『現代児童文学論』(古田足日 くろしお出版 1959)

「ますとおじいさん」論

1 孤独のなかから
 
浜田広介のいくつかの作品は、ぼくの心にしみとおる。「むくどりの夢」「泣いた赤鬼」「ひとつの願い」「五ひきのやもり」など。
 そのうち、「「むくどりの夢」について。
 野原のくりの木のうろに父と子のむくどりが住んでいる。冬になって、むくどりの子は母親鳥がいないことに気がつく。父にたずねると、母は遠い国へ行ったという。ある夜のこと、うろの入り口で、かさこそ―音がする。母鳥が帰ってきたと思ったむくどりの子が出てみると、たった一枚、枝に残った枯れ葉が風に鳴っていた。今にも吹き飛ばされそうなその葉をかわいそうに思って、むくどりの子は、細長い馬の尾の毛で、しっかりと枝にしばりつける。すると、その夜の夢に、真白の母鳥が現われた。
 その翌朝、枯れ葉の上に白く積んだ雪をむくどりの子は払い落としてやるのだが、この子どもの鳥の夢は、何と悲しい夢だろう。今にも風に吹き飛ばされそうな枯れ葉、その枯れ葉をつなぐものは、目にも見えないような細い馬の尾の毛、たよりにならないものに、むくどりの子はたよっているのだ。
 今日、この作品の弱さを指摘することはたやすい。「ひろい野原のまん中に、たいそう古いくりの木が立っていました」という書き出しに現われているとおり、むくどり親子は、最初から孤独な存在として設定されている。団結しなければ、幸福はやってこないことを知っているぼくたちの目から見れば、「孤独」と認定することは、新しい解決をすでに拒否しているともいえよう。
 だが、文学というものは、そうした立場の古さ、新しさでははかれないものだ。当時の条件のなかで、人間の願いを、人間が人間らしく生きたいという願いを、どこまで深め、広げ、表現したかという尺度こそ必要であろう。むくどりの子は、おぼれる者はわらをもつかむということばのとおり、風に吹かれる一枚の木の葉にすがっている。たよりにならぬものにたよらねばならぬほど、むくどりの子の生活は暗く、そこから抜け出ようとする願いは強烈だったといえよう。
 むくどりの子も、枯れ葉も、ともに弱い存在だ。やがて、枯れ葉は落ちるにちがいない。むくどりの子は、それに対して無力である。彼にできることは、枯れ葉を馬の尾の毛でしばりつけることであり、ふりつむ雪を羽根で払い落としてやることでしかない。しかし、これは、孤独におかれたむくどりの子にゆるされた、せいいっぱいの生きる道だ。
 そして、弱い存在を結びつけるもの、この愛情が、やがて、民族への愛、人類への愛に育つかもしれないことを、だれが否定できようか。暗さを抜け出す、ほのかな希望のあかりはさしこんでいる。
 だが、それにしても、たった一枚の枯れ葉というたよりないものへの愛情は、孤独を生き抜く力としては弱々しい。ここでは、たよりにならないものにたよろうとするもがきと、建設へ向かう愛情とが、矛盾したまま、一体となっているのである。
 ここで、作者に目を向ければ、広介の理性的認識はどうあれ、彼の内の文学者の目は、枯れ葉への愛情のたよりなさ、この解決が解決になっていなかったことを知っていたといえよう。この作品は、あわれである。矛盾の主要な側面はたよりなさなのである。孤独から抜け出すには、枯れ葉への愛ではどうにもならなかった。広介は数年の苦闘の後、「五匹のやもり」の副題に「神は真を見せ結ふ」としるして、ついにその戦いをやめるようになる。しかし、今なおぼくたちも、孤立化させられた、たよりにならないものにたよりがちになる条件のなかに生きている。この先覚の激しい苦闘のあとをたどることは、ぼくたち自身の道を発見する契機にもなろう。
 さて、先に述べた矛盾−孤独と、孤独から抜け出ようとする矛盾の、建設的な面が強く出たものとして、ぼくは「ますとおじいさん」に心をひかれている。それについて、感じていることを、少し書きとめておきたい。

2 仕事の歌

 青年歌集のなかに「仕事の歌」というのがある。
  死んだ親があとに残す宝物は何ぞ
  力強く男らしいそれは仕事の歌
 この合唱のうねりが、ぼくの耳のなかにうずまく時、いつごろからか、ぼくは、ますが来てはいないかと沼のふちに立っているおじいさんの姿を思い出すようになった。こういえば、もうぼくのいいたいことは人々に通じていると思うが、少しくわしく立ち入ろう。
 この作品のあらすじは次のとおり。
 おばあさんに先立たれたおじいさんがひとりで住んでいる。七十五才の年の暮れのことであった。あるふぶきの夜、おじいさんは、汽車にのりおくれた旅の男をとめてやる。北の島のますの養殖所に働いている男の話をきいて、おじいさんは、ますを村の沼で育ててみたいと思う。
 あけがた、ますの夢を見たおじいさんは、男にますの子をとどけてくれるようにたのむ。春、男は、ますの子を、ブリキの筒に入れて持ってきた。つゆあけのある日、おじいさんは、沼ばたの川にますの子を放す。
 一年、二年、そしてまた春、病気になり、やっと起きあがれるようになったおじいさんは、雪どけの水のあふれる沼のふちへやって来た。だが、どう見つめても、ますの姿は見えなかった。枯れよしは、風に吹かれて、たださやさやと鳴った。
 「わしは、まもなく死ぬだろう。たった、ひと目、ますのすがたを見て死にたいが、ますは、やっぱり、みんなだめになったのか。」
 おじいさんの目には、涙がにじむ。
 やがて咲く桜の花も見ないで、おじいさんは死んでいく。「けれども、あとには、はっきりと一つのものが、のこされました。」秋のある日、村の男は、あざやかな、ふしぎな色の魚のむれが、沼から川をめがけて、水をとばしてあがってくるのを見たのであった。
 この最後のところ、「けれども、あとには、はっきりと一つのものが、のこされました」ということばは、「死んだ親があとに残す宝物は……」という、「仕事の歌」の歌詞と実によく似ている。だが、この作品の書かれた大正十一年、おそらく広介は仕事の歌を知っていないとするほうが正しいであろう。しかし、つかんだものは似ていた。
 ところで広介自身この作品についてはいう。「善行は、むくいられるという訓意(モラル)にまで、作者の意図をかかげてみたいと思いました。(略)一生をわびしく終る人であっても、真心あれば、その真心は、善行あれば、その善行は、あとの世になお、生かされていくものであるということを、作者は考えつめたのでした。」
 広介のことばを証明するように、おじいさんが、ますを育てようとする動機は、次のように説明される。
 「わしのいのちは長くない。こうしてここに、ひとりぐらしでいるのだが、死んでしまえば、あとのしまつは、なにもかも、村のしゅうにしてもらうほかはない。また、これまでに、せわもたくさんうけている。もし、そのますが村の沼におよぐようになったなら、わしのお礼もかなうというもの。それこそ、村のためになる。」
 おじいさんのこのことばが表面に出ているため、この作品を修身的善行のモラルを書いたものとする解釈も、一応は成立する。だが、気をつけてみれば、けっしてそうではない。最後におじいさんが「ますはやっぱりだめだったのか」と、沼のふちでつぶやく時、おじいさんは、村のためであったとか、お礼ができなかったとかいうことは、まったく考えていない。ただ純粋にますの来ないことを悲しんでいるのだ。
 そして、「村のために」と理由づける前、おじいさんはますの話を聞いて男にたずねる。
 「村の沼でもそだちますかい。村に沼があるんだが。」
 問答の末、おじいさんは、なかばあきらめかける。
 「けれども、心をつよくひかれてしまいました。おもいがけない旅の男の、ますの話は、おじいさんの目のまえに−そこには炉の火が、ただ、ちらちらともえていました−ますのすがたをありありと、えがかせました。」
 燃えているのは炉の火ではない。おじいさんの心の火である。その炎のなかにえがかれるますの姿−善行とか、村のためとかいうものではない。ただ、心にえがくますの姿が、おじいさんをひっぱっていく。
 「おお、およぎまわるますのむれ……できることなら、村の沼にも、そだててみたい。」
 理性的に意識化されている村へのお礼よりも何よりも、まずおじいさんの心を動かしたものは、ますを村の沼で育ててみたいということであった。自然を支配しようとする人間の意志が、眠っていた仕事の歌が、旅の男の話によってかきたてられ、目をさましたのである。
 「善行あれば、その善行は、あとの世になお、生かされていく」という広介のことばと「村のためになる」というおじいさんのことばを、額面どおりに受け取ってはならない。作品は、もっと深い。「あざやかなふしぎな色」のますの群れを子孫に残したのは、善行の意志ではなく、一生、なにかをやらずにおれない、夢を現実に変えようとする仕事の歌であった。
 
3 悲しい歌

 だが、この仕事の歌は、何という悲しい歌であろうか。枯れよしが、ただ風に鳴る沼のほとりに、おじいさんは立ちつくす。老後のいのちをかけた幻のますは、とうとう現われない。報いられない仕事の歌であった。
 どのように報いられないのか。そこを、もっとくわしくいえば、おじいさんは「たった、ひと目、ますのすがたを見て死にたいが」という。おじいさんの求めた報いは、金や名誉や地位という報酬ではなかった。おじいさんの望みは、ますが目のまえに現われること−仕事の実現、完成であった。報酬以前のものである。そして、この願いは、職人が自らの細工物に見とれるように、おそらく、人間が自分の仕事に対して持つ第一の願いにちがいない。人間の本性に根ざした願いである。このもっとも人間的な願いが報いられない悲しさが、この作品の悲しさだと思う。
 そして、この悲しみの具現者であるおじいさんが、どういう人間であるかを考える時、ぼくたちは、この根源的ともいえる悲しさの上に、もうひとつの悲しさが重なっていることを発見できよう。
 おじいさんは、ますのこないことを知って、つぶやく。
 「ますは、やっぱり、みんな、だめになったのか。」
ただ、「だめ」なのではない。「やっぱり、だめ」なのである。なぜ「やっぱり」ということばが出てくるのだろうか。おじいさんは、ますを放す時、だめになることをすでに予想していたのであろうか。そうではなかろう。期待と疑いの半々の気持ちであったにちがいない。この「やっぱり」は、常にうらぎられ、期待にそむかれてきた人のことばである。
 おじいさんは「よいおじいさん」であった。子どもが、よしきりのたまごをとろうとすると、「とるな、とるな」というおじいさんである。しかし、それで子どもたちはたまごをとるのをやめたろうか。おそらく、やめはしないのだ。ことばだけ、「ただ、それだけ」のおじいさんである。そして、おじいさんの何十年の経験は、とめたところで、やめはしない子どもたちであることを知っていたにちがいない。
 こうした人間は、もう、ぼくたちや、今の子どもたちとは、まったく無縁の存在であろうか。習慣上、あるいはおとなの義務として、子どものいたずらを口ではとめても、じっさいには深い干渉はせず、かえって心の底では子どもを愛しているという、ごく月なみな人間が、このおじいさんだ。広介の描き方は、けっしてじゅうぶんとはいえないし、かえって拙劣ともいえようが、しかし庶民のひとりとして、「おじいさん」は描かれたのである。
 そして、この庶民こそ、仕事の歌にささえられて働き、しかも幸福への期待は、常にうらぎられてきた人々である。たとえば、野生の稲を、今日の米にまで改良し続けてきた人々は、どのような報いを受けたろうか。その名さえも伝わらないほうが多いではないか。
 悲しい仕事の歌−この作品ににじみ出る哀れさは、世の下積みになり、ついに報いられることもなく、子孫に尊いおくりものを残して死んでいった人々−名もない庶民の歌ではなかろうか。

4 自我のざ折

 さらに、もうひとつの悲しさについて。それは、自我に目ざめながら、その自我をのばすことのできない悲しさ−近代的個人の悲しさである。
 あるいは、悲しさ以上のすさまじさというほうが真実に近いかもしれぬ。背景は、おそらく、鉛色の冬の空、ざわつく枯れよしを背にして、死期せまった老人が沼の岸べに立っている。ひげは銀のようにちらつくとしよりだ。調べるような目つきは、けわしい光をおびているにちがいない。そして、冷たい色の水に、白い腹をかえし、ぶよぶよにふくれあがったさかなの死がいが浮いている。そのさかなを、このとしよりは、つえのさきでつつくのだ。
 寝静まった夜ふけ、このおじいさんの姿を思い浮かべてみよ。ぞっとするようなぶきみさだ。これが、「よいおじいさん」であろうか。亡妻の戒名を唱えることを「よい」とするなら、さかなの死がいをつつくことは、まことにあさましい姿である。これは、迷いにとりつかれた人間だ。
 だが、迷いとは、いったい何なのか。雪の夜の旅人の話がなければ、おじいさんは、それこそ、枯れ木のくちるように安らかに死んでいったにちがいない。燃えあがる仕事の歌が、おじいさんをこの世にひきつける。沼にますを育てる−自然支配への意志が、生への執念なのだ。夢を現実にかえようとする、この個人の意志−善行も利欲も、ここにはない。数年を、かたくなに黙り通した、このおじいさんの意志の強さをみよ。自らの可能性を見ようとする近代的個人の姿が、くっきり浮かび出しているのである。
 自我は芽ばえ、そして成長することなくざ折した、ざ折というのは、この作品を攻撃していることではない。ざ折を、ざ折として描いたことのすばらしさをいうわけだ。
 「たった、ひと目、ますのすがたを見て死にたいが」ということばには、どうしようもない、いかりと悲しみがこめられているのではなかろうか。
 このような悲しさを描いたこと、つまり人間の悲しさを悲しさとして描いたことが、この作品のすぐれている点だと、ぼくは思う。子どもには、明るいものをという意見も、きっと出るにちがいないが、小学上級、中学生ともなれば、悲しさをのりこえる道は、他にもいくつもあるわけだ。現在、読まれている学年よりは、年令を上にあげた場合、この作品は、以上のような力を発揮するのではなかろうか。

5 作品の弱さ

 ぼくは、この作品の悲しさに心打たれ、その価値は高いものと思うが、しかしこの作品の弱さにふれることも、また必要であろう。ぼくは、この作品に心打たれると共に、不満なのである。
 この作品は、報いられない庶民の悲しさを描いている。しかし、これは庶民の一面でしかない。庶民は、反面に、楽天的なものを持っている。青年歌集の「仕事の歌」にある「歌を歌い自らを慰める」生活も客観的には哀れだが、この歌の響きから、ぼくたちは、哀れとか悲しさとかいうものよりも、それを越えていく力強さのほうを強く感じとる。未来に対する信頼である。
 この作品に、それがないということが、ただちに、この作品の弱さになるというふうには、ぼくは考えない。もしも、作者の立場に立てば、作者は、仕事の実現を見ることができないという、人間の根本的な悲しみに対決して敗れたのであり、敗れたからといって、それを責めることはできないわけだ。逆に、この作品は、悲しさをここまで描きだし、つまり人生にこういう悲しみが存在するぞと提示してくれた。この深い悲しさを乗りこえる、より大きい力を、ぼくたちが発見するためには、まず、この作品の世界の広がりと深さを測定することから、はじめなければならない。新しい世界は、そのなかに古い世界を包みこんでいるものなのだ。こうした意味でこそ、この作品が、人間の一面をしか見ていない立場に立っていることが指摘できよう。
 もうひとつ、簡単に指摘できることは、おじいさんが「黙って」いたことである。常に協力しあうことこそ成功の基礎だと考えている、ぼく(あるいは、ぼくたち)の立場から見れば、これは古めかしい。
 しかし、古めかしいという点でだけ、個人的にすぎるという言い方でだけ、この沈黙をかたずけるのは、あやまりだと思う。
 これも、立場の古さ、新しさでだけ、作品価値を測定することになるからだ。修身的モラルが顔をみせていることについても同様だ。
 では、この作品の立場に注文をつけないとすれば、この作品に弱点はないのだろうか。やはり、弱さは存在する。そして、立場に注文をつけないこの弱さこそ、文学的弱さである。この作品の最大の弱点は、作品に偏在している一種のいやみだと思う。
 ますを育てようと思いついた時、おじいさんは考えた。「こうしてここに、ひとりぐらしでいるのだが、死んでしまえば、あとのしまつは、なにもかも、村のしゅうにしてもらうほかはない。また、これまでに、せわをたくさんうけている。もし、そのますが村の沼にもおよぐようになったら、わしのお礼もかなうというもの。」
 このことばに、ぼくたちはいやみを感じないだろうか。後に現われる、お礼も、村のためもなく、ただ、ますの姿を見たいとなげくおじいさんの姿こそ、ほんものの人間なのだ。お礼をするといって悟りすましたような、この「よいおじいさん」のなかに、実は我執に満ちた人間がいたことを、ぼくたちは見てきたはずだ。ほんとうは、欲望のこりかたまりなのに(それは決して悪いことではない)、それを飾っているところがいやみなのだ。
 そして、いやみを感じるということは、おじいさんが、仕事の歌の具現者として描かれているように、同時にこのおじいさんが、いやみを持った人間として描かれているということではない。
 おじいさんは数年を黙り通した。そして、この沈黙によってこそ、作品は成り立った。彼が村人に、ますの養殖を語っていれば、枯れよしの沼の岸べで「ますはやっぱりだめだったのか」と、ひとり、涙を目ににじませる印象的な場面は、他の場面におきかえられたにちがいない。そして、最後の、ますの出現の場もちがった形となったはずだ。おじいさんがしゃべっていれば、この作品はまったくちがう展開をしたにちがいない。
 では、おじいさんは、なぜ、黙っていたのか。さきに引用した「わしのお礼もかなうというもの」という、おじいさんのことばをふりかえってもらいたい。せわになったお礼をする、そのためには人の手助けは不必要ということになる。沈黙の原因のひとつは、この報恩思想だ。さらに、のちになって「やっぱり」とつぶやくところにあらわれるコンプレックス−不成功に終わるかもしれないことへのはずかしさ、ということが原因ではなかろうか。
 そして、この報恩思想−修身的モラルこそ、いやみを与える原因になった。作品の基礎となるところに、いやみが存在しているのだ。沈黙ということ、それ自体が、すでにいやみだ。もし、おじいさんの生前にますが出現したらどうだろう。おじいさんは得々として、お礼がかなったことを喜ぶであろう。一種の優越感を持ちながらだ。
 さきに、ぼくは「村のためになる」ということばは、感動が弱いといった。感動が弱いということは、以上のようなことである。作品の根源にひそむこの矛盾は「よいおじいさん」の姿のなかにも現われる。ぼくたちは、妻の戒名を唱えるおじいさんに、庶民の姿と共に、やはりいやみを感じるのではなかろうか。妻の戒名を唱えるのが古いとか、悪いとかいうのではなく、真実そこには打ち込んでいないのに、打ち込んでいるようにみせるいやらしさである。

6 この作品はなぜ児童文学となったか
 
 ぼくは、この作品の価値および弱さについて述べてきた。しかし、このやり方は、おとなの文学作品を見る見方と同じだと思う。この作品は、どのように、なぜ、児童文学であるのか、これを抜きにしては、児童文学作品論は成り立たないであろう。
 単純なテーマ、平易な文章−こういう一般的ないい方でなら、この作品のなかから、例をあげることも簡単だ。しかし、子どもの心性にピタッと来るものは、いったい何なのだ。つまり、この作品の持つ児童性とは何なのか。
 それを探るために、この作品の方法、特に、人物の創造方法について考えてみれば、いうまでもなく、この作品は、十和田湖にますを養殖した和井内貞行の事跡に、材料をとった。しかし、できあがったものは、貞行の事跡とはまったく異なるものである。ぼくたちは、この作品から貞行のおもかげをうかがい知ることはできないし、貞行が成功した事実を知ることもできない。この作品のいおうとする現実は、客観的に存在する個性および、その環境とは、まったく異質の現実なのだ。
 主観的現実といってもよかろう。ますはやってきた。しかし、帰って来る科学的根源はどこにも描かれていない。貞行はむすこを水産講習所に入れた。親子はカバチェッポを放流する時、彼らが帰ってくることを疑わなかった。科学に対する信頼がその基礎になっている。
 だが、この作品では、そういう努力の過程はすべてすてさられてしまう。あるのは、おじいさんのなげきだけだ。だから、ますが帰ってくることは奇跡に近い。極端にいえば、ますがくる、こないは偶然に任せられていた。
 そして、ますは帰ってきた。主観的な過程、主観的な結末だ。にもかかわらず、抜きがたいリアリティは、どこから生まれてくるのか。また、そのリアリティは、どのようなリアリティなのか。
 子どもは、よその子どものおもちゃをほしがる。不合理な要求だ。ますがやってくることは不合理な主観的要求だ。子どもは、おもちゃを自分のものにするまで泣きわめく。だが、文章のなかでは、それはたやすく実現できる。ますはやってくるのだ。おもちゃを自分のものにしたいのは、子どもの自己拡充、自己表現の現われだ。ますがやってくるのも同じことではなかろうか。
 おとなの文学、ことに自然主義リアリズムでは、こういう不合理な結末、過程は描かれない。この作品のリアリティは、おとなの文学のそれとは異質なのだ。この作品は、そぼくな自己主張である。ひとつの文学作品が自己主張だという意味とは違う。もっと原始的なものである。一方は自己の内面を深く掘り下げるに対し、この作品は自己を肯定してその拡充をはかっている。そして、子どもには、自己を掘り下げる方向はむりなのだ。この作品のリアリティは自己拡充のリアリティである。
 しかし、子どもに読ませるために、この作品はこういう方法をとったのではない。沼の岸に立つおじいさんの姿を頭に描きながら、「善行は報いられる」と考える時、この結末はもう形作られている。この作品の現実は、実は未来を含んでいる。実現への過程、すなわち時間は省略されている。この作品は、時間の観念のないに等しい子どもの心理構造と同じ発想の上に成立したと思う。
 だが、自己拡充といい、時間の未分化といえば、あらゆる「メルヘン」が、そうした特質を持っている。もうすこし深く立ち入ろう、つまり、この作品の発想そのものは、児童性に立脚していた。その発想のなかで、この作品は、子どものどのような特性をとらえたのか。
 おじいさんは考える。「村の沼にもますを育ててみたい」。思ったことは、直ちに行動となった。子どもにとって思うことは行動である。子どもは、このおじいさんのなかに、自分を発見することができる。自分という存在に対するより深い認識である。人間というものに対する深い認識である。
 そして、ますがやってくる結末。これはアリババの呪文だ。願いは、希望は実現する。ここで、内容は発想と合一している。願いはかなえられるという、自己拡充の確認だ。おじいさんをますの養殖へとかりたてたものも、やはり、自己拡充の意志ではなかったか。
 だが、自己拡充ということばは、外へ向かって発展する自我のたくましさを、その概念のなかに含んでいる。ますの養殖へ向かうものは自己拡充であるが、死んだのち願いがかなえられるということは、自己拡充とはいえないものであろう。
 そして、この作品のもっとも力強いところは、仕事に失敗したと思うおじいさんの姿である。くりかえすと、自己拡充はざ折した。作品の中心になっているのは悲しさだ。これは健康な自己拡充ではない。
 だが、ますに来てほしいと願い、祈る心がこの作品をつらぬいている。おとなの文学の場合、最後のますの出現の状景は描かれないであろう。不可能と知りながら、願いはあきらめきれない。願いが逆に作品を規定する。善行は後の世にも現われるという願いが、この作品を作ったのだ。
 描かれたものは「願いの世界」−実現への過程は抜きにされた願いである。読者にとっては、はるかな国。ぼくたちは、子どもの時に夕焼け空をながめて、その空のはて、山のむこうにはるかな国のあることを思わなかっただろうか。今の子どもにも、それがある。そして、願いの国を夕焼けのかなたに描く子どもは、自分自身その甘さに酔っていることも多い。自己拡充というより、自己満足だ。
 哀愁と、自己満足にいろどられたはるかな国−願いの世界が、この作品の持つ児童性の中心である。自らを批判し、深めていくやり方とは、全然無縁なものであることに、ぼくたちはおどろいてもよいのではなかろうか。
 
7 民話的方法

 ところで、「おじいさん」は、ただのおじいさんであり、その名を持っていない。この作品が、名もない庶民の歌であるということと、名を持たないおじいさんを主人公とするということとは、偶然の一致にすぎないものであろうか。この作品が和井内貞行に材料をとったにもかかわらず、「おじいさん」に貞行のおもかげを発見できないことを、もうすこし考えてみよう。
 貞行は、密漁者を納屋に閉じこめたことがある。個人の利益を守ろうとする彼のはげしさは、この作品のどこからもうかがわれない。敢然、迷信にいどむ先駆者の姿も、この作品にはない。十和田湖というもののおもかげも存在しない。ただ、仕事の歌にとりつかれた人間というだけが、おじいさんと貞行の共通点である。
 十九世紀小説の方法が、特定の個性が持っている特殊性を強調して普遍に至る典型の創造を基礎としていることは、今日の定説だ。たとえば、ジュリアン・ソレルであり、トム・ソーヤーである。
 この方法に従えば、この作品の近代文学としての完成のためには、和井内貞行という人の顔だち、おもかげを描きだすことこそが、必要であったということになろう。だが、この作品は逆の方法をとった。おじいさんは仕事の歌につかれた庶民である。それ以外の特殊性は、ほとんど持っていない。人間が持つ諸要素の多くの部分はきりすてられている。ただ、仕事の歌という要素が、おじいさんの姿を仮りて現わされているにすぎない。
 しかも、なお、ぼくたちは、あるいは、ぼくは、おじいさんの姿を容易に想像することができるのだ。十九世紀文学とは、異質の典型創造の方法が、この作品には、示されている。
 これは、ひと口に言えば、民話的方法である。この方法は、特殊の要素を抜き出した人物、たとえば、ものぐさ太郎、三年寝太郎という人物創造の方法と共通している。その結果、この作品は、児童文学に必要な単純化を得た。もちろん、逆には児童文学であるための単純化という一面を持ちながらだ。
 この作品は、なぜこのような方法をとったのだろうか。説話、民話の再話が児童文学であった外的条件はさておき、この作品にかぎって考えると、そのひとつのいとぐちとしては、やはり児童性であろう。
 この作品のテーマは報いられない仕事の歌であった。しかし、この庶民の悲しさは、それぞれの時代を背景とした悲しさとしては子どもに理解されまい。いうまでもなく、子どもは、そうした時代についての、社会的知識は持っていないのだ。つまり、この作品は子どもの感受性には訴えるが、彼ら自身の持っている知識教養のなかで、彼らの現在の生き方を示すには至らないのだ。そうかといって、ぼくはこの作品に価値がないというのではない。のち、おとなになって、この作品を思いおこす時、ああそうかとうなずくのも、児童文学の価値であり、そしてこの作品はそれだけの強さを持っている。しかし、子どもの現在に働きかけ、さらに将来になっても心に生き残るものこそ、ほんとうの児童文学ではなかろうか。そうした意味で、この作品はまだなお児童文学として確立しない未分化の要素を持っている。
 その未分化の立場、つまり子どもには感受性としてしか理解されないこの作品の児童性は、おとなのなかの児童性である。そして、おとなの児童性とは、少年の日の願いの世界、はるかな国へのあこがれが生きのこっていることではなかろうか。それは、少年の日への郷愁であり、そして、少年の日を思う時、民話の世界のなかで育った作者の幼時の感動が純粋に復帰したために、この作品は民話的発想をとったのではなかろうか。ここに、ぼくたちは民話と対決しながら進んでくる日本の児童文学の姿を発見できよう。
 問題は、その対決のしかただ。哀れな民話を、哀れな民話そのものとして生かしきれなかったことだ。不可能と知りながら、願いはあきらめきれない甘さ、これは、他人のおかしを手に入れようとして、横目でおとなの顔色をうかがいながら、泣きわめく子どものいやらしさに通じている。自己は主張するが、その自己をふりかえってみようとしないのが、この作品の非文学的部分である。この作品は自己満足に傾斜しているのだ。

 作者広介は、アンデルセンに深い影響を受けたという。だが、アンデルセンは、見よ。彼は「みにくいあひるの子」のなかで、白鳥になったあひるの子に、「けっしていばりはしません。なぜなら、すなおな心というものは、けっしていばるなぞということはないからです」と、いわせる。なんという、ずうずうしさ、抜け抜けとした態度、彼は甘さに徹しているのだ。しかし、広介はそうではなかった。彼は甘さに徹しきれない。ここに、日本児童文学成立の時代の、弱さのひとつがあろう。
(小さい仲間・第二十四号・一九五七・一月)
テキストファイル化日巻 尚子