『世界児童文学案内』( 神宮輝夫 理論社 1963)

アメリカ的機知の所産・空想物語

 リアリスティックな作品群にくらべて、アメリカの空想物語は質量ともにイギリスにおとっている。その原因は、おそらく、国の新しさ、国民性、いわゆる機械文明などによるのであろう。だから、神話、伝説、民話などの世界を混然ととけあわせた壮大な別世界を創造して、子どもをふしぎな世界にあそばせながら、人世を、現代批判を語りかける豊かさはないが、独自な形式の空想物語を生んだ。その一つは、民話の形を利用して、機知にとんだ物語をひろげる作品群であり、もう一つは、汽車、船、宇宙船といった発明品を扱った作品群である。
 民話の形を利用した物語の先駆者は、歴史小説、ロマンス同様にハワード・パイルであった。パイルは、はじめ民話の再話をしていたが、やがて民話の形だけをかりて、内容は彼独自のものをつぎつぎに生みだした。ねじをまくと時計についている人形が十二のおとぎ話を語る「ふしぎな時計」(1888)や、やはり短編を集めた「こしょうと塩・子どものための調味料」(1886)は、民話の形式と構造を完璧につかいこなし、それに作者の新鮮な想像力を加えた、魅力ある本であった。

 パイルの創作おとぎ話は、ジョージ・マクドナルドやオスカー・ワイルドの世界に近いが、ドクター・シュース(シオドア・シュース・ゲイゼル)とジェイムズ・サーバー(1894〜1962)は、まったく現代アメリカの所産といえる作品を生んだ。
 王さまに帽子をとっておじぎをしたところが、ぬぐそばから新しい帽子があたまの上にあらわれ、五百の帽子が出てしまうまでは、たたきおとしても、矢で射落しても、首を切ろうとしても、帽子の出現をとめられない「パーソロミュー・カビンズの五百の帽子」(1938)や、ぞうがとりのたまごをあたためてかえしたら、はねのはえたゾウ鳥が生まれたという「ソウのホートンたまごをかえす」(1940)で、ドクター・シュースは、奇想天外な着想と風刺とをたくみに融合してゆかいきわまる物語を子どもたちに送った。
 サーバーの「たくさんのお月さま」(1943)は、王女さまが月をほしがるという民話的発想ではじまる。魔術師や学者がいくら首をひねっても月をとる方法を考えつくことができないので、道化師が王女さまにたずねると、月とは金でできていて、おやゆびと人さし指の間に入ってしまうほど小さいという。そこで、かじやがまるい金の盤をつくる。それで月をとることは解決するが、さあ今度は本物の月が出てくることが心配になる。あれこれ考えた末、もう一度王女にきくと、古いものがとれれば新しいものが出てくるから、もう一つ別の月が空に出るのは当然とこたえ、めでたしめでたしとなるのである。
 王女さまのいかにも子どもらしい想像力とおとなの型にはまった思考との対比から生まれる諷刺がテーマだが、民話を熟知した物語の組立て、軽妙で表現力に富むことばづかい、ウィットユーモアなどが、ふしぎな雰囲気をもつ現代おとぎ話の世界をつくっている。「十三の時計」(1951)「白いシカ」(1946)なども忘れられない作品である。
 科学的思考と空想とが一体になった物語の先駆者は、ライマン・フランク・バウム(1856〜1919)の「オズの魔法つかい」(1900)であろう。カンサス州の草原の少女が竜巻にまきこまれて気絶し気絶している間に小人や魔法つかいのいる国につくという着想や、大きな頭や火の玉に変身する大魔法つかいオズが、じつに機械じかけの手品をつかう小さなおじさんという結末には、アメリカ的想像力の発芽が見られる。寓意の平凡さはなんといっても大きな欠点だが、マージェリー・フィッシャーは「幸運にも、ちじめられていないほんとうの、オズの王国の物語を読んだ人なら、だれでも、フランク・バウムが機械や化学実験からひきだしたすばらしいユーモアと興奮とふしぎをおもいだすでしょう」*と評価している。
 このアメリカ的発想が実を結んだのが、ウィリアム・ペネ・デュ・ボアのニューベリー賞受賞作「二十一の気球」(1947)である。気球にのってサンフランシスコを出たウィリアム・ウォーターマン・シャーマン教授がクラカトア火山島のふしぎな国に不時着し、火山の爆発にぶつかったおかげで四十日後には二十一の気球の残骸とともに大西洋岸にいた、そのなぞをときあかす講演の形をとる物語の構成のたくみさ、常識に肩すかしをくわせるおかしさ、奇妙な発明品が生む創意工夫への刺激、ロマンス愛好心を刺激する空想的冒険など、多くの読者をよろこばす要素をもっている。
 ルイス・スロボドキンが年少の子どもたちのために文と絵の両方をかいた「リンゴの木の下の宇宙船」(1951)も、この分野に入る佳作の一つであろう。流れ星が落ちたと思って家のうらのリンゴの木のところにいってみたら、マーティニア星の空とぶ円盤がついている。マーティニアでは原子力はミシンにしかつかわれない古風な動力源で、宇宙船はズリアノマチクローム線が真空中で爆発する力でうごく。ところが、そのふしぎな線がなくなってしまうところから、マーティニア人と地球の子どものおかしな騒動がはじまるのである。
 「二十一の気球」も「リンゴの木の下の宇宙船」も、一見とんでもないふざけたたあいない話なのだが、たとえばクラカトア島の労力節約機械が、今日実用化されているといったふうに、物語の中の科学的部分がかならずしも作者の突飛な空想ではないと思わせる信服力に満ちている。
 ハーディ・グラマトキイが小さなひき船の海の冒険をえがいた絵物語「小さなひき船ツート」(1939)や、バージニア・リー・バートンの「マイク・マリガンと蒸気シャベル」(1939)なども、小さい子どものための科学的空想物語といえるだろう。
 汽車や船よりも、もっと日常生活的なものも空想物語の主人公として登場している。
 マージェリー・ビアンコは、おもちゃのうさぎが、しんから子どもにかわいがられてほんもの、つまり生きているうさぎに変わる「ビロードうさぎ」(1922)と、おもちゃの木のいぬを主人公にした「かわいそうなチェッコ」(1925)をかいた。幼い子どもたちがだいじにしているおもちゃにもつ愛情がそのまま物語になったといってもさしつかえないもので、直接に幼児の心にうったえかけるものをもっている。
 生きた動物を主人公にした物語には、ロバート・ローソン(1892〜1957)のニューベリー賞受賞作「ウサギの丘」(1943)と「ウサギのらバット」(1949)がある。ウサギの丘の小さな動物たちと大きな家に引越してきたあたらしい一家との交情をえがいた前者と、ウサギのラバットが、小人にねがってつぎつぎにしっぽをかえて失敗する話を語った後者は、共に、現実的でありながら空想的雰囲気をも持っている美しい作者自身のさし絵にかざられ、声に出して読んだ時にはじめて正しく評価できるといわれるほど流麗な文体をもっている。するどい観察にもとづく動物たちのたくみな性格描写、笑いをさそう事件の展開、全体をながれるあたたかな感情などは、ローソンが画家としても傑出した人であったことを示している。
 キャロライン・シャーウイン・ベイリーは体が木の枝で頭がクルミでできている人形を主人公ににした「クルミさん」(1946)でニューベリー賞をえた。持主の少女が引越したためにニューハンプシャーのいなかの冬を一人ですごさねばならなくなったクルミさんが、つらい季節をどう過ごしたかを語るこの物語は、しっかりもののいなか女クルミさんに象徴されるいなかの自然と動物たちが、新鮮なおどろきをもってとらえられ、それがむだのないきびきびした文章で表現されている。石版ずりのすばらしいさし絵ととけ合って、土のゆかたさを子どもたちに実感させる。
 いなかを舞台にした空想物語には、E・B・ホワイトの傑作「コブタとクモ」(原名「シャーロットの巣」1952)がある。子ブタのウイルバーがブタの運命を知ってなげきかなしんでいると灰色グモのシャーロットがなくさめ、うでを発揮して、ウイルバーをほめる文字を巣にかき、人間をしてウイルバーを奇跡のブタと考えさせて、ブタの運命からのがれさせてやる話である。作者は奇抜な着想をつぎつぎに展開させて、農家の家畜小屋の世界をリアルに、しかもユーモラスにえがきながら、人生の意味や自然の知恵と恵みを暗示している。アメリカの空想物語にはめずらしいきめこまかさと深い寓意をもち、それでいてひじょうにアメリカ的なこの作品は、今世紀のアメリカが生んだ空想物語の傑作といえるだろう。
 しかし、なんといってもすばらしいのは、ヒュー・ロフティング(1886〜1947)の「ドリトル先生」シリーズであろう。イギリスの評論家マーカス・クラウチがこのシリーズについて、つぎのようにたくみにまとめている。
 ドリトル先生物語は最上級の創造的作品といえる。「ドリトル先生」は戦争の産物である。イギリスに生まれ、若くしてアメリカに帰化したヒュー・ロフティングは、1916年にイギリスに帰って軍隊に入った。ざんごうの中では、家にいる子どもたちへの手紙を生き生きしたものにする材料などほとんどみつけることができなかった。しかし、彼は動物、ことに馬が戦争で果たす役割にひじょうに興味をもつようになった。馬が負傷すると、その忠誠のむくいが小銃弾であることはまことに不合理なことに思われた。なぜ馬のための外科医がいないのだろうか?たぶん馬語を話せる医者がいないからだろう。この思いつきから、沼のほとりのバドルビーに住むドリトル先生の物語をかいた手紙が生まれた。ドリトル先生は、動物にうちこむために人間の診療をあきらめ、さかなの言葉まで独習した。これは、子どもの本の中ではまれに見る、まったく独創的な着想の一つである。
 不滅のドリトル先生シリーズの第一作は1920年にアメリカで生まれ、1947年に作者が死ぬまで、ながい物語の流れがつづいた。長年の間、ドリトル先生を中心に全神話が展開してきたので、その名をおぼえている読者がふえ、とにかく、後の方はひじょうにたくさん売れた。ドリトル先生物語は、できあがりよりも着想のほうがすぐれているといえるだろう。話がたいくつなこともしばしばある。しかし、ユーモアと人道主義が、じつにたくみにとけあって光をはなっているので、目に立つ欠点がありながらも、何世代にもわたる愛読者をもっている。このシリーズのひどくまじめなおかしさ、堅実味、基本的な健康さ(ファンタジーは基礎的着想にはあるが、物語の細部にはない)は、子どもに直接的、永続的にうったえるものをもっているからである。**
ドリトル先生シリーズは、1920年の「ドリトル先生アフリカゆき」(原名「ドリトル先生物語」)にはじまり、死後、夫人によってまとめられた「ドリトル先生の楽しい家(原名「ドリトル先生のバドルビーの冒険」1953)まで全部で12冊が出版されている。
 一方、アメリカではめずらしい本格的なファンタジーも生まれている。キャロル・ケンダルは、山にかこまれた平和な国に住む、ミニピンという小人の保守的なくらしと、外界からおそってくるキノコ人の不安とを対比させた物語「ガミッジの聖杯」(1959)をかいて、ニューベリー賞次点となった。仮空の国と仮空の人種たちのありさまが目に見るようにあざやかにえがかれた想像力ゆたかな作品である上に、偏見と停滞に対する痛烈な諷刺、現代の不安にうらうちされているすぐれた物語であった。

* Marrery Fisher "Intent upon Reading"(Brockhampton Press,1961)p 191.

**Marcus Crouch "Treasure Seekers and Borrowers(The Library Association,London,1962)p 46~7
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