子どもの本を読む

四国新聞 1988.01.24

           
         
         
         
         
         
         
    
    
    
 本を読んだ後、子どもが「これ、本当にあったこと?」という反応を示すのはよくあることだった。そう聞かれると、「いや、作り話だよ」とは答えにくくなる。無論創作であれ、何らかの形で「事実」を土台にしたり、背骨にしたりしているわけだが、子どもは「本当にあったこと」という風にして、本の世界と日常とをつなげたいのだ。今回は「本当にあったことらしいよ」くらいには答えられそうな本がそろった。
 「今夜はパーティー」の作者新冬二は常に新しい仕掛けを見せてくれるが、この作品ではその仕掛けを実在の場所という事実の確かさが支えている。いつもは休みでも家でゴロゴロしている父親が、突然ホームパーティーをやろうと言い出す。それも夕方までに家族全員が見知らぬ異性のパートナーを連れて来い、というのだ。父・母・キヨシ・妹の四人は、「これはゲームだ」という父の言葉に押されて家を出る。
 物語はTパートナーUを求めて、祖母の住む谷中から浅草、銀座、原宿と東京の名所を巡り歩くキヨシを追いながら、人と人のつながりの確かさと不確かさを照らし出す。結局四人とも相手を見つけられずに帰って来たのだが、四人は朝とはどこか違った顔で見つめ合う。
 「マキちゃんのえにっき」の作者いせひでこは、挿絵や絵本の画家として既に多くの仕事を成している。絵かきの母親と二人の娘のT奮闘記Uは、作者の実生活を下敷きにしたものだろう。
 こうした作品は母親の共感は得られたとしても、子どもの共感を得られるかどうかは難しい。忙しい母親のあおりをまともにくらってしまう下の娘のマキは、それぞれのエピソードの結びでは結局、自分で自分の気持ちに折り合いをつけるしかないのだが、それがジメッとならないのは、作者の子どもへの信頼というか、一種のT仲間意識Uの故か。あふれる事実を一つの作品世界に縫い込めた作者は、文筆の腕も確かなようだ。
 「のんかん行進曲」は、「ぼくは王様」の寺村輝夫の自伝的長編。主人公コミヤ・カンロクの小学校入学(昭和十年)から五年生の終業式までを追っている。つまり日本が太平洋戦争に突入していった五年間なのである。作者は帯に「この作品を書いているうちに恐怖だったのは、あの時代の少年像を書いていると、全体の印象として戦争肯定の話になりかねないことでした」と書いているが、確かに当時の「今」と書いている「今」をどう重ねるかは難しい。そして一口で言えば、この作品は主人公と周りの人々を描き分ける中で、そのことをクリアしていると思う。
 「野鳥はともだち」(国松俊英)はエッセー風の科学読み物。四季折々に十六種類の野鳥が紹介されている。単なるT観察記Uではなく、鳥にまつわる実にさまざまなエピソードが組み込まれていて、日本人と鳥たちとのかかわりの深さを知らされる。
こうしたエッセーが載る子ども向けの良質の雑誌があったらどんなにいいだろう。
 昨年暮れ(十二月二十七日)に亡くなった椋鳩十さんの作品は、戦前は「少年倶楽部」、戦後は「少年」「銀河」などの雑誌に発表されて、子どもたちの財産となった。「月の輪熊」「片耳の大鹿」など、まさに「これ、本当の話?」と聞く間を与えぬほどのリアリティーに満ち満ちていた。ごめい福を祈る。(藤田のぼる
「本のリスト」
今夜はパーティー(新冬二:作 高橋透:絵 小峰書店)
マキちゃんのえにっき(いせひでこ:作・絵 講談社)
のんかん行進曲(寺村輝夫:作 杉浦範茂:絵 理論社)
野鳥はともだち−ぼくの野鳥ノートから(国松俊英:著 藪内正幸:画 童心社)
テキストファイル化山本京子