コドモの切り札

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甲木善久

           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
    
 「あなたに会えてよかった」なんてセリフは、ご承知のように、珍しくもへったくれもない愛の言葉である。きっと今これを読んで下さっている方も、どこかで読んだとか、聞いたとか、あるいは、以前いわれたとかなんとか、何かしら思い当たる節があるに違いない。
 んが、しかし、だからこそ、実は、このセリフって、遣うのが難しいのよねェ。
 浮つかず、ためらわず、頼らず、甘えず、肩ひじ張らず…、あくまでもさらりと、ごく自然に…、このセリフは遣いたい。もちろん、だからといって、ありふれた場面ではいけない。とっておきの場面。もう今しかない!って場面。「あなたに会えて…」といいかけたとき。その「て…」の呼吸の切れ間に、自分がこれまで生きてきた人生の引きこもごもがこみ上げてくるような…、大袈裟にいえば地球上に生命が誕生してからの時間を想うような、宇宙創世の奇跡を慈しむような…、そんな気持ちになれるときだけ、このセリフは口にしたいものである!
 と、思わずリキんでしまったが、ま、佐藤多佳子『しゃべれども しゃべれども』(新潮社)という作品は、そういう物語なのだナ。
「あなたに会えてよかった」という、ありふれているけれど、ステキに美しいセリフを、最後の最後にいわせるために、この物語はは紡がれた。
 若手の落語家を語り手とし、ひょんなことからメンドーみる羽目になった彼と従兄弟と、人見知りの激しい元劇団員と、クラスで孤立している小学生と、上手い解説者になれない元プロ野球選手とが、アレコレ絡んで、お話は進む。それは、ラブストーリーであると同時に、成長物語であり、あるいは一種の処世訓ともいえるかもしれない。
 「あなたに会えてよかった」とは、つまり「生きていてよかった」ということだ。だから、この物語は、読んでいて元気が出る。ホッとする。やさしくなれるのである。
 西日本新聞98/01/18

テキストファイル化妹尾良子