子どもの本

東京新聞

           
         
         
         
         
         
         
    
 児童文学には「休暇物語」という言葉があるぐらいに、夏休みなどの長い休みの間のできごとを素材にした作品が数多い。古典的なものとしてはアーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」など、日本の作品では松谷みよ子の「ふたりのイーダ」のシリーズなどが代表格だろうか。普段は学校や家庭にしばりつけられている子どもたちが、旅や冒険といった非日常的な体験ができるのが、そうした長い休みの時期というわけだ。
 今回紹介する二作のうち、そうした休暇物語にあたるのは一冊だけで、もう一冊は動物ファンタジーとしての「旅」の物語だが、いずれにしても、そこで主人公たちが体験するできごとは、非日常的であるが故にかえって彼らの日常のありようを浮かび上がらせ、子ども読者の心に「今の自分からの飛翔(ひしょう)」というモチーフを植えつけずにはおかないだろう。

 『地平線にむかって』
三輪裕子・作、佐竹美保・絵(小峰書店、一三〇〇円)
 中学一年生の少女・穂高は、五月に祖母が亡くなってから、祖父と二人の生活になっていた。両親が早くに離婚し、母親も仕事を持ち、写真家である父親はほとんど留守という境遇の中で、穂高は父方の祖父母に育てられ、三年生のとき父親を事故で失ってからも、祖父母と共に暮らしてきた。再婚している母親は、今度こそ一緒に暮らそうと言ってきていたが、穂高には持病のある祖父を一人にすることはできない。
 そんな時、祖父は夏休みにアメリカのロッキー山脈を旅行しようと言い出す。そこは穂高の父の最後の土地であり、またアメリカには父の妹である叔母がいる。祖父の突然の思いつきの真意を計りかねるままに、二人はアメリカに旅立った。
 穂高をめぐる人物設定がかなり錯綜していて、かつ一人ひとりがきちんと書きこまれているために、それを消化するのに多少手間取る感じは否めないが、旅先でのさまざまな出会いの豊かさやロッキーの自然の描写がそうした煩多さを浄化させるに十分であり、思春期の少女の心根がまっすぐに伝わってくる。
 
 『空をとんだQネズミ』
今村葦子・作、降矢奈々・絵(あかね書房、一二〇〇円)
 なかまのネズミたちはみな去り、家の中に主人公のQねずみがたった一ぴき残っている場面から物語は始まる。ここは古い米屋で、コンビニに建て変わろうとしている。このいわば現代的な状況と、とこに頑固に残っている一ぴきだけのネズミという設定にはやや意表をつかれるとともに、なるほどわたしたちの日常の裏側にはこういう世界も潜んでいるのかもしれないという、不思議なリアリティーを感じさせる。
 取り壊しが始まり、それまでほとんど外に出たことのなかったQねずみは、あちこちで散々な目に遭って、ようやくペットショップの倉庫という隠れ家を見つけ、そこでかごの中のフクロウと出会う。
 ここからは本来敵同士であるはずのネズミとフクロウの交情という、やや哲学的な世界にはいっていくのだが、それぞれに個性的なネズミとフクロウの「生き方」がしっかりと描かれているだけに、きれいごとには終わらない感動がある。

(東京新聞1997.07.27)
テキストファイル化山本京子