じどうぶんがくひょうろん

No.37   2001/01/25日号

       
【絵本】

『トゥートとパドル』(ホリー・ホビー:作 二宮由紀子:訳 BL出版 2000/2000)
 仲良しのブタ、トゥートとパドルのシリーズ第二作。トゥートの誕生日に何をプレゼントしようか悩むパドル。結局彼が見つけたのは、おしゃべりなオウムのチューリップ。飼われてやってもいいよってツッパッてますが、チューリップだって本当は・・・。でも、トゥートが気に入らなかったらどうしよう。
 プレゼントを考える悩みだけじゃなく、プレゼントされるオウムの気持ちにまで視線が延びているのが、この絵本の温もり。絵のタッチはユーモラス。そして、画面構成は自由さにあふれて楽しい。仲良しといえば『ふたりは いつも』(アーノルド ローベル作/三木 卓訳 文化出版局)が思い出されますが、比べて、時代の差を楽しむのも一興。 (ひこ)

『びりびり』(東君平 ビリケン出版 2000)
 1964に至光社から出た原書の再構成。君平、最初の絵本です。
 黒い紙を破いてたら、ヘンな動物ができて、そいつが時計だのボタンだの、大事な物をどんどん食べてしまうので、そのたびにびりびりと破いていたら、そいつはどんどん増えてきて・・・。
 フロイディアンなら喜んで分析しそうな題材です。破いてと語りつつ、表紙裏にはハサミがきっちり描いてあるわけですし。
 でも、それより、そうした衝動がなんともユーモアあふれて描かれているところに、君平が、すでにいます。

『たからさがし』(市川里美:作・絵 徳間書店 1997/2000)
 古ぼけた箱からノラが見つけたのは、地図。たからの地図だと、ノラはヤギやヒツジやガチョウたちと森にでかけます。でもみんなは怖くなって次々と逃げ出してしまう。はてさてどうなりますことやら。
 とてもシンプルに進むこの絵本は、最後にほんわかとした「しあわせ」を用意しています。そこで読み手にわき起こる解放感は、絵本としてはどちらかと言えば重いタッチの絵柄の効果ともいえます。
 市川の絵本の登場人物の印象深さは、その表情と仕草のリアリティにあるのですが、今回もそこがおいしい仕上がり。好き嫌いは出てしまうでしょうけどね。(ひこ)

『ゆびきりげんまん--うめばあちゃんのはなし』(富田ききとり絵本制作実行委員会 岡島礼子:絵 エルクラブ 2000)
 部落解放高槻富田地区教育父母の会など、高槻市の地元有志による聞き取りを文とし、それに岡島が絵をつけた絵本。
 見開きには、賛同者の名前が列記されている。
 もちろんこれは失われていく地元の生活を「うめばあちゃん」に託して描いた作品なのだが、最後に置かれた「ムラの仕事」「ムラの学校」などの資料とともに読むことで、おもしろさが、つまりは今の子どもにとって未知の世界が広がる趣向となっている。(ひこ)

『あおぞらえんのおんがくかい』(斉藤栄美:文 土田義晴:絵 ポフラ社 2000)
 幼稚園の音楽会。あずさとゆきちゃんはけんばんハーモニカのパート。一生懸命練習しているけれど、本番は大丈夫?
 ドキドキの二人。
 緊張と失敗、そして、心の傷。
 シンプルなストーリー絵本ですが、「不安」がうまく描けています。
 だからいいのですが、土田の絵が「?」。いかにも大人が喜びそうな「カワイイ」幼児たち。これはやはり大人の目線です。ストーリーが子どもの目線に降りてきているのに、絵が「カワイイ」では、アンバランス。というか、そろそろもう、こうした「子供観」はおしまいにしていいのでは。なぜなら、こーゆー子どもが子どもなんだよと、読者の子どもにインプリントしてしまうのは、子ども自身の感じとズレてしまうからですね。
 これは何も土田だけでなく、山ほどあるんですが。(ひこ)

【創作】

☆前号で、『キノの旅?』と誤記されているのは、ローマ数字を使ったための文字化けでした。原タイトルはローマ数字ですが、ここでは洋数字にして表記させていただき、再掲載いたします。ちなみに、3巻が1月に出ました。(目黒)
『キノの旅2 the Beautiful World』(時雨沢恵一:作 黒星紅白:イラスト メディアワークス 2000)
 電撃文庫から1冊。『キノの旅1』が今夏に発売されたばかりなのに、早くも続編が登場。
 主人公のキノは、パースエイダーという銃器を扱う有段者。言葉を話すことができるエルメスという名の二輪車(バイクのようなもの)と各地を旅している。旅の目的は定かではないが、出来るだけ多くの国を訪ねるために、滞在期間は3日以内と決めている。旅先で出会う人々は少しだけ壊れており、彼らが所属する社会は静かに歪んでいる。キノもまた傍観者ではありえず、時には当事者(加害者/被害者)として行動することになる…。
短編連作形式で語られるエピソードの数々は基本的に独立しているので、2巻から読んでも大丈夫(でも、1巻の第5話だけは予習しておいた方がいいかな)。読後のほろ苦い甘さが魅力です。黒星さんの絵本のような口絵がキュートでまた良し。(目黒)

『DIVE!! 2−スワンダイブ』(森絵都 講談社 2000)
 水泳競技の「飛込み」を題材にした「スポ根」小説の第2巻。
 今回の主人公は、幻の高校生ダイバー沖津飛沫。幻のダイバーであった白波を祖父にもつ飛沫が初めての公式試合に挑む。しかも、この試合はアジア合同強化合宿の選考会を兼ねており、オリンピック代表に選ばれるためにはどうしても突破しなくてはならない関門であった。ある理由から、飛沫は代表入りにこだわっていた。そして、試合。練習でも見せたことがないまとまった演技で、飛沫の順位は前半終了時点で2位。にもかかわらず、コーチは飛沫のダイブを批判する。コーチの助言に従った後半戦、飛沫は順位をどんどん下げていく…。
 登場するライバルたちがサブキャラながら印象深い。たとえば、ピンクの海パンに、女子高生応援団をもつ「ピンキー山田」。「炎のジロー」は、スーパーダイブに挑む熱血野郎で、失敗ダイブで全身が真っ赤な炎のように腫れあがるという愛すべきキャラ。シリーズの魅力は、ストーリーだけでなく、個性豊かなサブキャラにも支えられているのですね。必殺技とか募集しないのかな。(目黒)

『イグアナくんのおじゃまな毎日』(佐藤多佳子:作 はらだたけひで:絵 中央公論新社 2000)
 97年に偕成社から刊行された同書がイラストを追加するなどして、中公文庫の「てのひら絵本」に。見た目とは裏腹に、結構ハードな話の絵本。
 11歳の誕生日。樹里は、大叔父からイグアナをプレゼントされる。大叔父は、樹里の誕生祝いを口実に、飼育が面倒なイグアナを厄介払いしたのだ。大叔父が父親の勤務する学園の理事なので、樹里一家は大叔父の無理難題を飲まざるをえない。やがて、イグアナ騒動は樹里の家族をバラバラにするのだが…。 
 大叔父が不気味。樹里の家族に嫌がらせをする理由が語られていないからです。樹里の視点から語られているので、その理由が説明されていないのは樹里が知らないからなのかも。だとしたら、樹里にとって大叔父の要求は、理不尽極まりないなものでしかない。樹里が「ヤダモン」(イグアナの名前)を飼うことは並大抵のことではないはず。子どもって、大人なら耐えられないような不条理な世界をしたたかに生きているのですね。(目黒)

『NAGA 蛇神の巫』(妹尾ゆふ子:作 菅原健:イラスト 角川春樹事務所 2000)
 2000年は、徳間デュアル文庫にハルキ文庫などから刊行された文庫系ライトノベルが大健闘。ということで、今回はハルキ文庫から。
 守宮家は代々、蛇神を祀り神儀を執り行ってきた。30年に一度、巫に蛇神を降ろすのだ。巫は本家の長女の役目なのだが、本家には長男の渉しかいない。そこで、渉だけでなく分家の長女である涼子の二人が神儀に挑むことになるが、渉が蛇神に憑かれてしまう。涼子は蛇神から渉を取り戻すため、秘神である言織比売(ことおりひめ)を探し始めるのだが…。
 日本の古代の神々に、現代の高校生がパソコンや携帯電話をアイテムにして立ち向かっていく設定は、さすがにツボを押さえてます。日本神話のさりげないリサイクルの仕方は好感度高し。ちなみに、本書は00年秋に「新世紀SF宣言」と銘打たれて刊行されてるけど、SFというよりファンタジー。SFだからと敬遠しがちな方は要注意。(目黒)

『カラミティナイト』(高瀬彼方:作 西村博之:イラスト 角川春樹事務所 2000)
 これもハルキ文庫の「新世紀SF宣言」のための書き下ろし。SFではなく、ファンタジーなところも同じ。
 高校1年生の智美のクラスに、編入生がやって来る。遠野忍という名の編入生には呪われているという噂があった。彼と関わりの深い人物が相次いで不思議な死に方をしているからだ。クラスで孤立する忍に、中学時代に不登校だった自分の姿を重ねる智美。2人の出会いは、世界を呪う「災禍の心臓」の守護者たる「災禍の騎士」を誕生させ、さらなる悲劇が幕を開く。
 災禍の少年と守護者のコンビと言えば、その関係の在り方はかなり異なるけど、小野不由美『魔性の子』(新潮文庫)を思い起こす方も多いかな。でも、作品の雰囲気は(特に「災禍の騎士」のイメージなど)、心が痛くなるような読後感も含めて、上遠野浩平の「ブギーポップ」シリーズ(電撃文庫)により近いと思う。個人的には、今月イチ押しの作品。(目黒)

『紫の砂漠』(松村栄子:作 寺田努:イラスト 角川春樹事務所 2000)
 芥川賞作家の異世界ファンタジー。93年に新潮社から刊行された作品が装いも新たにハルキ文庫に収録。
 シェプシは7歳。「運命の旅」が間近に迫っている。7歳になった子ども達は、生みの親を離れ、「運命の親」のもとに旅立たなければならない。「丸耳」であるために(この地の人々の耳は尖っている)、友達も少ないシェプシを癒してくれるのは「紫の砂漠」のみ。「運命の旅」はやがて、「紫の砂漠」にシェプシを導くことになる。
 世界観が秀逸。とりわけ、「真実の恋」を得るまでは性差が未分化であるという設定が面白い。お互いの資質によって、「生む性」と「守る性」に分化するのは理にかなっているようで微妙なところ。「真実の恋」は一度だけで、役割交替が不可能だから。「生む性/守る性」を「女/男」とパラレルに表記した設定上の必然は理解できるのだけど、違和感あり。「ロマンチック・ラブ・イデオロギー」(現実)と「フェミニズム」(理想)の距離を反映している訳ではないのでしょうが…。続編が2月に刊行されるそうです。(目黒)

『ネバーランド』(恩田陸 集英社 2000)
 『六番目の小夜子』(新潮社)の作者による学園ミステリ。
 冬休み。帰省する寮生たち。古びた木造の寮には、それぞれの理由から、3人の高校生が残っている。通学組だが、自宅に1人暮らしの少年を加えた4人は、懺悔大会を開くことに。ルールは、嘘をただ1つだけ混ぜること。最初に懺悔をした少年は、亡くなったはずの母親の幽霊に追いかけられていると言うのだが…。
 「学園もの」のオーラを放ってます。「嘘」を緩衝材にすることで、「懺悔」のようなテンションが高いコミュニケーションを成立させるところなどは、流石。「学園もの」は「ネバーランド」であるが故に、いつまでも魅力的なのでしょうか。(目黒)

『少年たちの密室』(古処誠二 講談社 2000)
 講談社ノベルスから本格推理ものを1冊。
 大地震で倒壊したマンションの地下駐車場に、担任教師と6人の高校生の男女が閉じこめられる。極限状況のもと、ある理由から対立を深めるクラスメイトたち。生徒から信頼されていない担任に彼らを説得することができるはずもなく、事態は深刻化するばかり。そんな中、1人の生徒が事故死か殺されたのか判然としない死に方をする。彼を殺す動機は全員に存在しており、しかも現場は暗闇の密室。疑心暗鬼のなか、主人公は真相を探り出そうとする。
 本格推理ものとしても完成度は高いけど、状況設定が巧いことを忘れてはなりません。学校が「密室」と呼んでよいほどの閉鎖空間であるのは言うに及ばず、学校生活のささいな出来事が時として、当事者にとっては「大地震」に匹敵するほどの理不尽な大事件に変貌することがあるからです。(目黒)

『緑陰の雨 灼けた月 薬屋探偵妖綺談』(高里椎奈 講談社 2000)
 講談社ノベルスから刊行されているシリーズ「薬屋探偵妖綺談」も5作目に。
 深山木薬店には裏の顔がある。妖怪が絡んでいる可能性がある事件に限って、依頼を引き受けているのだ。理由は、深山木薬店の住人が妖怪だからである。妖怪が世間を騒がせるようなことになると、自分たちが暮らしていくのに不都合なため、極秘裏に事件を解決しているという訳だ。普段は人型で暮らしており、外見は次の通り。店長の秋は、16歳くらいの美少年。経営者の座木(くらき)は、長身で20代後半の青年。赤毛のリベザルは、小学校の3年生くらいの男の子。さて、今回の事件は、女子高校生の依頼で、幽霊のようなものに付きまとわれているから、退治して欲しいというもの。秋は、リベザルに護衛を任せるのだが…。
 妖怪として経験が浅く、対人恐怖症のリベザルにとって、世界は決して優しくない。そんなリベザルの成長がシリーズの見所の一つなのだけど、それが成功したのもリベザルが「人間」としてではなく、「妖怪」として設定されているから。とは言うものの、薬屋3人衆が全然「妖怪」らしくないところがまた魅力の一つなのですが…。6作目が近刊だとか。要チェック。(目黒)

『パートナー』全3巻(小花美穂 集英社 2000)
 少女マンガです。『りぼん』に連載されていた新作が完結。「りぼんマスコットコミックス」に収録されました。
 苗と萌の双子の姉妹は、賢と武という双子の兄弟と楽しく高校生活を過ごしていた。そんなある日、萌が交通事故で死んでしまう。しかも、その遺体が病院から消失する事件が起こる。3ヵ月後、3人は旅行先で萌に酷似した人物を発見、追跡するが、逆に監禁されてしまう。萌は「L.S.P.」(生きている人間剥製)の実験体「type04」として復活していたのである。萌の脳は休眠状態にあるため、3人のことを覚えていない。やがて、3人は研究施設から脱出を試みるのだが…。
 古典的な設定(生きている死者)が「双子もの」の魅力を倍増。欲を言えば、「L.S.P.」側の視点から(本書の視点人物は苗なので)、「type04」の物語などが語られればよかったのだけど。それにしても、このようなハードな話を掲載していたなんて、『りぼん』のイメージが変わりました。(目黒)

『イルカの歌』白水社(2000年10月刊)
カレン・ヘス著、金原瑞人訳。
原著『The Music of Dolphins』1996.
[こんな本]
 全米図書館協会ベストブック。アメリカのヤングアダルト。
 イルカとともに海で育った少女が、フロリダとキューバの間で発見される。ミラと名づけられた少女は、野性児として研究対象になり、研究者一家との交流を育みながら、人間社会へ「復帰」していく。ことばを覚え、音楽のすばらしさを知り……。でも、やっぱり海が恋しい! 彼女は選択をせまられる。
[おすすめポイント]
 はじめは、とても短い簡単なことばで、そのうち少しずつ表現が豊かになり。ミラが自分のなかに生まれたさまざまな感情を綴っていくスタイル。それらのことばの、シンプルなみずみずしさが印象深い。さすが定評ある金原訳。
 ちょっとSFっぽい設定だが、叙情的な物語。「自然派」には好感度が高いだろう。海の中でイルカとともに育ったという「自然」の感性と、「人間」の文化とのせめぎあいがテーマともいえる。
 この本を内容的にかなり「人間寄り」だなあ、と思う向きには、岩井俊二の小説『ウォーレスの人魚』(角川文庫)がおすすめ。こちらは、人間とは似ていても超異生物の人魚に、「人間中心主義」の価値観をゆすぶられてしまう。(芹沢清実)


『丘の家、夢の家族』徳間書店(2000年10月刊)
キット・ピアソン著、本多英明訳。
原著『Awake and Dreaming』1996.

[こんな本]
 カナダ児童文学総督賞受賞作。「小学校中・高学年〜」表示。
 放任がちな若い母親と貧しいふたり暮らし。シーオの楽しみは、図書館で借りた本を読んで空想にふけることだけ。母親が新しい恋人と同居するため、シーオは船で対岸の町に住む伯母のもとへやられることになる。その船の上、シーオは日頃あこがれていたのとそっくりな暖かい大家族に出会い、不思議なことが……。
[読みどころ]
 ティーン出産の結果、不幸をくりかえす母娘のシリアスな話かと思いきや、これが意外なゴースト・ストーリ。SFファンタジー好きにも、今年イチオシの一冊に入れてしまおう。
 本好きなら誰でも考える「夢と現実、どっちがわたしにとってリアル?」という主題を、おもしろい設定で情感豊かに描いている。
[おすすめポイント]
 シーオが愛読する本の数々は、アメリカの本好き少女の定番、らしい。やんちゃな弟妹とやさしい兄姉、見守ってくれる父母という「理想の家族」物語は、たとえば「若草物語」などで日本人にもおなじみ。そんな物語の家族にあこがれたことがある人には、実にわくわく共感できるはず。(芹沢清実)


『悪ガキをほめよう!』文研出版(2000年11月刊)
バーバラ・ロビンソン著、岡本浜江訳。
原著『THE BEST SCHOOL YEAR EVER』1994.

[こんな本]
 アメリカのベテラン作家の人気作。「小学4年以上」表示。
 ハードマン家の6人きょうだいは、札つきの悪ガキぞろい。不潔で粗暴、うそつきで手くせも悪い。そんな一家のひとりイモジェンと同じクラスになってしまったベスを語り手に、彼女らの悪ガキぶりがつづられる。
 タイトルは一年間の宿題としてクラスメイトの誰かをほめることになったベスが、イモジェンをほめる結末から。はた迷惑な悪ガキも、見方を変えれば称賛すべき資質の持ち主というオチがつく。
[読みどころ]
 ともかく愉快痛快なハードマンきょうだいの活躍ぶり。赤んぼうを連れさって、頭に細工をほどこし有料の見せ物に仕立てて小遣いかせぎをする、などなど。彼らを主人公にした作品は、すでに70年代に書かれて多数の賞を獲得。子どもたちにも大人気で、80年代にはTVドラマにもなっているそうだ。
 わざわざ悪人が主人公というと、日本なら風刺になりそう。ところがそうでもなく、ひょうひょうと描かれる「悪ガキ」ぶりは、のんきでクラシカルな味わい。さすがトム・ソーヤーの国だ。(芹沢清実)


『ネシャン・サーガT ヨナタンと伝説の杖』あすなろ書房(2000年11月刊)ラルフ・イーザウ著、酒寄進一訳。
原著『Die Traume des Jonathan Jabbk』1995.(すみません、ウムラウト入力できず)

[こんな本]
 M・エンデ推奨の新人による大型ファンタジー三部作の第一部。すでに三部までドイツでは出版されている(1996)。
 1920年代のスコットランド、車椅子生活を送る聡明な少年ジョナサンは、異世界にいる自分の分身ヨナタンの夢を見る。
 異世界ネシャンでヨナタンは、「選ばれた者」として伝説の杖を手にし、世界を救う使命をはたすため、冒険の旅に出る。
[おすすめポイント]
 異世界ネシャンは、基本的には「光と闇」「善と悪」の抗争する古典的アナザーランド。でも地形やそこに棲息する生物などの設定は、とてもユニークで楽しませてくれる。大同小異の「指輪」的物語には飽きたが異世界もの大好き、という向きには、「待望の大型ファンタジー」の期待を裏切らないだろう。SF好きにもOK。
[今後の楽しみ]
 どうしても比較したくなるのが、やはり三部作のフィリップ・プルマン「ライラの冒険」シリーズ。どちらも完結のおりには、じっくり比較検討してみたいもの。(芹沢清実)


『サラの旅路』小峰書店(2000年11月刊)
ウォルター・ディーン・マイヤーズ著、宮坂宏美訳。
原著『AT HER MAJESTY,S REQUEST』1999.
[こんな本]
 アメリカの作家によるノンフィクション。「YA」表示。
 19世紀なかば、数奇な生涯を送ったアフリカ生まれの女性の足跡。古本屋で見つけた手紙の束から、リサーチが開始された。
 部族抗争で家族を失い、敵国で祭祀のいけにえとなるところを、英国軍艦の艦長に助けられたとき、彼女は5歳くらい。イギリスに渡って、ときのヴィクトリア女王に「お目どおり」。上流社会の家庭にあずけられ、女王の保護を受けた彼女の生涯をたどる。
[読みどころ]
 イギリスではすでに奴隷貿易は敵視され、アメリカでは奴隷制をめぐる論議がなされていた時代。アフリカの部族社会とはまったく異なる世界で育てられた少女にとっては、まだ「異文化との交流」などという意識もなかっただろう。そんな中で「居場所を求めた」彼女の気持ちを推測しながら筆をすすめる著者の姿勢は誠実だ。
[おすすめポイント]
 あくまでも資料にそくして、わからないことはわからないまま、しかし自身の想像力を働かせて書かれたノンフィクション。地味ではあるが、こんな本も大切に読まれていいのではと思う。(芹沢清実)

『4年1組 交換日記はもういらない』(沢井いづみ:作 森友典子:絵 ポプラ社 2000)
 いかにも凡庸で軽い表紙絵。子ども読者が手に取りやすいデザインが、本当にこういうものなのかどうかは疑問だけれど、物語に入っていくと、これが読ませる。
 鳴海は友達のゆい子と交換日記をしている。で、そこに書いたことをゆい子が他の子に話してしまった。鳴海はゆい子が信じられなくなる。そうなる自分にもいやになる。といった事態から物語は起こされ、その日記に書かれていた内容も読者は知っていく。それは、母親のこと。彼女は鳴海に優しい人なのだが、それが、束縛として働いているのに鳴海は気づき始めたのだ。「わたしはおかあさんの宝物!」であることの怖さを。
 これは書かれているようで案外書かれていない設定で、親の愛情が親の欲望に他ならないという深淵を、チラリと見せる沢井の感覚はいい。
 ただ、気になるのは、この「わたし」によって語られる物語を、沢井は鳴海の目線で書くとき、フォーカスをちゃんと併せていただろうか? だ。
「空の色は、いつのまにか濃いるり色にかわっていて、さっきより赤みをました夕日がひとすじ、のこっていた」。
 これが、ほんとうに鳴海の言葉だろうか? である。
 でも、買い。(ひこ)

『いきもの いっしょうけんめい』(とよたかずひこ ポプラ社 2000)
 ゴキブリからライオンまで、人間の想像とは違うそれぞれの想いがある、という趣向。
 ライオンが檻の外を眺めているのを、アフリカの草原を思い出しているんだ、と想ったら、動物園生まれのこのライオンさん、アフリカは知りません、てな具合。そこの作者のユーモアとメッセージがあるわけで、事物は一面だけでははかれない、を伝えています。ただ、扱う素材たちのカテゴリーがバラバラで、統一感に欠け、うまく伝わってこない面が惜しい。(ひこ)

『海辺のペレットをさがして』(大竹千代子:著 平部るり子:絵 小峰書店 2000)
 海岸漂流ペレット調査をしている大竹による、環境問題本。
 主人公みどりが父親とともにさまざまなペレットを採集し、その問題を知っていくという、おなじみといえばおなじみの設定。
 こうした書物のキモは、扱うテーマをどう的確に子ども読者に伝えるか、ですが、『海辺』は微細に説明していて、それを面倒と感じなければ、ペレットに関するかなりな情報を得ることができます。また、「今」の書物ですから、後半にはインターネットやメールでの情報収集方がわかりやすく出ていて、これは、いい。というのは、書物を閉じて終わるのではなく、ペレットならペレットへに興味がより広がるには、今この方法が一番便利だからです。
 今後のこうした書物では、ネットへのアクセスへの足がかりとしての役目も必要となってきます。
 しかし、2年前だとこれは成立しなかった(ネット人工が少なかったので)。(ひこ)

『ルーム・ルーム』(コルビー・ロドスキー:作 金原瑞人:訳 長崎訓子:絵 金の星社 1998/2000)
 母親のアルシーアを失ったリビィは、母の友人ジェーンに引き取られる。でも、ジェーンはアルシーアじゃない。知らない人たちはみんな、ジェーンを母親と間違うけれど、だからそのたびに私はそれを訂正する。リビィはいつもいつも心の中のアルシーアに話しかけている。ジェーンに悪いなって思うけれど・・・。
 大きなドラマ展開があるわけではないこの物語、リビィにピタリと寄り添って、彼女の気持ちの動きを丁寧に丁寧に描いていく。そうすることで、硬くなったリビィのそれの解きほぐれていく様をクリアに見せてくれている。読み手は時に切なくなり、時にイライラし、そして愛おしくなる。
 そうそう、忘れてはいけない。挿し絵だけでなく装丁も手がけた長崎訓子の仕事がイケてます。タイトで暖かくて、でも結構クールです。ほんとこの国の児童書のカバーは良くなってきたな。うれしい。(ひこ)

【評論】
『平坦な戦場で ぼくらが生き延びること 岡崎京子論』(椹木野衣 筑摩書房 2000)
 現在、休筆中のマンガ家で、『リバーズ・エッジ』(宝島社)などで有名な岡崎京子についての評論。ちなみに、著者は美術評論家の椹木(さわらぎ)氏。『日本・現代・美術』(新潮社)は名著。
 椹木氏によれば、岡崎作品は「フラット(平坦)」な日常をいかにして生き延びていけるのかという難題に取り組んでいたからこそ、リアルであったと言う。フラットであるということは、事件を「事件」として成立させる初期条件(遠近法)の消失を意味する。岡崎作品では殺人などセンセーショナルな事件がよく起こるけれど、その描き方が全くセンセーショナルでないところがリアルなのですね。岡崎作品の風景が奇妙に「明るい」のはそのためです。椹木氏が指摘する通り、「闇」がない「光」だけの、まさしくフラットな「明るさ」。少年犯罪が起きる度に、「心の闇」などと騒いでいる人たちにこそ読んで欲しい一冊。「闇」は何処にもないのです。(目黒)