『現代児童文学論』(古田足日 くろしお出版 1959)

「くもの糸」は名作か

1 「くもの糸」に対する三つの見解
先日、国文学者の片岡良一氏がなくなった。ぼくは氏に一度会いたかった。たずねてみたいことがあった。芥川の「くもの糸」のことである。
大正七年「赤い鳥」の創刊号に発表されたこの作品は、一般に名作として評価されている。たとえば、関英雄氏は「『くもの糸』『白』では人間に本質する利己心と、その克服のたたかいを比喩的な空想形式のなかに(特に『白』で)克明簡潔にえがき出している」といっている。高山登氏は、「芥川の童話は質的にすぐれたもので、珠玉の佳篇といってよい」といい、「くもの糸」そのものについては「人間のエゴイズムの救われがたい点を衝いたものだが、極楽のシャカの慈悲と地獄のカンダタの無慈悲の対照が見事で、極楽の蓮池の描写はすばらしい」といっている。
ところが、片岡良一氏の意見は、このふたりに代表される一般的評価――もっとも関さんの場合は(特に『白』で)というところに「くもの糸」に対する疑いも発見されるのだが――とは対照的なものである。片岡氏は次のようにいっている。
「ふとしたことからカンダタが汚い我慾を発揮したため、彼は手痛く罪せられて地獄につき落されてしまう。明白な勧善懲悪であり、人間が人間以上の或る大きな力に見張られたり、支配されたりしている世界の物語ではないか。」
このふたつの意見のまんなかあたりに、菅忠道氏の考えがある。菅氏は「(大正期の)文芸童話の思想性は、進歩への意欲としてばかり現われていたのではなかった。たとえば名作として今日に残っている芥川竜之介の『くもの糸』にしても『杜子春』にしても、人間の利己心を、おろかなむなしいものとして描いてはいるが、人間の本質とはこのようなものだと、あきらめてしまっている。批判者は、自我にめざめた人間ではなくて、仏陀であり、仙人であった」という。
そして、ぼくは、片岡氏の意見に、もっとも近い考えをもっている。ぼくは、「くもの糸」は名作ではなく、「珠玉の佳篇」でもなく、二流の読物だと思う。
なぜ二流の読物と思うのか、その理由は後述するが、そういう立場に立った時、高山氏のいう「蓮池の描写のすばらしさ」は、どういうことになるのか。これを、ぼくは片岡氏にたずねてみたかったのである。また「人間が人間以上の或る大きな力に見張られたり、支配されたりしている世界」と氏がいう時、「或る大きな力」は何をさしているのか、ということもたずねてみたかった。おそらく、氏は、菅さんのように「批判者は仏陀である」と考えていたように思われる。しかし、ぼくは、仏陀をも支配する力を、この作品に感じるのである。
ぼくが、氏にたずねたかったのは、小さくは、以上ふたつのこと、大きくは専門の児童文学者さえもが名作と評した「くもの糸」を「旧臭い勧善懲悪主義」と呼ぶ、卓抜した見解の持ち主であった氏が、日本の児童文学の進むべき方向をどう考えているかということであった。
しかし、氏は、もうこの世にはいない。ぼくは、ぼくなりに「くもの糸」についての見解を投げ出さなければならなかった。

2 児童文学史的位置(1)
まず「くもの糸」の児童文学史的位置から始めよう。この作品の発表された大正七年当時の児童文学は、ひと口にいえば「説話」の時代である。といえば、あるいは疑問をおこす人もあるかもしれない。大正期は童心文学開花の時代ではなかったかと。しかし、童心文学が生まれるのは、大正も終わりに近くなってのことである。事実について考えれば、宇野浩二の有名な諸作「ふきの下の神様」「王様のなげき」「春を告げる鳥」は童心文学ではない。そして、思想的には童心文学の先駆者である秋田雨雀の「太陽と花園」「白鳥の国」「仏陀と戦争」などを考えれば、これらに共通するひとつの特徴が自然に浮かびあがってくる。何かといえば、物語性とでもいおうか、筋の起伏波乱に富むという意味ではなく、その話の進め方が物語的なのである。これらの諸作には、近代小説の方法である「描写」が、ほとんど見られない。「説話的」なのである。
「今は昔、もうずっと昔のことですが、北海道にコロボックンクルという、妙な神様が住んでおられました。その時分はまだ北海道には日本人がひとりもいなくて、山には熊、川には鮭、そして人間といえばアイヌ人ばかりでした。だからコロボックンクルはアイヌ人の神様でした。」
「あるところに大きな花園がありました。その花園は小高い岡の上にあって、太陽がそれをよく照らしていました。花園には、主人と主人の細君と、可愛い女の子とがありました。」
「ふきの下の神様」と「太陽と花園」の書き出しだが、考えてみよう。ぼくたちが、こういう発想の文章を書くか、どうか。ぼくたちはほとんどの場合、「描写」し、彼らは「叙述」する。あるいは物語る。
児童文学の近代化の過程のひとつとして、民話・説話との対決という過程があるようにぼくは思う。外国では、アンデルセンやドイツ・ローマン派に現われているが、日本では、江戸時代「おとぎそうし」は子どものものになっていく。明治、大正の人々が、子どもに文学、読物を与えようとした時、目の前に、すでに子どものものとなっているひとつの形式、技術はなかなか生み出せるものではない。ぼくたちが、創作や論文を書こうとする時、意識的、無意識的に、まず存在する形式にたよるように、当時の人々も、すでに存在する形式から出発したのである。
しかし、重要なことは、これら大正期の諸作は「説話的」ではあっても、「説話」そのものではないということである。「春を告げる鳥」「太陽と花園」に盛りこまれた、明確な個人の思想は「説話」にはない。また、その表現も個性に裏打ちされ、近代的技巧がこらされる。大正期、説話は、変質、発展したのである。この説話の変質、発展こそが、「くもの糸」発表当時の児童文学の主流であり、「くもの糸」も、その流れの上に立っている。

3 勧善懲悪
ぼくは、なぜ「くもの糸」を、説話の発展の流れの上に置くのか。いうまでもなく、「くもの糸」が説話的だからである。では、どのように説話的なのか。
その前に、高山氏の、この作品は「人間のエゴイズムの救われがたい点を衝いたもの」という意見のことを考えよう。この作品のテーマは実にはっきりしている。自分だけを主張したカンダタは、そのためついに救われなかったということである。こう考えれば、この作品の意図するところは、善因善果、悪因悪果と考えても、まちがいではあるまい。カンダタは、生前くもをふみつぶさず助けたために、極楽からくもの糸がさがってくるのである。そして、自分だけ助かろうという、いやしい心を出すと、糸は切れる。まことに因果応報の理である。
これをさして「エゴイズム」ということは誤解を招くと思う。エゴイズムは、自我の拡充は意味していても、利己主義とはちがうものではなかろうか。たとえば、芥川は「くもの糸」を書いた同じ年、「枯野抄」を書く。芭蕉の臨終の床に集まる弟子たちの気持を書いたもので、片岡氏によれば、弟子たちの心は次のように書かれる。
「其角は師の死骸の『不気味な』みにくさに対して『烈しい嫌悪の情』を感じていますし、去来はまた芭蕉の容態を心配したり死を悲しんだりするよりさきに、自分が一日も怠ることなく、できるだけの看病をしたということに、『大きな満足』を感じているのです。」
こういう姿こそエゴイズムということばにふさわしい。一面にみにくさはもちながらせいいっぱいの個性の主張をすることがエゴイズムだと思う。だから、エゴイズムというものは、簡単に「悪」とは考えられない。自分の真実をみつめ、探求するというきびしさを持っているからである。
しかし、カンダタの行ったことは、完全に「悪」である。自分ひとりが助かろうとするカンダタの生き方は、生前の彼の行ない、「どろぼう、火つけ、人ごろし」と、切りはなしては考えられない。エゴイズムとは次元のちがう生き方なのである。
ことばの正しい意味において、高山氏のいう「エゴイズム」説は、あやまりだと、ぼくは思う。しかし、それは、たいした問題ではない。「エゴイズム」ということばは、簡単に、浅く利己主義という意味にも用いられるからである。問題は、「人間のエゴイズムの救われがたい点を衝いた」作品として、この作品が「近代文学」であることが、自明のように扱われている点である。
カンダタのやったことは「完全に悪だ」とぼくはいった。しかし、この「完全悪」は、実は、修身が教える「悪」にほかならない。人ごろしの心の底にも、人間らしく生きたい気持のあることを探りあてるのが、文学ではなかったか。くもの糸を独占してはいけない、というのは、「人には道をゆずれ」式のいい方ではないか。そしてこの「悪」に対置される「善」は、くもをふみつぶさなかったという、「生きものをあわれめ」式の善なのである。
カンダタのやり方が、エゴイズム以前、前近代的なやり方であることは、彼のことばを見てもわかろう。彼は、自分が罪人であることはたなにあげ、「罪人ども」とどなりつける。「だれのゆるしを受けてのぼってきた。おりろ。おりろ」となると、これは個人的権力者支配者のことばである。武士が百姓をどなりつけ、やくざが弱い者いじめをする時のことばとかわりないではないか。
(正確にあたったわけではないが、「だれのゆるしを受けて」という個所は、のち「だれにきいて」と訂正されたようである。)
この作品の主要なテーマは、芥川の意図のいかんにかかわらず、勧善懲悪、既成のモラルを鼓吹するものでしかないのである。この作品は名作どころか、文学というよりも読物である。エゴイズムも何も、カンダタの心のなやみ、苦しみのうちに芥川は全然はいっていかない。カンダタは人間よりも、人形に近い。カンダタは勧善懲悪に操られる人形としての役割しか与えられていない。(読物としては一流のものかもしれないが。)
「悪」は「悪」として描かれず、「善」は「善」として描かれなかった。もっとも重要な描写が欠けたのである。そして、勧善懲悪というひとつの観念を描きだすため、地獄、極楽という舞台が設定されてくる。説話というものは、「悪」なら「悪」の現象から本質を探りあてようとするものではなく、ひとつの観念を現象によって説明しようとすることを、特徴のひとつとしているのではなかろうか。
そして、近世、儒教の教えによる道徳が確立する時、説話は、そうした道徳を人々におしつける役割もはたしてくるようである。カンダタの内面描写を欠いた物語性とともに、この作品がいっそう「説話的」に感じられる理由である。

4 児童文学史的位置(2)
では、この作品は全然、文学ではないのか。その価値は、ということになると、高山氏いうところの、蓮池の描写のすばらしさが問題になってくる。

池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色のずいからは、何ともいえない好い匂いが、たえまなくあたりへ溢れておりました。
極楽は、ちょうど朝でございました。

しかし極楽の蓮池の蓮は、すこしもそんな事には頓着いたしません。
その玉のような白い花は、お釈迦さまのおみあしのまわりに、ゆらゆらとうてなを動かしています。

この文章と次の文章をくらべてみよう。

私が、近所のお友だち四五人と、礫川小学校へ行く道で、毎朝納豆売りの盲目のお婆さんにあいました。もう、六十を越しているお婆さんでした。貧乏なお婆さんと見え冬もボロボロの袷をかさねて、たびもはいていないような、かあいそうな姿をしておりました。

これは大正八年「赤い鳥」五月号に発表された菊池寛の「納豆合戦」の一部である。「くもの糸」の文章は技巧に富む。花のずいというような細かなものに目をむけ、足のまわりに、ゆらゆらゆれるうてなをとらえる感受性の鋭さにくらべて、六十すぎのおばあさんの姿は実に粗雑である。どのようにボロボロのあわせなのか、またたびをはかない足がどのような様子をしていたのかということは、すこしも述べられない。
いうまでもなく、ぼくはトリヴィアルな描写が必要だといっているのではない、芥川が「蓮の花の好い匂い」といわないで、その花のなかの「金色のずい」からにおいが出ることをとらえたやりかたが菊池にはなかったということである。
そして、当時の作品の多くは、「納豆合戦」と相似たものである。たとえば「あるところに、ひとりの奉公人をつかっている百姓が住んでいました。あるとき、饑饉年が続いたので、すっかり貧乏になってしまいました。はじめのうちは自分のとこに飼ってある牛や馬を町へひっぱって行って売りとばしなどしていましたが、そのうちにやがて金目のものは何一つ残っていなくなりました。(相馬奉三「奉公人の見た夢」・一九二五年)
これを読んでも、どのように貧乏なのかということは、読者にはすこしもわからないのである。こういう文章と比較してみる時、「くもの糸」の蓮池の描写は、たしかにすぐれている。もっとも、このことは、「くもの糸」の価値が「奉公人の見た夢」より高いということにはならない。ばかばかしい夢を実現させようとして、じゃりを川のなかへ投げこんでいつ奉公人ののんきさは、それなりに意味を持っているのである。
そして、前にもいったように、説話というものを特徴づけるひとつの要素は、描写がないということである。封建時代、あるかぎられた地域のなかで使われる「まずしい」ということばは、今日、全国一般に使われる「貧乏」ということばにくらべて、比較にならないほどの具体性をもっている。民話、説話がその土着の意味から離れ、さらにまた感情、情緒の分化がおきた時、描写は必要となってきたものと思う。
「くもの糸」は、説話のなかに描写を持ちこみ、説話を変質させようとした動きの、ひとつの記念碑として見ることができよう。
というと、それでは文学というより読み物といったことと矛盾するのではないかという人もあろう。しかし、それは矛盾はしない。「くもの糸」は、説話を変質するには至らない。部分的にあるいは技巧的に(ことに技巧的に)表現はくふうされたが、それは内容から生まれた表現の変革ではなかったのである。

5 人間の無力さ
すぐれた描写という時、たとえば、ぼくは坪田譲治の「魔法」に描かれたケシの花の情景を思いだす。
「三平はだまって、日の静かに照っている庭のほうをながめました。そこには、ケシの花がさいていました。まっ赤な大きなケシの花。黄色い小さなケシの花。白い、白いケシの花。なん十とならんで咲いていました。」
魔法が、このケシの花の庭で展開するのだが、このケシの花の情景は、ぼくを魔法の世界にひきこんでいく。日の静かに照る庭でケシの花の群れは、じっとしたまま動かないのである。その上を、ちょうが舞う。魔法が行なわれるのに、実につごうのいいふんい気である。このような気持は、おとなというより、子どものものである。子どもの立場から、この描写は行なわれたのであった。
「玉のようでまっ白」で「金色のずいからは、なんともいえない好い匂い」をあふれさせるはすの描写は、「魔法」のケシの花に比べてみる時、子どもの立場に立っていないことがはっきりする。これは、やはり造花の美しさである。近代文学のなかに、洗練された技巧を持ちこんだ芥川が、その技術を子どものものにたいしても、同じように使ったのである。しかし、最初のはす池描写と、結びに近いはす池描写とでは、また質がちがっている。最初の描写は、たしかに技巧にすぎない。結びに出てくるほうがほんものである。なぜかといえば、ここには描写をささえる思想があるからだ。
その思想は、人間の無力さ、とでもいおうか。カンダタはやみの底へ、まっさかさまに落ちていった。「後には唯極楽のくもの糸がきらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。」そこで、シャカは「悲しそうな顔」をする。
しかし、極楽のはす池のはすは、すこしもそんな事にはとんじゃくしないのである。はずは、ただ、「ゆらゆらとうてなを動かしている」ばかりなのだ。おシャカ様はカンダタを救おうとした。しかし。おシャカ様も無力であった。シャカも、「悪」をどうすることもできなかったのである。カンダタ、おシャカ様、彼らの悲しみには関係なく、時はうつり、自然の運行は続いている。極楽に、朝があり、昼があるということは、極楽をさえ支配するものがあるということだ。
こうした無力感はヒューマニズムとは逆のものである。カンダタは悪業のゆえに地獄に落ち、一度の善によってくもの糸を与えられ、また自らの悪によって、ふたたび地獄に落ちる。カンダタは、だれも責めることができない。すべてはカンダタの責任なのだ。人はすべてを自分の罪と考えなければならないのだろうか。菅忠道氏のことばを思いおこそう。「人間の本質はこのようなものだと、あきらめてしまっている。」
文学が、すくなくとも近代文学が、成立するには、作品をささえる独自の思想がなければならぬ。しかし、「くもの糸」の主要部分は、既成のモラルで裏付けられた。だから、この作品は、きらびやかな表現にちりばめられた一流の読み物ではあっても、すぐれた文学ではない。だが、そのもっとも文学的な部分はこのようにアンチ・ヒューマニズムの思想によってささえられた。そして、こうした考え方は子どもとは無縁のものではなかろうか。「くもの糸」が、説話のなかに持ちこんだ描写は、子どもを離れた技巧でしかなかった。それは、作品全体が、おとなの立場からする修身として構成されていることと、共通の基盤の上に立っているものであろう。
思想だけではなく、説話の変質においても芥川は敗れたのである。
にもかかわらず、今日、この作品が、まだ教科書にとられたり、少年少女文学全集というようなものにとられるのは、なぜなのか。ぼくは、ここにも児童文学の不振を感じる。
(小さい仲間・第二十七号・一九五七・四月)
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