『世界児童文学案内』( 神宮輝夫 理論社 1963)

■十九世紀以前■
十九世紀以前には、ほんとうの児童文学はなかった。十九世紀末にフランスのペローが、そして十八世紀の中頃、イギリスのジョン・ニューベリーがはじめて子どもの文学を生んだ。

寓話、神話、伝説

子どもはいつの時代にもいたが、今日見られるような子どもの本、子どもの文学が生まれたのは、十九世紀になってからだった。
 もちろん、それ以前にも子どもの本はあった。しかし、それは子どもの心の成長のためのものではなく、ほとんどが、子どもの実用のためのものであった。つまり、字のよめる上流社会の子どもや、身分は低いが僧職などにつこうとする子どもたちに、人生の実務を手引きする「礼式読本」(一四七七)などが子どものための本だったわけである。そして子どもの空想を刺激し、よろこびを与え、人格の形成に役立つような本は、子どもをなまけものにし、まちがった考えをもたせるものとして排斥された。この傾向がもっとも単的にあらわされているのは、一五五四年にイギリスのヒュー・ロードズがかいた「しつけの本」であろう。この本の中で、ロードズは両親たちにむかって、
 あなた方の子どもたちが、悪い言葉をつかわないように注意しなさい。また、子どもたちに対しては、あまりなれなれしさを見せてはいけません。そして、子どもたちが、正しいスポーツやあそびをしているかどうかを調べなさい。特にあこがれている悪癖はなにかをよくしらべて、はやいうちにやめさせなさい。子どもたちがどんな話をきいたかをたずね、聖書や、そのほかのよい本を読ませるようにしなさい。しかし、彼らが、架空の寓話や無益な空想物語やでたらめな恋の歌などを読まないように特に気をつけなさい。こういうものは、若者に大きな害をもたらします。(*)
とのべている。
 たしかに空想に対するおとなの反感は、「カンタベリー物語」の時代から、根強く存在していた。しかし、ロードズがこのような警告を出さなくてはならなかったことは、意識的に子どもの文学がつくられる以前にも、子どもの文学が存在していたことのあきらかな証拠である。
 じっさい、子どもたちは、大人のために書かれた本を、自分たちの本にしてしまっていた。そのよい例が「イソップ寓話集」である。
 「イソップ寓話集」は、ギリシャの奴隷アイソポスが書いたといわれているが、はやくからヨーロッパに伝わり、はじめは、ギリシャ語、ラテン語の教科書、あるいは読書できる階級の読物としてひろがっていった。しかし、動物の性質のするどい観察をもとにしたたくみな擬人化と、短い要領をえた物語の豊かさは、はじめから子どもの心をとらえ、すぐれた文学者のいくたびかの再話によって、徐々に子どもの本となっていった。そして、底にひめた人間諷刺によって、いつの時代にも、大人と子どもに人生の教訓を与えつづけその評判は、今日にいたるも、すこしもおとろえていない。イソップ寓話が子どもの文学に与えた影響はひじょうに大きい。十九世紀以後に生まれた、いろいろなたのしい子どもの物語の母体にもなっているし、中味のある子どもの本が商売として成り立つことを出版社におしえる力になったのである。
 イソップのほかにも寓話はあった。「ジースタ・ロマノーラム(ローマ人言行録)」は一三〇〇年頃に低ラテン語で書かれた寓話や物語を集めたもので、修道僧をめざす人びとの知識の書、あるいは教養人のレジャーの読書であったが、やはり子どもの本になり、今はもとの形では出版されていないが、多くの子どもの文学の素材になっている。
 動物のことばかりを書いた「ベスティアリ動物物語集」は、四世紀末か五世紀はじめにアレキサンドリアの一僧侶が書いたといわれているが、はじめは、二十五から三十種類の動物が登場する、宗教的寓話集だった。それが、十三世紀頃には一二〇〇種類もの動物があらわれるようになり、ヨーロッパ各国語になってひろく読まれ、その後に出版された子どものための博物史のお手本となった。
 吟遊詩人たちによってうたわれ、後に本になった英雄たちの伝説も、やはり子どもの愛読書となった。
 その一生が今もまだなぞにつつまれているサー・トーマス・マロリーが、獄中でフランス語本をもとに、独自の想像力をはたらかせてつくりあげ、その死後まもなく、キャクストンによって出版された「アーサー王の死」(一四八五)、十三世紀頃にはすでに民間にひろまっていた「ロビン・フッド」の物語、十二世紀のはじめ頃、一人の偉大な詩人によってまとめられた、サラセン軍とシャルルマーニュ大帝軍とのたたかいの詩「ローランの歌」、ドイツ伝説「ニーベルンゲンの歌」などは、極端に単純化されたモチーフ、主人公の行動性、テーマの劇的展開、色彩のゆたかさ、単純明快な表現などで、今なお子どもの心をつかんでいる。初期の人類の宇宙観であり人間観であった神話が、口づたえされた時代にも、本になった時代にも、いつも子どもの文学であったことも、うたがえない事実である。特に「ギリシャ神話」はおもしろく、現在までにたくさんの再話が出ているが、ナサニエル・ホーソンが想像力ゆたかに再話した「ワンダー・ブック」(一八五二)と「タングルウッド・テールズ」(一八五三)は特にすぐれている。
* F.J.Harvey Darton "Children's Books in England"(Cambridge University Press 1958) p45,

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