子どもの本を読む

長崎新聞 19890222

           
         
         
         
         
         
         
    
    
 「サラダ記念日」がブームのころ、作家の小林信彦が新聞紙上でこんなことを言っていた。新聞の文芸時評で取り上げられるのは、文芸誌に載っているような作品ばかりだが、そんなものを読んでいるのはごく少数のマニアに過ぎない。なぜ、例えば「サラダ記念日」を論じないのか、というのだ。
 これも子どもの本に置き換えれば、なぜ<ズッコケ>や<ハレブタ>や<ノンタン>や<アンパンマン>を取り上げないのかということになるだろう。少なくとも僕についていえば、理由は二つあって、一つはごく単純に、こちらが紹介するまでもなく既に広く知られているという事実。もう一つは、そうしたけた違いの多数の読者を持つ作品について考えるのは、文学論というより文化現象論にあると思うからだ。
 これとやや似て、取り上げにくいのが少女小説である。しかし今、本屋の子どもの本の売り場で一番目立つのは、ピンクをふんだんに使ったおとめチックな表紙の、女の子向きの本である。あまりのケバケバしさに見分けがつかず、取り上げる前にまず読む気がしない。しかしたまには気を取り直して、比較的読めそうなものに当たってみた。
 「超能力少女?まほうの玉事件」の作者杉本りえは、主にコバルト文庫で活躍中らしい。この作品はシリーズ第二作で、その第一作での人物造形の細かさが印象に残っていた。優等生で自省的な涼子、ひたすらブリッ子風の綾乃、淳子の幼なじみで綾乃があこがれる慎乃助といった人物配置で、占いブームのさなか、綾乃が拾った透明の石を使ってさまざまな予言をしだすあたりから事件が始まる。ラブコメ風、ミステリー風味付けのうまみもさることながら、涼子のシャープな目が作品に奥行きを与えている。
 「さよなら恋のエチュード」(上條さなえ)は、清里のペンションを舞台にしたやはりシリーズ第四作。こちらはペンションの娘里菜を中心にした基本的にホームドラマでやや甘口だが、里菜やクラスメートたちがそれぞれに、自分の家の仕事と清里の将来を結び付けて考えており、そこからやや古風なまでに向日性に満ちたドラマが開けている。
 「14歳の妖精たち」(小川千歳)は、前の二作と比べると、本の作りも地味で、拒食症というシリアスな題材を扱っている。大学在学中という若い作者で、自分自身かごく近いだれかが題材だろうか、友達にも家庭にも恵まれながら、知らず知らず拒食症に陥っていく少女の内面のプロセスが丁寧に描き込まれている。周りのだれも悪人にしていないところが、冷静さとも、反面淡々としすぎているようにも思えたが。
 全体として、やはり少女たちのあまりに過剰な運命的自己規定=i家庭、容ぼう、成績といった)への思いに息が詰まるようなところがあった。それが少女≠ネのだといわれてしまえばどうしようもないが、もう少しこのピンクのカーテンの風通しをよくできないものか。
 なお、少女をターゲットにした本としては、料理、手芸などの手作り用テキスト風な本も沢山出ており、中で「6つのセーターのおはなし」が、なかなか巧みに読者を挑発≠オていると思った。(藤田のぼる

<本のリスト>
「超能力少女?まほうの玉事件」(杉本りえ作、久保恵子絵、ポプラ社)
「さよなら恋のエチュード」(上條さなえ作、相沢るつ子絵、国土社)
「14歳の妖精たち」(小川千歳作、石倉欣二絵、PHP研究所)
「6つのセーターのおはなし」(津田直美著、日本ヴォーグ社)
テキストファイル化中島晴美