子どもの本

東京新聞

           
         
         
         
         
         
         
    
特急電車的おもしろさ   藤田のぼる
児童文学のおもしろさには、端的にいえば「小説」的なおもしろさと「物語」的なおもしろさの両面があると思っている。小説的なおもしろさというのは、その場面場面の描写や登場人物の心理のリアリティーに観応していく、いわば各駅停車のおもしろさだ。これに対して、物語のおもしろさというのは、ぐいぐいと読者をどこかにつれていってくれる特急電車的おもしろさといえるだろう。すぐれた作品はどれもその両面を持っているけれど、前回に紹介した『天のシーソー』のように小説的おもしろさが基本的な魅力になっている作品もあるし、今回紹介する二冊のようにより物語的なおもしろさでアピールする作品もある。そして、実はいま特に少年読者をひきつける物語というのはきわめて書きにくい時代だと思う。少年たちの"いま"に、どのように素材を見いだし、物語化していくのか。いずれもかなり力のこもった試みといえる二冊である。

『こちら地球防衛軍』 さとうまきこ・作 (講談社、1,600円)
六年生の明彦とユーリは、駅の伝言板に「(一週間後の)10月2日に世界は終わる」と書かれてあるのを見つける。いたずらと思いつつ、妙に気になるそのメッセージ。次の日、朝早く駅に行くと、「6日後、世界は終わる」と書き換えられていた。クラスでもこのことが話題になる中、二人はその日から夜中に家を抜け出して駅を見張るが、三日間相手に出し抜かれ、伝合板のメッセージの横に、「そうはさせるか!地球防衛軍」と書き込む。ついに一週間目の夜、伝言板の近くで張り込んだ二人の前に現れた「犯人」とは……。
自室にひきこもる兄を抱えた明彦の家族のことや、メッセージに対するクラスの子どもたちの過剰ともいえる反応も含めて、ある種の虚構を通してこそ本音をぶつけあえる存在の大人や子どもたちの心の風景が、ミステリー的な物語空間から、次第に浮かび上がってくる。

『竜馬にであった少年』 いぶき彰吾・作、小林葉子・絵 (文研出版、1300円)
不登校に苦しむ五年生の竜也は、そうした自分の状態から逃れるために死を決意する。橋の上から天竜川に身を投じた竜也の体は、しかし光とともに舞い上がり、降り立った所は幕末期の信州伊那谷だった。竜也を見つけたのは、尊王の活動家として知られた松尾多勢子で、死んだ孫の生まれ変わりと思われた竜也は、折りしも京都に向かおうとしていた多勢子とともに、京への旅路につく。
現実世界でうっ屈を抱えた主人公が異世界に迷い込み、そこで自己回復を果たすというのは、一つのパターンではあるが、幕末期へのタイムスリップ、尊王の活動家との出会いというあたりが、この作品の眼目だろう。
社会変革への情熱を持ちながらも、見えにくい未来を模索する多勢子たち。そして、坂本竜馬との出会いの中で、自分の悩みに風穴をあけていく竜也。さまざまなしがらみから自由になり、自分を確率していけるというのはどういうことなのか。そうした問いが基調となって、作品全体に緊張感を与えている。東京新聞5 / 28 / 2000
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