『現代日本の児童文学』(神宮輝夫 評論社 1974)


〈高学年生向きの作品の現在〉

    一、せまく、ひたむきな作品群

 最近出た高学年向きの子どもの文学を考えただけで、私はため息が出る。
 『まぼろしのカステラ』(川村たかし、実業之日本社、一九七一)父親がダンプにはねられて入院したるすに、二人の息子が、あんこをねり、菓子をつくり、ついにはカステラづくりにまで手を出して、店を守っていく物語。
 『陽は夜のぼる』(山下喬子、実業之日本社、一九七一)東北の家出少年が、スリ仲間からぬけて、製靴工場ではたらきながら、夜間中学にまなぶ話を軸に、底辺の若者たちをえがく。
 『黒い船』(高橋健、実業之日本社、一九七一)船中にいけすをつくって鮮魚を買い、それを大阪方面に売っていたいけす船の盛衰を、戦前から戦中にかけてたどったフィクション。
 『もう戦争はない』(丸川栄子、国土社、一九七一)神戸から田舎町へ疎開した二人の姉妹を中心に戦争末期の庶民生活をえがいている。
 『海がめのくる浜』(山本知都子、牧書店、一九七一)観光地化の波にのみこまれそうな渥美半島のある浜辺にやってくる海ガメの生んだたまごを守る子どもたちの姿をえがいている。
 『千本松原』(岸武雄、あかね書房、一九七一)幕府の命で美濃の治水工事を行なった薩摩武士たちの悲劇的努力と、工事に参加した農民たちの行為、思惑を与吉少年の目でえがく。
 こうして、いくつかならべてみると、ほぼ私のため息もわかっていただけると思う。それにしても、児童文学の作家たちは、どうして、これほどまじめで、ひたむきで、けなげなのだろう?どの作家もどの作家も、政治、社会のひずみに目をひらけと教え、忘れられようとするあの戦争の悲惨さを伝えようとし、汚れ放題になりつつある日本をえがいてみせる。
 今、アメリカの主婦たちは、タバコの煙にさえ神経をとがらせて大気汚染を防ぐほど神経質になっているという。公害問題を書く作家は、日々自分の生活の中で公害源をとりのぞこうと神経質になっているのだろうか?そして、そのたたかいの中から切実な叫びとして、子どもの作品が出てくるのだろうか?
 いや、そんなことはあるまいと思う。それならば、なぜ、子どもの本で、これほど大上段にかまえるのだろうか?
 二、三の答えはある。一つは、子どもをとりまく(そして大人をとりまく)文化的退廃の中で、子どもたちにすこしでも真実を知らせなくてはならぬことである。そして、それは二つ目の答えとつながっている。日本の児童文学は、おそらく小川未明以来、常に子どもの人間性を否定し去ろうとする天皇制国家権力へのプロテストをつづけてきた。権力にこびたごくつまらない三文作家と三文作品をのぞいて、ほとんどいつもそうであった。だが、今もそうであるとはいえない。現在、政治、社会悪へのプロテストあるいは弾劾はいわば形式化した。
 『もう戦争はない』の作者は、「戦争とは、けっしてカッコイイものではないのだということを、わたしは、この普通の女の子である姉妹の生活を通して、知ってもらいたい。」とあとがきでのべている。戦中の中学生をえがいた『遠い朝』の田中博も、やはりあとがきで、「昭和一けた生まれの人びとにとって、戦場は、ほかならぬ自分自身の故郷に存在したのですから、なにもわざわざ、『出かける』必要はなかったわけです。戦争は、むこうのほうから、いやおうなしに『お出まし』になったのです。それも、黒くいまわしい不幸のマントをひるがえしながら。そして、戦争にはつきものの英雄には、ひとりとしてなりうるチャンスをあたえられなかったのでした。/そうと考えたとき、ぼくは、どうしても書かねばならぬ、いや、ぜひ書いておくべきだ、という、強い衝動をおぼえたのでした。」と書いている。
 新人たちが、自らの戦争体験を書かねばならぬほど、子どもの目から戦争の真実はおおいかくされ、好戦的な映画、テレビ・ドラマ等々が与えられすぎてきたことは事実である。だが、私たちが戦後をこのようにしてきたことも、悔いとともに認めなくてはならない。
 砂田弘の『帰ってきたゼロ戦』(国土社、一九七一)八八ページに、
 「『日本のおとなたちは、戦争をふせぐことができなかった。きみたちに、いっておきたいことがある。やがて、きみたちの時代がくる。だが、二どと、戦争はしてはならない。ぼくの願いは、それだけだ。』/ひげづらの飛行士は、かたの上に右手をあげた。にいさんがもった、白いふうとうのうらの文字が見えた。そこには、『昭和二十年四月十二日』としるされてあった。」とある。
 この作品は、一九八〇年の東京に、どこからともなく無人のゼロ戦の大群があらわあれ、平和への願いをこめて死んだ人びとをうらぎった大人たちを連れ去るという物語である。無人のゼロ戦が、もどるのと似たアイディアは、たしかに漫画にもあり、結末も、子どもが力を合わせてゼロ戦とたたかい大人をとりもどそうという抽象的なもので、特によい出来のものではない。だが、たたかったものすべてが正しい見とおしや平和への願いをもっていたわけでなく、また、日本を公害先進国にした今の大人の中にも、勇敢にたたかっている人もいるといった記述は、類型化した思考の横行する児童文学中やはり異色であり、また、今の児童文学を考える上での大きな手がかりを与えてくれる。
 たとえば、『もう戦争はない』に、戦後をたくされた世代の、今日に至る努力の継続を見ることができるかと、『ゼロ戦』は問いかけてくる。そして、私には、「過去、こんな悲惨なことがありました。もう戦争はいけないのです。戦争はカッコよくない。あなたたちもしてはいけません。」という声しかきけない。はやくいえば、次代への期待しか見出せない。そして、私は、今かかれている高学年向き子どもの本の大半に、この次代への期待を見てしまう。
 海がめがビニールをたべて死に、その海のよごれをいきどおったり、海がめのたまごを子どもたちが守ったりしている作品より、子どもをとりまく公害の現実は進んでしまっている。作品は、それでも、自覚ある子どもに期待している。
 日本の児童文学は、次代への期待をあまり長く維持しすぎたのだと私は思う。戦前、作家たちは、絶望的に次代に期待せざるをえなかった。戦後の児童文学は、短い一時期をのぞいて、戦前の批判精神とともに、この次代への期待をも受けついでしまった。この期待には、そして、無意識の負け犬意識もひそんでいた。最近の作品のほとんどには、この負け犬意識に便乗した自己満足がある。つまり、権力をうちたおし、現状を変革しようという意志よりも、現状におちつき、その中で、子どもの本による批判で自己満足する姿がみられるのである。これは、明瞭に一種の逃避である。
 次代への期待→自己満足→逃避のプロセスは、諸作品のいたるところにその姿をあらわしている。一九七ニ年度の課題図書『千本松原』を見よう。
 これは、宝暦年間、幕府の命令で美濃の治水工事を行なった薩摩藩の武士たちの悲劇的努力を、農民側の一人の若者を中心につづったものである。若者与吉は、すこしでも多く金をつかわせて大藩を疲弊させようという幕府の態度を感じとってなまける仲間たちと別に、堤防工事が農民全体のためのものであることを自覚してはたらき、ついに犠牲になる。権力のエゴイズム、人間のエゴイズムが渦をまく中で、みんなの幸福のためにという高度な自覚をもった人間の崇高な姿が、私から見るとひじょうに単純明快に、そして図式的にえがかれている。図式化の感は、文章の生硬さとプロットの類型性からもくるのだが、より大きくは、日本の悲劇の特徴である環境の悲劇から一歩も出ていないことが原因である。だから、私には、足尾の鉱毒事件を作品化した『二つの川』(鈴木喜代春、ポプラ社、一九七一)の方がはるかに感動的であった。
 『二つの川』の主人公作次郎は、田中正造の演説を「おっかねえなあ」と感じる年頃から鉱毒の村に育ち、やがて、いくたびかの請願闘争に破れ、最後は警官隊にけちらされ、逮捕されそうになる。だが、作次郎は「にげるんだ。だれがつかまるもんか」と決意して北海道のニシン漁にもぐりこむ。そして、田中正造の努力と村民の闘争が徹底的にたたきのめされる日がきて、作次郎も絶望と悔恨にさいなまれるに至る。
 この作品には、環境に流される人間や、環境の中で全力をつくす人間ではなく――環境を打破し変えようとする人間、つまり自発的に行為する人間が登場している。そして、こうしたキャラクターは、進歩的ポーズの自己満足の文学からはけっして生まれない。なぜなら、つぎの世に期待するとき、すでに自分たちの生きてきた軌跡を、いわば捨てているからである。児童文学は、本来、それを創作する世代が、過去から受けついだものと自らの経験から得たものを基礎に、子どもたちに語りかける文学である。狭くは個人が、広くは人類が過去において成しとげたものを語り、未来への展望をひらく力になろうとするものである。それが、惨たる敗北のみを語り、自ら加担してつくった現状を批判し、夢を子どもに託していては、けっして、創造力のある人物像などえがけない。
 児童文学は、どこかで、現状批判と次代への期待のゆ着から生まれる自己満足のパターンを打破していかなければならない。これが行なわれないかぎり、子どもの目を現実に向け、現実の真の姿を認識してもらうことはできない。さらに、ユーモア、冒険のスリル、サスペンスなども真に生みだすことはできない。なぜなら、それらすべては、人間の力と生きることの積極的意義の肯定の上にしか成り立たないからである。
テキストファイル化山下ふみ