人間はみな平等で、他のことはすべていっさいが一時的なものだということをわかってくれたら! そしたら、その瞬間から、わたしたちの世界は、ゆっくりですが、すこしずつ変わりはじめるのです。しかも、その源の力は、わたしたちが今すぐにでも始められる小さなことからだなんて、考えただけで、すてきじゃない!」(P68)「与えて、与えて、何度も。勇気と根気を失わないで、際限なく与え続けてください。与えすぎて貧乏になった人なんていません!」(P69)などの文章を読むと、痛い。背後から名前の残らなかった数多くの女たちの祈りが、願いが聞こえてくるような気がする。
 今年になって、アンネ・フランクの展覧会、映画「隠れ家」、テレビ「ホロコースト」とナチの残虐さを告発する催しや作品が引き続いて公開されている。それには、われわれが三十年以上たって、やっと冷静に起こったことをみつめられるようになったという面とともに、逆に、容易に、かつ安心して見ることができるというもう一つの面があるような気がする。テレビのゴールデン・アワーにお茶でも飲みながら楽しんでみる。「かわいそうやってんな、この人たちは。自分たちはいいなぁ!」という素朴な反応が恐い。奇妙になつかしい気持をおこさせるような仕掛けがされているから。アンネの書き残したノートは、あまりにけなげで、どんな孤独や絶望にも打ち勝とうとする生命力、神への信頼にあふれているのでかえって、それを讃美することがためらわれる気がする。
 アンネの夢のある部分をふくらませたら、さしずめ、バレー一筋に精進するドリーナと繋がるところがあるかもしれない。
 「ドーナ バレエシリーズ」1『バレエへの夢』2『白鳥のように』3『のびゆく悩み』4『バレエひとすじに』(ジーン・エストリル作 島田三蔵訳 4だけ谷村まち子訳 偕成社)祖父母に育てられているドリーナが、祖母がいくら遠ざけようと努力してもバレーへの道に入っていき、(ドリーナはその時は知らなかったが若くしてなくなった母親がバレー史上に名の残るバレリーナだった。)いろんな困難とたたかいながら、着実に成長していく十一冊まで続くという物語である。生まれながらの素質、バレーの練習、発表会の興奮、クラシックバレーの鑑賞と、ふんだんに入れられているバレー用語とともにバレーづくしの一方で、学園生活、友人関係がうまくおりこまれ、一人一人の性格描写も具体的で丹念におこなわれている。それに加えて、休暇毎にドリーナが旅をしてみせてくれる風景――ウェールズ、スイス、イタリア――が美しい。親友ジェニーは、田舎が好きで、農場主と結婚すると決めているという女の子。そのコントラストがきいていて、ドリーナにも、バレーや大都会の劇場にはない自然の美しさを知らせていく役目をおっている。
 一冊よみ始めると、やめられなくなって四冊すべてをよんでしまったが、少女小説のプロの書いた作品のお手本のような出来映えである。ドリーナが、各場面で結局はうまくやることも了解済みであるし、友人の中にいるいじ悪い子の配置もありふれているし、両親がいないことに秘密があるのもあらかじめ読めるし、プロットといいバレーという背景といい、新しいものは何もない。あるのは、ドリーナの鋭敏な人生への反応のしかた、美への傾斜である。時代が移りかわって、ボーイ・フレンドが出てきたり、多彩な外国旅行をしたりするシーンが加わっても、少女小説の本質は、人生への憧れと恐れ、一途さと迷いの揺れを描くことにある。
 アンネが映画スターにあこがれをもつのと、ドリーナの読者がフットライトをあびるヒロインにひととき思いを入れるのには共通項があるだろう。いまさら少女小説なんて、と否定しさることのできない美への泣きたくなるような渇望がある。勿論、アンネと同じように、読者は自分がヒロインになれるなどとは思っていないのである。暖かい人間関係に見守られながら、自分の才能を思いのまま生かしていくことが、彼女たちの願いなのである。映画スターやバレリーナの世界では、女の子も、女の子であることによって認められる。男女役割の固定的な考え方や、生涯の仕事をえる可能性に差があるかぎり、少女期の鋭敏さは、こうした少女小説(キャリア小説に近い形で)として表現され、残存していくことと思われる。

(U) ハッピー・エンドになっていない物語

 「子どもの文学は、ハッピー・エンドで終わらなければならない。そこに特質がある。」とはよく評論や教科書があげている児童文学のもつべき条件である。
 この基準の通じない作品が現出しているのが七〇年代の特長の一つであって、あらてめて児童文学とは何かという問い直しを余儀なくされている状況がある。
ペーター・ヘルトリング作『ヒベルという子がいた』(上田真而子訳 偕成社)は、町はずれの一時収容施設――浮浪児、親の手におえなくなった子、母親に捨てられた子、里子にだされたさきで、≪いい子≫ではなかった子どもなどが、つぎのゆきさきがきまるまで、とりあえず入れられている――にいるヒルベル(本当は九歳だが、六つぐらいにしか見えない)は、出産時の障害のため病弱で、頭がきりきりいたみ出すと、腹が立って、何が何かわからなくなる。言葉の発達が遅れており、時々、姿をかくしてしまう。大声をあげたり、木に登ったりする。歌をうたうとすばらしい。ヒルベルをかわいがっている園長先生、ホームにきたばかりだが、ヒルベルをもっとも理解しているマイヤー先生など職員と、子どもたちのくらしが描かれていく。ヒルベルは「どうにか生きていくために必要なことだけを、ならいおぼえた。どうにか生きていくために必要なことは、施設や病院で、なるべくしかられたりなぐられたりしないで毎日をすごせるための心得だったのだ。」(P116)ある夜、ひどい頭痛がしてベッドにいられなくなりホームを脱出したことが直接の原因で、少年局や医師の意見によって病院に送られていく。みんなの前からヒルベルの姿が消え、その後のヒルベ ルのことは語られることなく、マイヤー先生をのぞいて、忘れられていくところで物語は終る。マイヤー先生は、ホームをやめ結婚し、「自分の子どもたちにヒルベルの話をして聞かせながらよく思う。あの子は、その後どうなったかしら、と。」(P126)
 著者あとがきをよめば作品の意図されていることがよくわかる。ヒルベルの病気は、二種類あって、一つは医師の領域、もう一つは、ヒルベルを本気で心配してくれる人がいないための病気――その病気をなおすためには、おおぜいの人が、今のような考えをすて、態度をかえなければならない――で、こちらの方が問題だという、問題提起の書ということである。ヒルベルの立場にたって、ヒルベルのようないわゆる障害児といわれている子どもの心理やものの考え方、行動の軌跡を、情緒的に流れることなく、声高い告発をすることなく、むしろ、淡々と書こうとする姿勢で描き出している。そして、それによってかえって、ヒルベルの存在感が強く読者に残る。
 ハッピー・エンドにすることのできない子どもをみつめて、作者は、読者がかわることによって、読者自らが、この物語をハッピー・エンドにできる世の中をつくってほしいと願っている。その意味では、まぎれもなく、これまでの定義の中に含まれる作品であることがわかる。人間の命を肯定するという大前提は、くずれないどころか、脈々とこの作品の中を流れているので、重いテーマをもつ作品でありながら、読む人の命も暖めてくれる。

(V) 文明とは何であったのか

 J・ベルヌ作秘の島』上・下(清水正和訳 J・フェラ画 福音館書店)が古典童話シリーズに加わった。ペルスというと、「SFの父」というレッテルが思い浮かぶが『神秘の島』(初版一八七七)をよむかぎり、額縁として気球や潜水艦を使ってはいても、その中心は冒険小説であり、それに、ミステリーの要素を加えたものであって、しょせんレッテルはレッテルでしかないことがわかる。
 一八六五年、アメリカ。南北戦争で南軍の捕虜になっていたサイラス・スミス技師、ジェデオン・スピレット記者、包囲作戦のためリッチモンドで足どめをくっていたペンクロフ水夫とつれの十五歳の少年ハーバート・ブラウン、スミスを探しに来たその召使いで黒人のナブの五人が、嵐の夜、気球をのっとって脱出し、五日間飛んで六千マイル離れた地図にない島に漂着、小麦一つぶとマッチ一本からはじめて、一歩一歩生活をたて、リンカーン島と名付けた島を近代化することによってアメリカの植民地をめざして建設していく。スミス技師の知識と技術の駆使の過程は、まるで技術史の教科書を一ページから辿るような感じで、島にある水、鉱石などの資源を使って暮らしを近代化していく。ロビンソン・クルーソー近代版である。五人の男がそれぞれの持味を生かしながら一つ一つの難問を解決していく様は、不可能と思われることを可能としてきた人類の歴史の讃歌とも読みとれる。
湖の水位を下げて、岩の中に家を築くシーン、ニトロ・グリセリンのつくり方、家に出入りするエレベーターの製作などを読んでいると今では当り前のように享受しているものが違った眼で見えるようになってくる。インガルス一家の暮しぶりに興味を持つのと同じような感慨をもつのである。ハーバート少年の博物学の知識――島には、あらゆる地域に住む動植物が集まっていて生態学上の事象のサンプルのような位置にある――がスミスの技術の補填となっている。下巻になると、島の建設から、船を完成することによって一番近いタボル島に航海し、そこで一人の男を発見、外との繋がりができてくる。男は、三部作の第一作『グラント船長の子どもたち』の後日譚として登場してくる。自分の犯した罪により、無人島に置き去りにされ、ロビンソン・クルーソーのようには生きられず野獣のような状態に陥っている。その男エアトンは五人の男たちの友情によって少しずつ人間化していく。島にエアトン顔見知りの海賊船が侵入するが、力をあわせてその危機を乗りきるが、島に残った海賊によってハーバートが瀕死の重傷をおい、そのあとマラリアにかかる。島一体を暗い影がおおい、建設の明るい槌 音もしめってくる。三度めの冬がきている。
 それまでにも何度か島では、説明のつかないまるで守護の神がいるような不思議な出来事が生じていたが、最後の最後になって、男たちの仕事ぶりを陰から見守っていた存在のいたことが明らかにされる。第二作、『海底二万海里』のノーチラス号で登場したネモ船長である。ネモ船長は、地下の洞穴にノーチラス号を停泊させていたが、年老いて死につこうとしている。そして自らの口から、その生涯を語る。イギリスの支配に対して抵抗したが、失敗したインドの王子ダカールは、財産を処分したお金で同志二十人とともに潜水艦をつくり、人間世界で拒絶された独立を、海の底ではたそうとした。しかし、三十年経って残ったのは自分一人、「わたしはまちがっていたのだろうか? 正しかったのだろうか?」(下巻P399)と問いかけて、ノーチラス号を墓場として永遠の眠りにつきたいので海の深淵に沈めてくれることを静かに頼む。ネモ船長のネモは、ラテン語の誰でもない人、または、人間でない人の意をもっている。ネモ船長とは何であったのか、読者は考えずにはおられないシーンである。
 物語は、島の火山が爆発し、六人は裸の岩の上にほうり出されるが、ネモ船長のおいておいてくれたメモによってエアトンを連れ戻しに来た船によって救出されるということが結末になっている。
 ベルスの作品は、一人一人の性格描写・心理描写が弱く、画一的、類型的であるといわれている。『神秘の島』においても、六人とも立派な人で、それぞれに英雄的であって、描きわけは見事であっても、共感をよぶことがない。特に召使いナブの書き方や、猿を慣らして給仕にするところなどでは大時代的なものがあって、かつては笑いを誘うシーンであったろうが、今日では、グロテスクに思え、全く笑えない。サイラスのいう「島を合衆国領にして、船の寄港地にしたい」という計画は、火山の噴火によってふっ飛んでしまい、ネモ船長も海底に消えていく。楽天主義が一転して、無になる。勿論、男たちは祖国に帰り、それぞれの場で活躍することを作者は忘れずに書きわけてはいるが、営営として築きあげた彼らの島の文明、行為は何もなくなってしまったのであった。自由を求め、祖国を捨てたネモ船長の世界征服、自分の国をもつことへのあこがれは、成就することなく悲劇性を帯びて終局を迎える。ネモ船長と作者が二重写しに浮かび上がる。
 ベルスが今日再評価されてきたことが『神秘の島』によってよく納得される。ハッピー・エンドの問題は、もうこの時代から実はあったのである。(三宅興子)
「日本児童文学」1978年12月号
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