コドモの切り札

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大きなコドモの物語

甲木善久
           
         
         
         
         
         
         
     
 今回も浅田次郎『プリズンホテル』『プリズンホテル秋』『プリズンホテル冬』(徳間書店)の話である。
 さて、先週は、読んでいない人に気を遺って、このシリーズの核心については触れなかったのだが、まあ一週間の時間的猶予もあったことだし、今週はバシバシ書いてしまうことにする。
 さーて、実は、この三部作で描かれる最も重要なコドモは、偏屈な小説家・木戸幸之介である。程なく四十に手が届こうかというこの小説家は、わめく、泣く、殴る、蹴る、自惚れる、見下す、と、トンデモない言動を繰り返し、いわば、身体だけ大きくなった幼児のようなものなのだ。
 そして、読み進むうちに明らかになるのは、彼をこのような性格にしてしまった原因-幼い日(三十年前)の母の出奔である。一作自でも、二作目でも、このシーンは何度も描き出され、そうしてその度に彼は幼児化し、今はプリズンホテルの女将となった母親に辛くあたってしまう。
 三十年分の日記を突きつけて読ませようとし、あるいは、育ての母親に電話を掛けて詫びさせようとする彼の姿は、恐ろしく人の心を踏みにじるものでありながら、しかし、読者の胸を打つ。 親に愛されなかった。それも特に、母親に愛されなかった、という幼少時の思いは、トラウマ(心的外傷)となって行動を支配する。そのトラウマを乗り越えるのは、もちろん、容易ではなく、一朝一夕に解決したりはしないのだ。
 傷ついた魂を癒し、生きる力を恢復させるこのホテルですら、木戸孝之介の心を癒すには時間がかかる。三作目の最後で、彼はようやく「人を愛するには、愛されたことを知る必要がある」という単純にして深い事実に気づく。そして、そのことで、彼はようやく癒されるのである。
 トラウマを抱えた大きいコドモに、この物語を勧めたい。
西日本新聞1997.06.08