子どもの本

藤田のぼる

           
         
         
         
         
         
         
    
文学作品には読者との関係において、「同化」と「異化」という作用がある。たとえば主人公にわが身を重ねてドキドキするというのは前者、これに対して「異化」は、意識的にある種の違和感を与えることで、読者の心情に働きかけようとする。児童文学は伝統的に「同化」、つまり、主人公への共感を前提に読者を引き込んでいくというのが主流だったが、近年は必ずしもそうではない。「いまどきの子ども」の心的反応を考えれば、むしろ「異化」の方法が読者をその気にさせるという書き手の側の判断だろうか。
しかし、それはどうも逆の意味でのわざとらしさにつながるようでもあり、状況をきちんと描いていれば、やはり主人公の心情や行動に一喜一憂し、励まされていくという読書体験は十分成立し得ると思う。今回は、そんなことをあらためて実感させてくれる二冊を選んだ。

『てじなのかんげいかい』(宮川ひろ・作、藤田ひおこ・絵、PHP、950円)
二年生の二学期を前に、お父さんの転勤が決まったゆうこ。今度住むのは社宅で、大好きなねこのミミを連れて行けない。ミミとおばあちゃんを残して引っ越した。新しい学校でも元気が出ず、毎日電話でミミの様子を聞いてばかりのゆうこ。初めての給食の日、先生が手品でゆうこを歓迎しようと、びんに生クリームを入れて振り始める。やがてびんの中にバターができ、一口ずつもらうゆうこたち。バターはミミの大好物でもあった。その日の電話で、ミミにもバターを作ってあげてとおばあちゃんに頼むゆうこの声は、昨日までとは違う元気な声だった。
ゆうこの心の動きがていねいに描かれ、周囲の人たちのさりげない優しさが心にしみる。

『また会おうね、グランパ』(依田逸夫・作、おぼまこと・絵、ポプラ社、900円)
六年生になる春休みを前に、アメリカに留学中の姉さんから手紙が届く。ロバートという大学院生と結婚することになったという知らせで、結婚式はすぐだという。突然のことに父さんは大反対、結局母さんと剛がシアトルに旅立つことになる。
姉さんの所に止まる母さんとは離れて、剛はロバートの祖父母の家に泊めてもらう。ロバートのグランパは朝鮮戦争当時日本に駐留した経験があり、日本語もペラペラ。思いもかけなかった体験の連続の中で、とまどいながらも自分の判断で一つひとつのことをクリアしていく剛。行きの飛行機の中でのトラブルを手始めとして、出来事の細部が剛の視点からていねいに書き込まれており、同年代の読者たちは、まさに自分のことのように追体験できるだろう。2001年(平成13年)4月22日(日曜日)
テキストファイル化 矢可部尚実