じどうぶんがくひょうろん


No,3 98/02/25
           
         
         
         
    
●『ミータ』(堀内純子作 鈴木まもる絵 小峰書店 981円 1997)
▽のんちゃん(幼稚園児位?)が拾った小猫。ミータと名づけられた小猫とのんちゃんの、楽しい日々。けれど、ある日ミータが居なくなり・・・。
 帯によれば「命を、愛を考えます」ということなのやけれど、子どもが可愛がっていた猫を失踪させてそれを考えさせる物語作りは、御手軽。しかもその悲しみをファンタジックに仕立てることで処理するのは、いかがなものか。


●「赤い鳥を追って」(シャロン・クリーチ作もきかずこ訳 講談社 1600円 1997/1998)△前作「めぐりめぐる月」で、母親の死という現実を受け入れるまでの少女の心を、祖父母とのロードムービー仕立てで描き切った作家の最新作。
 ジニーは13歳。両親と伯父夫妻、兄弟姉妹7人という大家族。その中で彼女は目立たないんですね。「わたしが無口なのは(略)ごく単純な理由―わたしのいいたいことのほとんどは、すでにだれかが口にしていることだからだ」なんて言ってます。伯父夫妻は可愛がってくれるのですが、それは小さいとき死んだジニーと同い年の娘の代わりとしてであろうことをジニーはわかっています。悪いことに、近づいてくる男の子もみんな、姉のメイに好まれたいから、ジニーを可愛がるだけで、ジニーは彼らを信じてない。
 つまり、彼女はそのままの自分を認めてくれる人がいない(と本人は思っている)。
 ある日、ネイティブアメリカンが昔使っていた道、トレイルを発見し、それをすべて掘り起こすことを目指します。「わたしはちがう自分を知ってほしかったのだと思う」とのこと。
「みんなを、あっといわせよう!」という帯のじゃっくは、軽すぎるけど、物語はちゃんと着地しています。訳もスムーズな日本語でいい。


★ 『ぼくの中の見知らぬ「ぼく」』(井口直子作ポプラ社1000円)
◇リョウとテツは親友。二人は同じ日に転校してき、それ以来互いを頼りにしてきた。というか、自分が一方的にテツに頼ってきたのではないかと思ったリョウはテツを避け始め…。ある時突然湧き起こってくる苛立ち。それは嫉妬でもあるし、自分への怒りでもあります。
 よくあることやから、大変な気持ちの揺れを素材として取り上げたのは面白い。が、「それは、やればできるという自負心と、あまえて楽をしたいという依頼心が、潜在の形でせめぎあい、ひずみを生み、」162といった語りの性急さはなんでしょう?語りに語らせてしまうのは最後の手段やと思うのやけど。


●『アンモナイトの谷』(バーリー・ドハティ作 中川千尋訳 新潮社1500円)
▽ジェームズは養子。本当の親を知りません。今の両親に不満はありませんし、彼らは養子であることを隠していません。飛び込みでオリンピックを目指している彼を両親は支援してくれているし、父親ときたら、ジェームズ以上に力の入れようです。しかし父親の熱心さにはちょっとうんざり。
 ある日、両親の引き出しにしまわれている、自分が貰われてきたときの服(赤ちゃんのですね)の下からジェームズは封筒の切れ端を発見。そこには、住所の断片と「サミーをおねがい」の文字。サミーって?自分のこと?これがぼくの本当の名前?
 両親に嘘をいって、ジェームスは本当の母親を探しに旅立つ。サミーの母親に会いに。果たして…。ジェームズの母親が彼を産んだころのモノローグが挿入されながら、進む物語。
 養子の自分探しって設定はありそなものですが、それを読ませてしまうのはドハティ。


● 『わんぱくピート』(リーラ・バーグ作幸田敦子訳あかね書房1200円)
▽4歳のピートくんの日々であります。かげぼうしの頭を踏もうと一所懸命だったり、拾った枝を人様の生け垣に隠したはいいけど、どこに隠したかわからなくなって片端から抜こうとしたり。子どもの日々を絶好調。
 45年も前の物語。今も昔も子どもは変わらない、と、素朴に言えない今の時代思ってしまいます。


●『小学校なんてコワくない』(ダイアモンド社1000円)『がんばれ小学生』(東京書籍1300円)
▽いずれも、初めての小学校についてのマニュアル。っても、もちろん当のぴかぴかの1年生のためではなく、その親のためのもの。前者は主に先輩親からのアドバイスで、後者が教師からなのは、出版社の個性。にしても、どちらもが「いじめ対策」をうたっているのは、時代です。「いじめられる我が子」だけではなく、「いじめる我が子」って視点も押さえている。
  30年前(親が子どものころ)との授業時間とカリキュラムの違いが後者に載っているけれど、年間で、34時間も多いんだ(つまり週1時間)近頃は

1998/02/25