子どもの本

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東京新聞 1998.02.22
 「老人」の問題が児童文学に目立つようになったのは、そう前のことではない。無論、おじいさんおばあさんは、児童文学にとっては伝統的に重要なキャラクターだったわけだが、最近のそれは核家族化、高齢化といった社会現象を反映したモチーフに支えられているのが特徴といえる。つまり、これだけの高齢化社会でありながら、昔に比べて<老い>や<死>に直面する機会を奪われている子どもたちに、どのようにそうしたものと向き合わせることができるのかという設問である。下手をすれば「お年寄を大切にしましょう」という訓話に陥りがちなこのテーマに、おもしろい手法で迫っている二つの作品に出会った。


『じっちゃんはゆうれいになった』(吉田道子・作、渡辺則子・絵 岩崎書店、一二〇〇円)

 東北で漁師をしていたじっちゃんは、今は都会で孫の心平たちと暮している。ある日、新聞にじっちゃんの遭難記事が載り、近所の人が弔問にやってくる騒ぎとなる。実際に遭難したのは、じっちゃんの老人パスを持っていた知り合いだった。
 ところが、じっちゃんは周囲の誤解をとくこともせず、その日から「ゆうれい」になって部屋の中に閉じこもり、家族ともめったに顔を合わせないようになる。
 一方、心平のクラスに転校してきた信夫は、事故で母親を亡くしたショックからか、時々不審な言動をみせる。そして、心平の家にやってきた信夫は、「ゆうれい」のじっちゃんと対面する。
 新聞の死亡記事を見るのが趣味、自分の領分を大事にし、家族でも勝手に部屋部屋に入ってくるのを嫌う、といったじっちゃんの像には、独特の存在感があり、じっちゃんのありようを通して、自分の世界を持つことの大切さ、生きることへの「けじめ」とでもいうべきものを学んでいく子どもたちの姿が印象に残る。


『アタック! ひいばあちゃん』(石神悦子・作、長野ヒデ子・絵 大日本図書、1400円)

 薫の家に同居しているおばあちゃんは、実際は薫のお母さんのおばあさん、つまりひいおばあちゃんで、九十三歳になる。裁縫が得意で、俳句の会に出かけたりと元気だが、おばあちゃんは活発な薫が大好きで、生まれ変わったら、思っていることがなんでも言えて仕事をバリバリする女性になりたいと思っている。
 薫がおばあちゃんの部屋で寝ていた夜、地震でとび起きた二人は自分たちの体が入れ替わっていることに気づき、翌朝から二人の生活も入れ替わることになる。こうしたアイディアの作品は今までにもあったが、九十三歳にしてなお前向きなおばあちゃんと、素直に自分を肯定できる薫とのコンビは個性的で、読者は、二人の「冒険」に声援を送らずにはいられない。
 おばあちゃんをとりまく老人たちの嫌みなところをユーモラスに書き込んだり、ラストではおばあちゃんと薫のお別れの場面を優しく描くなど、さまざまな魅力を備えた一冊である。(ふじた・のぼる=児童文学評論家。)

東京新聞 1998.02.22
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