子どもの本を読む

1990.05.28

           
         
         
         
         
         
         
    
 早船ちよ「キューポラのある街」といえば、吉永小百合の映画でも有名になった戦後児童文学の代表作の一つだが、同じ埼玉県川口市を舞台に書かれたのが「風とキューポラの町から」(井上こみち)だ。「キューポラのある街」が出たのが1961年だから、この間4半世紀が過ぎている。川口の鋳物の町であることに変わりはないが、しかし工場は次々に立ち退き、その跡地にマンションが立ち並ぶ。
 「風とキューポラの町から」の主人公、6年生の青木和也も、父が東北の支社から東京の本社に戻ることになり、川口のマンションに移ってきたのである。初めて川口に降り立った日、和也は東南アジア系の外国人の多さに目を見張る。鋳物工場のきつい労働をこの人たちが受け持っているのである。町の様子にじめないでいた和也に、鋳物工場で働く父親を持つ鉄男という友達ができ、鉄男は川口の町のあちこちを案内してくれる。
 こうした作品はともすれば社会科の手引きのようになりがちだが、それを救っているのは鉄男や昔かたぎの職人といった感じを残す鉄男の父のリアリティー、そして、ごく普通の゛市民゛である和也やその家族の戸惑いが率直に書かれていること。そして、何よりも日本で働く外国人の問題をどう考えたらいいのかという難しい問題を、読者とともに考えようという作品の真摯な姿勢だろう。
 一方、「白ネコ横町冬ものがたり」(中沢晶子)は、中国残留孤児の問題に光を当てている。こちらの主人公も6年生の文平。ただしこちらの家族は、文平の父親は家族と別れてニューヨークに住み、母は自然食品などを使った飲み屋をやり、外国帰りの姉は日本の学校になじめず登校拒否中という゛普通゛とはいいにくい一家である。文平は、隣のクラスの馬君とふとしたことから知り合い、言葉を交わすようになる。馬君の母親がいわゆる残留孤児で、3年前一家で日本にやってきたのだ。
 ストーリーは、文平の家族の物語と重ねながら、中国残留孤児の問題、その背景にある日本の戦争責任の問題に迫ろうとしている。日本における゛少数派゛である文平こそが、馬君の苦悩を理解できるという設定はわかるが、しかし今はより無理解な多数派の、その゛無理解゛のありように迫って行くことこそが肝要ではないか。この作品は、社会科読み物になることを忌避するあまり、どこか作り物めいてしまったことが惜しまれる。
 「日本人ごっこ」(吉岡忍)の舞台は、タイである。1986年の5月、日本人の「ユウコ」と名乗る少女がバンコクに現れた。それも日本大使の娘だという、この14歳の少女の言葉を本気にした大学生たちは、彼女にボランティア活動を手伝ってもらい、郷土会の旅行に招待した。事実は、タイ北部出身の小学校しか出ていない貧しい少女だった。彼女がなぜ゛日本人゛になろうとしたのか、そして多くの人たちがそんなに簡単にそれを信じたのか、日本とアジアの関係の現在を考えさせずにはおかない、エキサイティングなルポである。
 「なにをしているのか わかる?」は、ユネスコ・アジア文化センターが世界の国々の子どもたちの生活を紹介した絵本。これを読む日本の子どもたちが、例えば、東アフリカのサバンナで、父親の壺作りを手伝う男の子の姿をどのような感情で眺めるのか、興味深いところだ。

藤田のぼる=児童文学評論家)
〈本のリスト〉
 「風とキューポラの町から」(井上こみち作、山口みねやすが、くもん出版)△「白ネコ横町冬ものがたり」(中沢晶子作、ささめやゆき絵、汐文社)△「日本人ごっこ」(吉岡忍著、文芸春秋)△ 「なにをしているのか わかる?」(ユネスコ・アジア文化センター企画編集、松岡享子訳)
1990.05.28
テキストファイル化妹尾良子