『童話への招待』(日本放送出版協会 1970)

「ピノッキオ」

空想の物語の変化・発展と主人公のうつりかわりを語る上で、見のがせないのは、一八八三年にイタリアで生まれた『ピノッキオの冒険』である。
作者コッローディ(一八二六〜一八九〇)は、フィレンツェ生まれの作家だが、一八四八年にトスカナ地方の支配者であったハプスブルク家の帝国に対する独立戦争がおこると志願兵となってたたかい、また一八五九年のイタリア・オーストリア戦争にも従軍した愛国者である。一八六一年のイタリア統一以後は、教育改善に興味をもち、おもしろく読めてしかも勉学に役立つ教科書をと考え、『ジャンネッティーノ物語』(一八七六)や『ジャンネッティーノの地理学』(一八七七)などを書いた。
愛国者で、しかも子どもの教育に直接たずさわる人物がかいた『ピノッキオの冒険』には、当然、教育が国家的必要だった当時のイタリアの状態を反映して、じつに直接的な教訓がある。
ジェッペット親方の手で人形にしてもらったピノッキオは、あるけるようになったとたん、親方の手をにげだして町中をさわがせ、生みの親を牢屋へぶちこんで家にかえってくる。すると、ものいうコオロギがあらわれて
「親のいうことにそむいたり、かってにおとうさんの家をとびだす子どもには、ろくなことはありませんよ。そういう子どもはこの世でぜったいしあわせになれず、おそかれ早かれ、ひどく後悔しなくてはならないでしょう。」(杉浦明平訳、岩波少年文庫、三三〜三四ページ)
と忠告する。
ピノッキオは、結局コオロギの忠告にしたがわない。ジェッペットが苦労して用意してくれた教科書をたたき売って人形芝居にはいって学校をなまけ、あやうく火にくべられそうになるかと思えば、キツネやネコにだまされて、ころされそうになったり、牢屋に入ったり、仙女のたすけで人間に生まれかわるチャンスに、なまけものの国へにげてロバにされたりする。
ピノッキオの物語は、親や目上のもののいうことには耳をかたむけ、人間の義務としての労働をいとわず、進んで勉学にいそしみ、同情心をもち――といった人間こそ、将来幸福になれるし、まただれもがもとめる人間であると、子どもにお説教している。
ところが、このお説教の文学は、いまや世界中の子どもたちの愛読書である。それは、教訓の壁を破って、読者のつよい共感をよび、彼らをひきつけてやまない、ほんものの子どもがとび出しているからである。読者は、約束をしながら、つい破ってしまうピノッキオ、父親に悪いと知りながら、誘惑に負けてしまうピノッキオに自分とおなじ子どもを見出し、同情し、心配し、共によろこんでしまう。多分これは、コッローディがフィレンツェで送ったという自由気ままな少年時代があずかって力があるのだろう。コッローディは子どものすべてを熟知し、彼らの生き方をよしとみとめていたにちがいない。愚行を演ずるピノッキオをあたたかく見つめつづけたにちがいない。だから、子どもたちは、教訓がいくらあっても、気にしないのである。ピノッキオは、生きた子どもである。大人全体の、それから一国の要求という重荷を背負わされながら、ピノッキオは子どもの心をつかんではなさなかった。これは、子どものための文学は、子どもを真に理解する作家によってのみ書かれるべきであることと、子どもは押しつけを極端にきらうことを、あきらかに証拠だてている。
ピノッキオが木ぼりの人形であることも、この作品の成功の大きな原因になっている。生きた子どもの場合には、むきつけでいやらしいことや、常識では考えられないことも、あたまの中まで木でできているあやつり人形であることで和らげられたり、当然なことになったりする。また、読者は、自分よりやや幼かったり劣ったりする主人公の愚行を、一種の優越感と共感の入りまじった気持ちでたのしむ。その主人公の成功は、感心すべきこととなり、はげましにもなる。
ピノッキオは、強い教訓をのりこえて、子どもの本だなの永遠の住人になったが、ミルンの『クマのプーさん』(一九二六)やベイリーの『クルミさん』(一九四六)など、人形を主人公にした作品の偉大な先駆者でもある。

愛を教える学校の物語

イタリアの子どもの文学を語るとき、『ピノッキオの冒険』とならんでかならず登場するのがエドモンド・デ・アミーチス(一八四六〜一九〇八)の『クオレ』(一八八六)である。
『クオレ』は、『愛の学校』の訳で、以前からわが国では広く愛読され、現在も、世界児童文学の全集をつくるときには、かくべからざる一冊になっているのだが、イギリスやアメリカでは、良書リストに加えられていないことを、わたしたちは覚えておく必要がある。その理由は、統一された近代国家としての発足がおくれたイタリア人の、あからさまな祖国愛の表出が、先進帝国主義国であるイギリスや、孤立主義のアメリカなどに受け入れられなかったのであろう。
『クオレ』をこの本の中でとりあげることに首をかしげる人も多いと思う。というのは、この作品は、イタリアの小学四年生の一年間の日記の形をとる写実風の作品だからである。しかし、わたしは、これを「未完成の民話」だと思う。(むかし、むかしではないので、民話とした――筆者)
その理由の第一は、この作品には統一後まもないイタリアの、上は国王から、下はこじき小僧にいたる人々のありとあらゆる願望がこめられている点である。
スペインからイタリアに向かう船にのっていた一人のイタリア少年は、客の同情によってたくさんのお金をめぐんでもらい、
「このお金があれば、船のなかでおいしいものを買って、二年のあいだ、かつえとおしてきたおなかを、いっぱいにすることもできようし、ジェノヴァに上陸したら、すぐにジャケツを買って、二年のあいだ着てまわったぼろをぬぎすてることもできようし、またうちへこれをもっていけば、おやじやおふくろから、一文なしで帰ったなら、きっとひどいめにあわされるであろうけれど、それよりはいくらか人間らしく迎えられることもできようし」(前田晁訳、岩波少年文庫、四九ページ)
とよろこぶのだが、お金をめぐんでくれた人たちがイタリアの悪口をいうのをきくと、「ひとの国の悪口をいうやつから、めぐんでなんかもらうものか」と、もらったお金を、ばらばら投げつけてしまう。
物語の語り手エンリーコたちが町に出ていると兵隊が行軍していく。
「軍旗はひとりの士官に捧げられて、ぼくたちのまえを通った。ぼくたちはいっせいに挙手の礼をした。旗手はにっこりしながらぼくたちのほうを見て、手を挙げて答礼した。」(同前、八一ページ)
エンリーコの友人の父親は、ウンベルト王を迎える群集の中にいる。彼は独立戦争中、王の指揮下でたたかったのである。そして、彼は幸運にも、王と握手できる。そして人びとが「あの人は王さまに請願書をさしあげた」というと、彼は「ちがう。わしは請願書なんかさしあげなかった。わしはもっとほかに、王さまがご用とおっしゃればいつでもさしあげられるものがある。命だ」とこたえる。

以上の引用部分などは、読み方によっては危険なものである。むろん、引用のおかしがちなあやまりは、前後の脈絡がなくなることであって、以上のような愛国主義の鼓吹の背後には、民族の独立と統一維持へのねがいがある。だが、すべてがあらわに感情的にえがかれているこの作品では、やはり危険であることに変りはない。
一方、カヴールのことをのべところでは、彼が「児童を教育せよ、青年を教育せよ。――自由をもって国をおさめよ」と、死床についてなおさけんでいたことが書かれている。
たくさんのエピソードの中に、左官屋が負傷してはこばれる場面がある。そのとき、学校の生徒のひとりが笑う。すると、ひげだらけの人が、生徒の帽子をたたきおとしてさけぶ。
「帽子をとれ、ばかやろう。仕事で傷を受けた人が通っているのだ!」
謝肉祭の雑踏もエピソードの一つである。雑踏の中で、ひとりの母親と小さなむすめがはなればなれになってしまう。そのむすめは、十四、五人の紳士たちが、フランス宮廷の貴族に仮想してのっている馬車にかかえあげられ、母親に手わたされる。そのとき、子どもをだいていた紳士が、ダイヤのゆびわをぬって、「これをあげよう。およめにいくときのしたくになさい」と母親に手渡す。
このような部分には、自由・博愛・平等を基調にする健全な近代社会の精神が息づいているといえるだろう。
『クオレ』には、昔話同様に、多くの人びとの知恵・願望・希望その他が混然としてうずまいている。ちがいといえば、ここには、庶民だけでなく王侯貴族の思惑もまたまじっている点であろう。くりかえしていうが、これは学校や社会や家庭で起こった出来事を、日記にまとめた形の、つまりリアリスティックな作品である。ところが、注意して読むと、人物像がまったくの類型、つまり昔話の主人公たちと、ほぼ同じであることがわかる。
三年生にロベッチという子どもがいる。一年生の子どもが馬車にひかれそうになるのを見て助け、足をくじいてしまう。
「すると、まもなく校長先生がロベッチを両腕にかかえて出てこられた。ロベッチは頭をぐったりと先生の肩にもたせかけていた。顔は青ざめ、目はつぶっていた。だれもかれも、しいんと静まりかえっていた。ロベッチのおかあさんのすすり泣きだけが聞こえた。校長先生も青白い顔をしていたが、ちょっと立ちどまって、だいているロベッチをすこし高くあげて、みんなに見せた。すると、男の先生がたも、女の先生がたも、親たちも、生徒たちも、みんないっしょになって、さざめいた。
『えらいぞ、ロベッチ!えらいぞ、ロベッチ!』」(同前、二七〜二八ページ)
ここには、行為だけがあって、ロベッチの人物描写などはないし、後になっても、それはほとんど出てこない。そして、あらゆる登場人物について同じことがいえるのである。『クオレ』の登場人物たちは、「むかし、むかし、よいおじいさんがすんでいました」といった人物創造とほとんど変わらない手法でえがかれている。車にひかれそうな子どもを助けた子ども=勇気と隣人愛と無私の精神の持主、見栄っぱりな子ども=軽薄で自分かってな子ども、といった型で、すべての人間が創られている。だから『クオレ』が読者の心に与える感動は多くの場合センチメンタルである。
独立と統一をかちとった直後のイタリア人たちの願望は、独立戦の兵士であった一人の作家によって、ひじょうに類型化した手法で情熱的に語られ、文章として固定した。国家的な知恵や願いは、昔話のように、無数の人びとの手で淘汰されることなく、固定化してしまった。わたしが「未完成」というのはその点である。民衆の世代を重ねたきびしいチェックによって不必要なものがとりのぞかれず、情熱はさめないまま温存されたから、『クオレ』はいろいろな見方をされる。戦前戦中は、愛国、軍国といった主張にのって、これは読まれた。そして、戦後は、民族の独立といった面から、やはり評価されている。そこにこの作品の奇妙な魅力がある。
『クオレ』を偏狭な民族主義・国家主義的な産物とするのは、あやまった見方だろう。これを生んだイタリアは、当時、歴史の正しい流れに竿さしていたのだったし、また、今に通ずる正しい考えが充満していることもたしかなのである。しかし、『クオレ』を子どもの文学の古典といいきってしまうには、かなりな抵抗感がある。あふれるばかりの感傷を生む手法は、卑俗な、大衆に迎合する作品と、驚くほどの近似性をもっているからである。
『クオレ』は、使い方のむずかしい薬のようなものである。まちがえば、偏狭な郷土愛や国家意識や盲目的な愛国心をうえつけるが、正しくつかえば、子どもに与えるよい影響は大きい。子どものための文学は、民族と時代をうつすかがみだと、つくづく思い知らされる作品である。
テキストファイル化矢可部尚実