『童話への招待』(日本放送出版協会 1970)


あとがき

 この本を書くことになった直接のきっかけは、一九六九年八月にNHKテレビ「女性手帳」で語った「童話への招待」である。そのとき、とりあげた作家は、ペロー、グリム兄弟、アンデルセン、ルイス・キャロル、マーク・トウェインの五人だった。昔話の再話あり、空想的な物語あり、写実的な作品あり、というわけで、この場合の童話とは児童文学一般をさしていたことがわかる。
 今、さまざまな研究書をひらくと、子どものための文学には、童話、少年少女小説、詩、童謡などがあるとして、はっきりと童話を一つの分野としている。そして、多くの意見は童話を、昔話の再話や、昔話風な空想的な物語に限定しようとしている。
 ところが、その空想の物語の分野が、ある意味では、まことに複雑なことになっている。私が子どもの本の世界をのぞきはじめたのは、早大童話会(現在、早大少年文学会)に入会した一九四九年だったが、その頃、空想的な作品はすべてメルヘンといわれていた。その上、メルヘンという言葉は、まことに意味する範囲が広く、山村の少年時代の生活を写実的にえがいたものまで、メルヘンと評されたりしていた。
 やがて、イギリス、アメリカの児童文学理論が導入されると、こんどはファンタシーという言葉が、空想の物語全体をさすようになってきた。この言葉は、日本の児童文学の空想世界のあいまいさに対する批判の強力な武器としてつかわれたために、単にあたらしい概念としてではなく、文学の質の転換につながっていたので、浸透力がつよく、現在、日本の児童文学の世界に定着した感がある。
 しかし、あたらしく導入されたファンタシーという分野は、その後、数点のすぐれた作品をのぞいて、はかばかしく進歩していないし、現在出版されている多くの空想物語は、従来のメルヘンの概念に近いものが多い。そして、作品の上でなかなか定着しないファンタシーが 、はたして現在の日本の子どもの文学に必要なものなのかという反省もおこっている。
 私は、メルヘンといわれる作品や、ファンタシーといわれる作品がどんなものなのか、そして、その両者はどこがちがうのかを、大ざっぱでもよいから、つかんでみたいと考えた。それが、この本の約四分の三にあたる外国児童文学に関する部分である。そして、空想があいまいだといわれた戦前の日本の童話が、ほんとうに子どもに不向きなものなのかどうかも、自分なりにたしかめてみたかった。それが、日本の童話を論じた部分になった。 外国のものも、日本のものも、そうした目的につごうのよいものをえらんでいるので、かならずしもすぐれたものばかりをえらんでいるわけではない。たとえば、日本の作品では、宮沢賢治の空想的な童話など、いっさいとりあげていない。また、だいたい年代を追って論を進めているが、文学史的に前後の影響を精密に追っているわけではない。
 用語についても、私は、メルヘンというドイツ語とフェアリー。テイルズという英語をほぼおなじ意味でつかっている。私たちが、ふだんメルヘンという場合、昔話をさすこともあり、またメルヘン風な作品をさす場合もある。そこで、創作されたメルヘンとメルヘン(昔話)とを分けてつかうより、創作されたメルヘンを、もっと意味が明瞭にわかるリテラリイ・フェアリー・テイルズ(literary fairy tales)とよんだ方がはっきりすると考えたので、「メルヘン、あるいはフェアリー・テイルズ」とかまわりくどい言い方をしてみた。要は、はっきりした概念をつかんでいただきたいためなのだが、かえって混乱を生んだかもしれない。
 それがわかっていながら、わざわざ、二重のいいまわしをしなくてはならないところに、日本の児童文学の奇妙さがあるのではないだろうか。ほとんどの児童文学用語は、一般性をもってつかえないほど、一時的であったり、党派的であったりして、明瞭な概念を伝えることができない。私などはいきおい、外来語をつかってしまう。諸外国に学び、たえず、自他の比較の上に質的な向上をはかることは必要である。だが、やたらに外来語をふやし、それを安易につかうことはのぞましいことではない。一つの分野の停滞を、あたらしい言葉と概念の輸入で切りぬけ、多くの亜流をつくってさらに混乱や停滞を大きくするといった進み方も、もはやあまりけっこうなものではない。言葉なり概念なりには、それぞれ独自の歴史があり、各国の体臭がある。私が、この本でさぐりたかったことは、さまざまな国の空想の物語にある特殊性であり、そうしたものをエネルギッシュにとりこんだ日本の、やはり独自な空想物語であった。日本独自のものについては、残念ながら力及ばず、べつの機会を待つほかはないが、空想的な物語が民族性ゆたかなものであることだけは、おぼろげにでも書けているのではないかと考えている。
 この本を書くにあたっては、多くの先人たちの研究を参考にさせていただいた。特に日本の童話に関しては、菅忠道氏の『日本の児童文学』、鳥越信氏の『日本児童文学案内』、古田足日氏の『現代児童文学論』が、ひじょうな助けとなった。三氏にお礼をもうしあげたい。
     一九七〇年十月           神宮輝夫

テキストファイル化安田夏菜