『児童文学の思想』(古田足日 牧書店 1969)

坪田譲治のしごと

静かに日の照る庭に咲いているケシの花を見て、善太はなんだか魔法が使えそうな気がしてきた。目をつむって、「ちょうよ、こい」と唱え、しばらくして目をあけると、それちゃんとちょうが花の上をとんでいるじゃないか――という作品『魔法』は、一枚の絵としてぼくに印象づけられている。絵の中央にはケシの花、その両側に善太と三平、その背景はまっくらだ。もしも、ひとふであやまれば、善太も三平もその暗い背景のなかにぬりこめられてしまう。
この背景のくらさは、未明の『金の輪』の暗さと等質だ。病気の太郎にだけ見える金の輪をまわす少年、その少年といっしょに夕焼け空にはいっていく夢を見た太郎は、翌日死ぬ。ぼくは幼時この作品を読んで、今まで気づかなかった日常生活の深淵を、ふとのぞきこんだような気がして、ぞっとした。眠っていた暗さがよびさまされたのである。この暗さの性質は、人間が闇をおそれるような原始的なものであり、感情というよりは一種のエネルギーであった。原始性、児童性、あるいは混沌といってもよかろう。
この混沌のエネルギーに方向と形を与え、人間と自然を分離したのが、譲治のしごとであった。子どもの成長過程は自然からの分離の過程であり、善太、三平童話はその意味で日本のリアリズム児童文学のなかにそびえたっている。譲治は「ひらけ、ゴマ」といえば岩がひらくと同様に、「ちょうよこい」といえばちょうがくる、原始心性の持ち主として子どもをとらえ、善太・三平はその心性による魔法遊びによって自然に働きかけ、自然と分離していくのである。未明が解放した暗さを背景に押しやり、エネルギーの一部を転換させて近代日本の子どもの姿に結集させたのが『魔法』であった。この作品は近代と原始の微妙な統一の上に立っており、そのバランスのみごとさはまさに記念碑的である。
現代児童文学には、子どもの外形・風俗の把握もたりないが、それよりも、いっそう欠けているのは、魔法を信じる子どもの心性である。譲治に不満をもつ人も、伝統擁護の立場に立つ人も、共に譲治のこの遺産を受けつぎ、発展させようとはしていないのが現状である。ぼくは、現代児童文学は一度『魔法』や『笛』に帰るべきだと思う。
だが『善太の四季』ほか数編の作品の主人公たちは死んでいく。自然と子どもは強い紐帯で結びつけられており、外国児童文学の傑作の場合、その紐帯は主人公の豊かな生命力であるが、善太・三平の紐帯は死である。死はふたたび自然に帰ることであり、子どもの成長過程が自然からの分離の過程だとすれば、譲治は、時には逆行しているのである。ぼくは幼時、善太の死により、なんど泣かされ、なんど作者をうらんだことか。
『魔法』の背景の暗さは、この死の予感のためである。暗さを背景に押しやることが、暗黒の処理方法として適切であったかどうか。一度、譲治にならされ、制禦されたはずの原始エネルギーが、彼の作品の中にふたたび噴出してくるのは、この処理方法の弱さのためであろう。
昭和二十二年一月、譲治は『サバクの虹』を発表する。草も木もなく、ネズミ一匹、虫ひとついない荒涼としたサバクに、夏のある日、銀色にかがやく雲の峰が三日の間立ち続け、七日七晩雨が降り、雨のあとには五色の虹が三日間、サバクの上に立っている。七色ではない。五色の虹のぶきみさを考えるがよかろう。この作品は戦後の廃墟を描いたものといえる。そして廃墟というのは、焼けあととともに人間の心の荒涼とした風景である。譲治はここで自然の荒涼と人間の荒涼とを同一のものとしてとらえたのである。一度、制禦され、人間と自然に分離された原始エネルギーは、また混沌に帰ったのであった。この作品はかつて『金の輪』がぼくに果たした役割を、現代の子どものために果たすのではなかろうか。
そして、『サバクの虹』をはじめ、『びわの実』『岩』などが解放するエネルギーは、善太・三平童話がよびおこす調節されたエネルギーとくらべて、比較にならないほど大きい。譲治はエネルギーの根元としての原始的自然をとらえることができた。だが、それはおとなの文学としてすぐれたものではあっても、児童文学に必要な、エネルギーをプラスの方向に切りかえることには、一応の成功はおさめながら、やはり失敗したのである。
譲治の作品が現代児童文学に提出している問題はふたつ、ひとつは子どもの心に原始的自然を見ようということであり、ひとつはその混沌のエネルギーをプラスに転換させる方法は如何ということである

(図書新聞一九五八・六・一四)


思想の底辺

東映時代劇「恋山彦」の原作は吉川英治である。マキノ雅弘監督の演出は古く、おそらく昭和十年代、たとえば「浪人街」という作品とかわりないのではないかと思ったが、それとはまったく別に考えさせられたことがあった。
信州伊那谷の山深く平家の落人がかくれ住み、子孫あい伝えて徳川五代将軍綱吉の時代に至り、綱吉の臣柳沢吉保の横暴のために、この平家部落も世間とかかわりを持つようになる。この設定、つまり山奥に桃源郷があるということ、これにぼくは興味をそそられた。時代小説のなかには、たしかこの設定が少なくはないはずである。
そして、主演大川橋蔵が衣冠束帯をつけ(彼は平家部落の長のひとりむす子である)千代田城内(らしい)で将軍綱吉、柳沢吉保その他の大名たちにむかって、いくつもの注文をつける。その第一は綱吉国土返上のことであった。日本全土は天子のものだから、綱吉はその土地を天子へ返せというのである。
理想郷の存在と、天子の土地という考えにはどこかで結びついているものがあるように思う。『天兵童子』で主人公天兵が孤島を抜けだしてくるのは、都へ来て天子の親兵になりたい。なぜかといえばこの戦国の世を平和にするためだという理由からである。「天皇」と考えないで「天子」と見るべきであろう。ぼくが思いだすのは「無為ニシテ化ス」ということばである。むかし、帝堯であったか、巡視していくと、老農民が鼓腹撃壌して歌っていた。「――帝徳ナンゾ我ニ及バン」。いま、ぼくの手もとには、こうした漢文の本がないので正確な引用にはならないが、この老農民のことばの前半は、日が照り、雨が降り、作物ができる――というような意味であったろうか、つまり、自然のままで自分は生活していける、政治の必要はないというようなことで、史家はこれを帝徳高く「無為ニシテ化ス」状態とし、帝王の理想像としたということである。
この無為ニシテ化スが、ぼくにはどこか小川未明とも一脈通じるところがあるように思う。天地自然の運行、宇宙の生命、すべてを司る天の代表者としての天子というようなもののつながりあいから、そう感じてくるのだが、それはさておき、ぼくのいまの問題は『荒野の魂』(斎藤了一)である。
『荒野の魂』はアイヌに対する和人の侵入という設定を取っている。アイヌ部落は平和に暮らしている。暗い影を投げかけるのは、和人上陸のしらせである。もちろん『恋山彦』とは異質の作品であるが、アイヌの生活を理想境に近いものとする考えが、ちらほら顔を見せる。
たとえば「アイヌは、どんなしごとでも、酋長といつもいっしょだ。狩の獲物も畑の物も、皆で分けあうではないか」ということば。あるいは、三代にわたるトマコマイ部落の酋長の姿がすぐれた人間、というよりも無為ニシテ化スというふうな人間として書かれている点。この物語のさいごは青年ムビアンが「神の魂をうけついだ」男になったところだが、この神と対話できたのはムビアンの祖父のタナケシであった。ぼくはこのタナケシの姿に「天子」的なものを感じとる。
『荒野の魂』は被圧迫民族の生き方を探究しようとした作品である。とぼくは思う。これは『だれも知らない小さな国』と共に、ぼくが親近感を持つ作品である。注釈を加えておくが、従来、児童文学批評では創作に甘い点をつけ、何か注文をつけると、せっかく芽生えた創作の機運をしぼませるものだという攻撃を受けるのが常であった。いま、ぼくは『荒野の魂』について、いわば欠点とも見られるところを取りだしている最中だが、この作品は批評しがいのある作品である。戦後の数編の作品について、片々たる書評しか出ないことを批評の怠慢とする考え方に接したこともあったが、ぼくはそれも取らない。批評意欲をそそる作品が少なかったということも考えてみる必要があろう。作者の書こうとしたものが批評をやる者の心を波立たせるものでないかぎり、批評は成立しない。
そこで、『荒野の魂』に帰るが、被圧迫民族の生き方の探究と同時に、英雄叙事詩へのあこがれがこの作品には存在している。このふたつが完全にとけあっていない。それがぼくには残念だ。そのようになった理由のひとつとして、ぼくはアイヌ生活の肯定をあげたいのだ。
作者はアイヌ生活すべてを肯定しているわけではない。主人公ムビアンよりも、彼の姉ペチカのほうがいきいきとしているのは、彼女がアイヌのしきたりへの反抗者であるためであろう。歴史的な照応、一方では和人が侵略を開始しようとしている。その暗い影がアイヌ部落をおびやかす。ほぼ二十年というこの不安な期間、アイヌの内部の矛盾がこの外部の状況からはっきりした姿を取ってくる。ペチカが女は狩に行ってはいけないとか、男のすることに口出しをしてはいけないとかいうしきたりを破るのは、和人の侵略という情勢に対応したものとして、彼女の姿にぼくは歴史の脈打つ音を感じるのだ。ここでも残念なことには、ペチカは後半には印象が薄れて行くのだが――。
ペチカの印象が薄れていくということ、これはアイヌ生活の肯定のほうへ作者が傾斜していったということだ。アイヌの立場に立つということと、アイヌの現生活を肯定するということは別物なのに、作者はそれを混同したようにぼくは思う。そして、この混同を招いたのは英雄叙事詩へのあこがれであったろう。英雄叙事詩の根本は原始社会のなかに存在する。そして、天地自然の運行のままに生命は形態を変えるだけで存在していくという考え方も原始社会のものである。アイヌ部落はほろんでも、アイヌ魂は生き続ける。ぼくたちは原始的な思想がぼくたちのなかに生存していることに、もっとするどく眼を向けるべきであろう。和人の侵入がなかったら、アイヌの生活は平和であったということになりかねない錯覚は、伊那谷の奥深く平和境が存在していたという『恋山彦』につながるものがあると、ぼくには思えるのだ。
この作品への興味といおうか、関心といおうか、ぼくがもうひとつ実におもしろいと思ったのは、結末である。ムビアンは父を救いに行く前に部族たちをみんな親せき?の部落へ逃がす。ペチカだけがムビアンのあとを追う。そして、全体としては、とりたてていうほどの事件はない。つまり、ストーリイ性にとぼしいのだが、それにもかかわらず、読者をひきずりこんでいくものがある。
それは何かといえば、全体が一種緊迫感を持っていて、和人は侵入してくるにちがいない、しかしどのような手段で侵入してくるかは見当もつかないという、いわば不安への期待に満ちているためであろう。そして、この長い期待のはてにおこった事件がささやかな酋長救助であり、それに参加したのは姉妹だけであったということ、これにぼくは興味をそそられる。
ぼくたちはいま相対的安定期に生きている。ファシズムへの傾斜さえ見られるのは、このぬるま湯のような世界に耐え切れないからだ。しかも、不安と危機が一見安定した時代の背後に忍びよっている。大江健三郎の『われらの時代』のなかに、皇太子に対してであったか、天皇に対してであったか、手りゅう弾を投げようとして、機を失ったアンラッキイ・ヤングメンが描かれるが、ぼくは『荒野の魂』に『われらの時代』を感じるのだ。
長い期待のはてのささやかな事件、アイヌ国(モツリ)をゆり動かす活動を期待していった読者はこの作品に裏切られる。いまは期待のはてにも、もはや胸つぶれるほどの大事件はおこらないと見える。この出口のない現実がこの作品には反映している。
この際、反映ということばをぼくはよい意味で使っているのではない。作者が英雄叙事詩を書こうとしたにもかかわらず、現実はひそかに叙事詩のあいだにもぐりこむ。叙事詩を書こうとしたのは、この現実をねじふせるためであった。だが、作者は現実をねじふせてはいない。もしも、逆にこの現実の様相を書いたなら、それはこの作品以上にすぐれたものになったかもしれないのだが。
ぼくの言おうとするところは、作者はもっと深く計算すべきではなかったかということになろうか。緊張したことばは現実の表面を滑って、その奥深くひそむものを取り落としているのである。
しかし、誤解のないようにまた言いそえておくが、『荒野の魂』がこれだけの問題をぼくに考えさせたのは、この作品がすぐれたものであることを意味している。思想の底辺に埋もれているものを、自覚しないまでも、ここまでひきだしたものは、したがって矛盾多い作品に最近ぼくたちはぶつかったことがあったろうか。最近だけではない。この戦後を通じても斎藤了一以上の年齢の作家のなかには、これほどの作品を企んだ人はわずか数人にすぎないのである。
そして、ぼくは『だれも知らない小さな国』に別の意味で思想の底辺を感じた。さらに、この二作及び『谷間の底から』に戦後児童文学運動の欠陥が実にみごとに現われており、批評をやってきた者としては敗北感を持ったこともつけ加えておこう。

(児童文学評論第二巻第三号一九五九・一二月)
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