『児童文学の思想』(古田足日 牧書店 1969)

内にある伝統とのたたかいを
ーーいわゆる未明否定についてーー

〈1〉
まず引用からはじめます。坪田譲治先生が「児童文学時事」という題で、東京新聞の一九六一年七月二十八日、九日の両日にわたって書いているもののなかからです。

 ここ数年論争の大きなトピックは、古田足日、鳥越信の『少年文学宣言』と、古田の『さよなら未明』と、そして石井桃子、いぬい・とみこ、瀬田貞二など共同製作の『こどもと文学』の、この三つです。

 ここでは坪田先生は事実をまちがって、うけとっています。たしかに『少年文学宣言』については、いくらか論争めいたものがありました。だが、『こどもと文学』については、論争といえるほどのものは、まだ出てきていません。かげでぶすぶすくすぶっているのが現状です。
 そして、ぼくの『さよなら未明』は、全然論争の材料にはなっていません。これが論争されていたら、ぼくは児童文学はもうすこしかわっていたかもしれないと思っています。もちろん、これはぼく自身のうぬぼれがあり、せいぜい児童文学批評がいくらかかわったという程度にしかならないでしょうが。
 もっとも、うぬぼれだけでもなく、ぼくは児童文学賞およびそのまわりの人びとは批評の読みかたを知らない、ということを身にしみて感じています。だから、もし『さよなら未明』が議論されたとしても、せいぜい批評がすこしかわるというぐらいのことしか期待できないのです。
 つまり、『さよなら未明』がわかりやすく書けなかったことはぼくの責任ですが、その内容をすこしも読みとらなかったのは、読者のほうの責任です。ぼくを単純な未明否定論者と思っている人は、もう一度『さよなら未明』をお読みください。
 ぼくの未明論は、ほぼつぎのことばにつくされています。

 日本児童文学の主流となってきたのは、原始心性による童話であった。原始心性は、うちに矛盾し対立した要素を含んでいる。『金の輪』に見られるやみへの恐怖というような心理と共に、原始心性には巨大なエネルギーがうずまいていたはずだ。      (『さよなら未明』)

未明はぼくにとっては「混沌」なのです。ぼくはつぎのようにも書きました。

 雲の如く高く
 くものごとく かがやき
 雲のごとく とらわれず
 未明詩碑にきざまれたことばだが、これは現代人の心ではない。行雲流水というような枯淡な心情でもない。おおらかな原始心性なのだ。

 一木一草に永遠の生命を感じる原始心性が『月夜とめがね』の幻想を作り出す。指を傷つけた少女は、おばあさんのめがねを通して、こちょうになる。おばあさんは、こちょうのむすめを裏の花園に案内していく。この作品には明るい生命力があふれている。そして、この生命力は、他の、暗いかげのある作品にも共通の生命力である

この『小川未明の永遠』を、ぼくはつぎのように結びました。

 ぼくのいいたいのは、永遠に対して原始心性で取り組んでいったところに、未明童話が生まれ、そのテーマはアジアを描くものに発展する可能性を持っていたにもかかわらず、未明の思想を抜きにした近代童話の形式的発展はテーマも、スタイルも共に十分にはのばし得なかったということである。

 未明の後継者たちといいますか、それとも未明の追随者といいますか、その人びとは未明の混沌から何もくみとらなかったようにぼくは思います。未明の暗さを現実化した坪田譲治ひとりだけが、その発展の道すじにいるようです。
 ぼくにとって未明が問題であったのは、まずその暗さでした。つぎには、その方法でした。原始心性の直接的燃焼の結果として未明童話は生まれ、持続的ではないために、そのかたちは詩に近く、散文は生まれません。この方法に対する児童文学者、児童文学志望者たちの盲信が日本児童文学の発展をさまたげています。
 しかし、この盲信にはそれなりの内的理由があります。人がものを書こうとするとき、おとなでありながら子どもにむかってものを言いたい、または小説ではなくいままで童話といわれてきたものをえらぶということは、それ相応の理由がなければなりません。大ざっぱにいえば、いままでその理由の大部分はその人が自分の内に多分に未明的心性、広くいえば児童心性・原始心性を持っていたからです。
 暗さも方法も未明だけの問題ではないのです。ぼく自身を児童文学にむかわせるもののなかに、この未明的な暗さも方法もひそんでいるようです。
 そして、未明の暗さがあかるさとつながっていることは、さきの引用どおりです。混沌からのこのあかるさを分離させていくのには、新しい方法をみつけなければなりません。
 これが『さよなら未明』のテーマでした。そして、未明にさよならすることは、未明の価値否定ではありません。また、なかなか簡単にさよならはできません。この際、未明は外がわにあるものではなく、自分のうちにあるものですから。

〈2〉
 以上のように、ぼくは単純に未明を否定しているのではありません。第一、ひと口に未明否定といいますが、「否定」というのは具体的には、どういうことなのでしょうか。
 その否定の形が一番はっきりしているのは、鳥越信です。おどろくほどの明快さです。鳥越はいままでの児童文学史(これは書かれたものだけではなく人びとの頭のなかにあるものをふくむように思います)上の未明の位置は、千葉省三がしめるべきものではないか、と言っています。(小峰書店・『新選日本児童文学・大正編』解説)
 その理由は、未明童話は児童文学ではないからです。鳥越は未明を「傍系のおとなの文学」(東京新聞・36・7)と考えているからです。
 ここを手がかりに鳥越の考える児童文学史を想像してみると、未明の名は片すみにしるされるのがやっとという児童文学史がうかびあがってきます。
 この考えかたは歴史を固定化して見るものです。未明的発想というものは別問題にして、未明個人の直接的間接的影響が日本の児童文学におよぼした力は、けっして小さいものではありません。日本という国の児童文学発展のあとは、この鳥越式児童文学史ではたどることができなくなります。
 そして、いっそうまずいことには、鳥越は今日の日本児童文学をいびつなものとして考えています。未明のしめる位置を小さくすると、このいびつな児童文学がどのようにして形成されてきたのかという、かんじんかなめのところがぬけおちます。
 つまり、鳥越は未明を否定したのではなく、除外し、結果として敬遠してしまったことになります。事実の無視ということは、菅忠道がしばしば未明否定論者にむかって説くところのものですが、ぼくは菅さんのような意味で鳥越の事実無視を批判しているのではありません。児童文学史家であるはずの彼に事実を無視させたものは、さきに言った歴史の固定化であり、あるいは西欧児童文学史の法則を日本にあてはめようとする図式化であり、もっとも根本的なものは、未明と対決する姿勢がなかったことです。
 ぼくの年来の親友の鳥越がこういう姿勢しか持っていないことは、ぼくにははなはだ残念なことですが、この鳥越の態度はじつは多くの未明肯定者の態度に通じています。
 未明を水か空気のように無批判にうけいれている人びとがいます。積極的にその価値をみとめるのでもなく、いままでいいつたえられたヒューマニズムとか美とかあこがれとか、そういうものを盲信している人びとにとって、未明はやはりあってなきにひとしい存在です。
 既成観念によりかかり、自分の目で未明を見ようとしない人びとですから、未明否定論が出ても、その否定論に挑戦しようとはしません。この人びとにとっても、未明は敬遠され、除外されているのです。
ところで、未明と千葉省三をいれかえろという鳥越発言は、未明童話がおとな的なものを多分に持っているということの発言でもありました。『こどもと文学』にも、またぼくにも共通するのは、この点です。未明童話はたとえば、『くまのプーさん』にくらべて、おとな的なものです。
 未明童話がおとな的だということは、むりのないことともいえます。未明童話は日本児童文学の神代のころのものですし、そこに日本の社会の条件がいろいろと結びついて、子どものものになり得なかったのです。
 だからといって、未明童話が全然児童文学ではないとするのは、おかしいことです。ぼくは未明童話を「未分化の児童文学」だと規定しました。おとなの文学から完全に分化していない児童文学という意味です。これは、坪田譲治についても同様のことがいえます。ただ未分化の程度が、譲治では未明よりすくなくなってきています。
 ぼくは、たびたび書きましたが、子どものとき、未明の『金の輪』を読んで、人生の深淵をのぞいたような気がしました。善太・三平に自分自身を見ました。そして、この感動はたとえば『坊ちゃん』の感動とは異質のものでした。未明や譲治は、当時たしかに児童文学であったわけです。
 だが、時代とともに文学も変化し、発展します。できるだけ子どもに理解されるようにという、見はてぬ夢を追って、児童文学の技術は進んできています。
 最近の児童文学、ことに『母の友』にのっているような作品や、『びわの実』の人たちの作品は、その技術の進歩をもっともよくあらわしています。未明の技術は、今日のかけだしの新人の作品におよびもつきません。児童心理に適した児童文学のつくりかたというものが、ひろがってきています。
それを幼児、低学年を対象にして、理論的に整理したのが『こどもと文学』の果たした大きい役割だと、ぼくは思っています。
 だが、作品が児童心理に適したようにつくられるということと、それが文学になっているかどうかということは、まったくべつの問題です。技術の進歩はかならずしも文学の進歩ではありません。おなじく創作とよばれても、ここ数年間の単行本に未明童話に匹敵する、またはそれに肉迫していく文学がどれだけあったでしょうか。
 もちろん作家には資質の大小ということもあり、一般的にいい作品が出ないのはこまるという言い方は、無責任です。だが、表面的なストーリーがあるとか、幼児の心理に適しているとかいうだけの作品では、こまります。
 桑原武夫はトルストイの『芸術とはどういうものか』から引用して、「誠実さ」を、すぐれた文学の条件の一つにあげています。
(『文学入門』)。誤解のないように言いそえれば、この「誠実さ」は作家の私生活の誠実さのことではありません。桑原は「作者が対象に全人的インタレストをもって働きかける」ということを「誠実さ」の意味としています。
 資質の大小は問題ではありません。この「誠実さ」が足りず、したがって文学性が低くなっていく傾向が、いまの児童文学に見られることが、問題です。「子どもの文学はおもしろく、はっきりわかりやすく」という『子どもと文学』の主張は、日本の児童文学のさまざまな欠点と同時に、文学性もタライの水ごとすててしまいそうな方向を持っています。
 ぼくが『木かげの家の小人たち』や『だれも知らない小さな国』に感動するのは、それらがファンタジイだからではありません。ともに戦争体験から出発し、その戦争体験を作者自身のものとして消化しようとする、その「誠実さ」がぼくを感動させる大きな要素の一つになっています。

〈3〉
 未明否定ということの内容をもっと具体的にしてみるためには、つぎの三つの場合を想定してみなければならないようです。第一は、その時代に未明が子どもと児童文学に対してどういう役割をはたしたかということであり、第二は未明童話と現在の子どもの関係であり、第三は作家未明と未明童話は今日の児童文学創造にどうかかわっているか、ということです。
 そして、その前提となるのは、未明に対する盲目的追随をすてることです。盲目的追随からは、なんの発展も生まれません。今日、ぼくたちは未明の形式以上に子どもの心に浸透していく児童文学の技法を知っている、ということは認識すべきでしょう。
 ところで、いまあげた三つの問題のうち、第二の問題が一番簡単デす。いまの子どもたちはかつてのぼくのように未明から強烈な影響をうけとることがすくなくなってきたようです。また読書の数もへってきました。読書の年齢もしだいに上のほうにあがっていっているようです。時とともに、この傾向はしだいに進んでいくものと思われます。さいごに少数の読者がのこるかどうかということだけが問題です。
 これはけっして未明や譲治の価値を小さくするものではありません。ピーターパンはもうぼくにも読むにはたえないし、くまのプーさんも、古いとしか感じられません。
 第一の問題がいわゆる未明否定論の中心点になっています。ここをわりきっていえば、未明はマイナスの役割をはたしたというのが、いぬい・とみこです。ただし、いぬいさんの未明論(『子どもと文学』所収)は第三の問題と切りはなして考えることができず、ぼくの未明論もほぼいぬいさんとおなじ第一、第三の両方に足をかけています。
 この立場に対して出される批評が、さきにぼくが鳥越に対して言った「事実無根」ということばです。ぼくはこのことばをうけつけません。
時代がこうだったのだから、こうなるのはしかたないということをみとめろ、というのが「事実無根」ということばの内容です。これは批評を拒否することばです。
 「時代のためにこうなった」という、その「こうなった」の内容こそがぼくの問題です。つまり、未明童話にはなぜおとな的なものが多くのこったのか。なぜ暗さのほうが強く、あかるさのほうが弱いのかなどという問題、これを時代のためと言ってしまうのは、あまりにも簡単にすぎます。
 そして、たとえばおとな的なものが今日の作家からも生みだされていることから、その根源を未明にさかのぼって考えることが、ぼくの場合、必要になってきました。
 未明童話が「子ども不在」の文学だということを、いぬいさんは童心ということばをつかって説明しています。未明は、おとなにも子どもにも共通の童心という観念を想定して、その観念を通してものを見、生きた子どもとの交流はうしなわれた、という説明です。
 いぬいの未明論は『子どもと文学』の諸論文中、もっともおもしろいものでしたが、この「童心」説には、ぼくはさんせいできません。白秋の「童心」と未明の「童心」とは異質のものですし、「童心」をすてたはずのその後の作家たちーープロレタリア児童文学から生活童話の作家たちも、やはり子ども不在の文学を書いたことは、「童心」説では説明しきれません。
 今日、四、五十代の作家たちはもう、児童文学は子どものためのものということを知っています。だが、やはり子ども不在の文学が出てくるのはなぜか、ということです。その好い例が『ノンちゃん雲にのる』です。「ノンちゃん」はじつに多くおとな的なものをふくんでいます。部分、部分は子どものものであっても、全体をつらぬくものは郷愁です。「ノンちゃん」が完全に子どものものになり得なかったのは、なぜでしょうか。「ノンちゃん」では例が古すぎるかもしれません。『木かげの家の小人たち』に例をとりましょう。この作品がぼくの心にずしりと重くこたえているのは、この作品のそこを流れる、戦争はいやだという母親の心情のためです。
 この作品の文学性は、この母親の心情によって支えられています。そして、この母親の気持ちは善太・三平にあらわれる父親の気持ちと等質です。
自分のモティーフを完全に子どものものにすることができない、という弱さをぼくたちは持っているのです。だからこそ、ぼくたちは未明と対決しなければならないのです。自分の心のなかの未明に対して、です。
 ただ、この際『ノンちゃん』や『木かげの家の小人たち』の作者の対決すべきものは、かならずしも未明ではないでしょう。これらが子どものものになり得ないのは、未明的なもののせいではなく、もっとべつの要素だからです。ひと口にいえば、土着性との対決および、その上に立っての発展が、ぼくたちには必要なのです。

 技法的な面では、ぼくたちはもう未明に学ぶことは何もありません。かえって、その直接的な自己表示、おとなの自分をなまのまま出すというやりかたは否定されなければなりません。
 また、子どもを弱者と見る、いわゆるヒューマニズムも否定されなければなりません。
 だが、未明のいう「至純な感激」つまり全人的インタレストで対象に働きかける態度は、今日、強調しなければならないことです。
 ぼくは未明の大きさを、はるかな山を見あげる気持ちで見ることがあります。不安とか、危機とかということばで、現代が説明されることがありますが、未明の暗さは、不安や危機という小さなものではなく、はてしない絶望でした。そして、その絶望は希望につながっています。
 未明の絶望をこえるあかるさをつかんだとき、ぼくの未明否定は完了するでしょう。そして、そのあかるさは『さよなら未明』や『小川未明の永遠』いったように未明のなかにあります。くりかえしますが、未明は「混沌」だったのです。
 ぼくは「子どものもの」をつくるためのことと未明との関係だけに、紙数をつかいすぎたようです。偶像未明はこわさなければならないからです。ぼくは、未明につながる人びとが未明の混沌を発展させなかったことに、腹を立てています。偶像崇拝からは何も生まれません。未明の本質は見うしなわれました。
 たとえば、『牛女』のテーマを親子の愛情と読むことに、ぼくはあきれはてています。これはエゴイスチックな母親のふくしゅうの物語です。子どもに対する、それこそ不合理ないかりで、牛女は子どもにふくしゅうしています、また、人魚の暗いふくしゅう、これが、どれだけその後の児童文学に生かされたでしょうか。
 おばけを書くことのできる作家は数えるほどになってしまったばかりではなく、そのおばけも小さくなってしまいました。ゆうれいは絶滅してしまったように見えますが、まだ南海の底深くには、いやぼくたちの身辺にも、ぼくたち自身のなかにも、死んでも死にきれないゆうれいが存在しているということのほうが、はるかに現実的なのです。
 ぼくは未明の詩「海と太陽について書きました。

  この詩には原始的なエネルギーが満ちている。今日、ぼくたちは エネルギーということばに火花を散らす尖鋭さを感じることが多いようだが、原始のエネルギーはより巨大である。その意味では、くたちは未明のこの詩に帰らなければならないし、さらに神話に帰らなければなるまい。(中略)そのためには、原始心性そのものを対象化してみなければなるまい。伝統との戦いということは資質と方法のとっくみあいのことなのだ。そぼくな自己表出とは、未明の前述の詩も含めて、さよならを告げるべきである。
                   (『さよなら未明』)

 もうひとつ、というよりくりかえして言います。時代と未明との関係で、ぼくがもっともおどろくのは、未明の独創性です。新しさといってもいいでしょう。もちろん未明の全生涯を通じて未明は新しかったという気は、ぼくにはありません。いぬいさんのいうように、未明のすぐれた作品はその初期のものにかぎられています。
 だが、この未明の「新しさ」と時代との関係という事実を、盲目的な未明肯定者たちは無視しているようです。未明はその時代において、ひとつの新しいスタイルを創造しました。もし未明精神を口に出すなら、未明と同様に今日、新しいスタイルを創造したら、どうでしょうか。
 つまり、今日、いくらかでも新しく感じられるものは、未明とはちがったところから出発した人びとによってつくられてきました。山中恒もいぬい・とみこも未明童話とは無縁です。
 そして、未明の良き伝統、たとえばさきに言った「永遠」は、平塚武二の『太陽よりも月よりも』あたりで消えるようです。平塚さんが未明の影響下にあるということではありません。これもくりかえしですが、未明の発展の上に立った児童文学は今日まだ生まれていないということです。伝統を否定して生まれる新しさもあれば、伝統の発展の上に立つ新しさもあるはずなのですが。
                 (日本児童文学一九六一・一〇月)

テキストファイル化山児 明代