【絵本】
●ゴールデンブックスという宝物
「おおきなきかんしゃ ちいさなきかんしゃ」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 アート・セイデン絵 小池昌代訳 講談社 1951/2003.4)
「キャプテンうみへいく」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 ガース・ウィリアムズ絵 ひがしはるみ訳 徳間書店 1953/2003.5)

 ゴールデンブックスというのは1950年代から刊行され続けている英米の子ども向けの絵本や事典などを作っている出版社です。昔は厚いボール紙に印刷された表紙に普通紙に印刷された本文を挟んだ簡易製本で大量生産された絵本というマスマーケット本の会社というイメージでした。ゴールデンカラーとくくられる独特な色彩でかわいらしく描く画家達や、絵本から始まってお話集、事典、言葉、社会などをテーマにした本など現在の子どもの本が手がける切り口のおおよそをすでに手にしていたのが大きな特徴と言えるでしょう。そのゴールデンブックスが今また、再評価され、クラッシック絵本の傑作として翻訳される機会がとても増えています。最近翻訳された絵本としてプロベンセン夫妻「いろいろこねこ」(講談社)「ねずみにそだてられたねこ」(徳間書店)などがあります。今月紹介する2冊もそうですし、今後も翻訳の予定が続いています。
 特にマーガレット・ワイズ・ブラウンやガース・ウィリアムズという日本でもなじみ深い作家や画家の絵本から翻訳されることが多いのは今までの本からわかります。「キャプテン、うみへいく」はどんどん展開するスピード感が楽しい絵本。ワイズ・ブラウンらしい繰り返しの効いたテンポの良いテキストが心地よいです。ウィリアムズの絵は、今まで紹介されてい絵本とはちょっと色調が違ってパンチが効いています。あれっと思うか、ふーんと納得するかは好みの分かれるところかもしれません。この色調がゴールデンらしいと言えるのかも。
 「おおきなきかんしゃ ちいさなきかんしゃ」もワイズ・ブラウンの繰り返しが多用されたリズミカルなテキスト。機関車の走る音のリズムを繰り返しのリズムに乗せて、あっちの駅からこっちの駅へ何度も何度も往復する機関車達のようにテキストも往復します。多分声に出して楽しいテキストになっているのだと思います。アート・セイデンは今まであまり紹介されていなかったのかな?白地にくっきりと描かれる風景。やわらかでありながらはっきりとした色使い。ゴールデンブックスらしい画家の一人です。彼のようにゴールデンブックスでのみ活躍していた画家はなかなか翻訳紹介される機会がありませんでした。ほかにも、人気画家のミラーやスキャーリー(絵事典で有名ですね)などちょっとキッチュで愛らしいイラスト描く画家が何人もいて楽しくカラフルな絵本をたくさん作っていました。今も古本屋さんなどで人気の絵本がたくさんあります。
いまだからこそ、かわいく素敵に見える絵本が多いのがなんだか不思議です。ミッドセンチェリーの家具やテイストが気分の今の日本だからこそ、ゴールデンブックスの子どもに向けたまっすぐな感覚がまぶしく、輝いて見えるのかも。この宝箱にはまだまだ楽しい掘り出し物が埋まっていそうです。


●その他の絵本
「すえっこおおかみ」(ラリー・デーン・ブリマー文 ホセ・アルエゴとアリアンヌ・デューイ絵 間崎るり子訳 2002/2003.5 あすなろ書房)
アルエゴの絵本は本当に子どもたちの味方だと思う。小さなたどたどしくも精いっぱい毎日を過ごす子どもにとってアルエゴの手がける絵そのものが、自分だと思わせるし、いっしょに読む大人にとっても目の前の子どもと絵本の主人公が重なって見え、お話を読み進むうちに、その子どもについて発見をさせてくれる。
いろんな作家のテキストに絵をつけているが、絵がテキストを選ぶのか、どの絵本でも小さな子どもへの大きな励ましになっているのが素敵だ。これを説教臭くなく、身近な物ごとから語りかけられる作家の力量もなかなかのものだと強調したい。特にアメリカには先のマーガレット・ワイズ・ブラウンをはじめ、子どもの感覚に直接語りかける話法をもったテキストライターが多く、その層の厚さはうらやましいかぎり。日本ではこの分野を背負う作家の何と少ないことか。
すえっこおおかみがお兄ちゃん、お姉ちゃんのようにできないと思い悩むのはいろいろな絵本や幼年物で出会う設定なのだが、おとうさんが「うん、それでいい」と現状をきちんと認め、さらに先を豊かなイメージで導いているのがなるほどなと思わせる。すえっこがもてあそんでいるドングリのみをきちんとそのイメージにつなげていくところがうまい。

「せんそう」(エリック・バトゥー作 いしづちひろ訳 ほるぷ出版 2000/2003.6)
 戦争の愚かしさをこんなにもシンプルに他愛なく描いた絵本はみたことがない。色彩の魔術師と称され、日本でも何冊も翻訳紹介されているエリック・バトゥー。大きな画面の中にちいちゃく描かれる赤い服の人や青い服の人。木彫りの人形のように単純に描かれて、戦争の始まりも終わりも、その後もおもちゃみたいな単純さで描かれる。最後はチェスで勝負を続ける王様達をしり目に、子どもたちが入り交じって遊び、赤い家と青い家が重なりあって一つの大きな建物になっている。文字を解さない子どもが、この絵本をただじっと見つめて絵だけから的確にこのストーリーを読み取ったのをみて、わたしは何も言うことはなく、この色の対比と混じり方だけで読み取らせた画家の力量を思った。

「さあ羽をあげるよ」(ジャック・タラヴァン文 ピーター・シス絵 いしづちひろ訳 1997/2003.5 BL出版)
 いろんな羽根を背負って、鳥達に配っている男の子の不思議さがそのまますとんと胸に落ちるのは、「星の王子様」や「みどりの指」を生んだフランスの香りがするからかしら。寓話でありながら、窮屈な感じがしないのはピーター・シスのやわらかなイラストの力にも負っているのでしょう。

「あかちゃんのおさんぽ2」(いとうひろし作 徳間書店 2003.6)
 5月に続き刊行の絵本。今回、赤ちゃんが出会うのはクモ、カエル、ミミズ?、カメとなかなかに魅力的なラインナップ。ちいさな子どもたちにはおなじみの面々なのですが、どの出会いもちょっとひねってあります。シュールでなんともとぼけた展開は「おさんぽ1」より上手かも。ラストのカメさんのおはなしにはにっこりほんわかしてしまう。(以上、ほそえ)

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『いのちの花』(そのだひさこ:文 丸木俊:絵 解放出版社 2003)
 かつて自費出版されたものを、復刊。
 福岡市の被差別部落に伝承されていた江戸時代の話を元に、園田が書いた詩。
 話は、芝居小屋で酔っぱらって黒田の武士を殴って逃げた5人の若者がいた。その者たちは町人だったらしいのだが、「むら」の者に違いないということになり、「むら」の若者5人が、「むら」を守るために自ら命を投げ出して処刑されたというもの。「松原五人衆」として語り継がれている。
 詩を書いた園田は、1999年、原爆の図展で福岡に来ていた丸木さんに、私の詩に絵をつけてくださいと、直訴したという。詩に感銘を受けた丸木俊は快く引き受け、「あなた、たった一人で出せますか」との約束で当地を回り、調べ、画を描いた。
 そうして自費出版の絵本が完成。
 そして今回広く読まれるようにと出版された。
 暗い内容なんですが、俊の画の明るく跳躍しているさまは見事。怒りを抑えて村人たちの表情の豊かさ。自費出版直前に俊は亡くなったが、こうした、いい仕事は残る。
 嬉しい。(hico)

『すえっこ おおかみ』(ラリー・デーン・ブリマー:文 ホセ・アルエゴ&マリアンヌ・デューイ:絵 まさきるりこ:訳 あすなろ書房 2002/2003.05.30 1300円)
 父親が、悩める息子に、「今はそれでいいんだよ」って、アドバイスする姿がいいですね。励ましではなく、今のありのままの君でOK。
 画はスピードがあって、ページごとの表情が豊か。
 これからも、こんないい、絵本に巡り合わせてきださいませ。(hico)

『かえるのかさやさん』(戸田和代:作 よしおかひろこ:絵 岩崎書店 2003.05.30 1200円)
 かえるのかさやさんは、せっかくいい傘をつくってもちっとも売れないの。だって、カエルは雨がすきだから。
 かさやさんは、それでも傘に雨が当たるときの雨音は、絶対いいと思って傘をさしているの。
 でもやっぱり全く売れない。
 どうする?
 が、オチへと続いていくのですが、ナルホドです。
 画はシンプルに描けていて、違和感なし。ただ、もうちょっと、雨の音を感じさせて欲しかったな。(hico)

『かめのヘンリー』(ゆもと かずみ:作 ほりかわ りまこ:絵 福音館書店 2003.04 1200円)
 徳間のショートストーリでいいコンビだった二人が福音館で新作です。
 今回は絵本を意識した作りですが、言葉はやはりまだ多い。元々言葉への感度がいい作者ですから、書き慣れてくれば、もっと刈り込めるでしょう。
 ちよみちゃんが小さな頃からともだちだった縫いぐるみのカメのヘンリーくん。
 でもちよみちゃんが病気になったとき、ほこりのついたものや、汚れた物は近づけないようにと、ヘンリーくんは物置に。きれいに洗ってからちよみちゃんの元へ帰すからとおかあさん。
 でも、物置においてある様々な道具から、ここに入ったらもうお払い箱なんだと言われ、心配。とうとうヘンリーは・・・。
 ヘンリーの必死な想いが伝わってきます。(hico)

『ブォォーン! クジラじま・ドラゴンまるのぼうけん1』(永井郁子:作 岩崎書店 2003.06.20 1000円)
 ブタのピックとその妹コック、そして天気あての名人バッタのキックがドラドンまるに乗って、冒険に出かけるシリーズ第一作。
 タイトルとうり、クジラの体に入ってしまって、はてさて、どうなるか? がかなりアホ臭く(あ、大阪ではアホ臭くは否定語ではなく、親しみの表現です)描かれていきます。とってもベタでいいのですが、物語にもう少しメリハリが欲しいです。行き当たりばったりでもいいのですが、それならもっとはじけないと。
 シリーズですから、次回を楽しみに。 
 少し気になるのは兄と妹のキャラ設定にジェンダーバイアスが掛かっていること。これは修正しようよ。(hico)

『おたんじょうびのエルンスト』(エリサ・クレヴェン:作・絵 香山美子:訳 学研 1989/2003.05.14 1200円)
 「もしも」が大好きなわにの少年エルンスト。
「もしも、すながチョコレートだったら?」
 なんてことを、いつも考えています。
 次から次へと、「もしも」が拡がって行くのが楽しい。

 あしたは「おたんじょうび」。
「もしも、毎日がおたんじょうびだったら」「それならおたんじょうびはふつうのひになるわ」とおかあさん。
 さあ、いよいよたんじょうび!
 画のカラフルさが好き嫌いの分かれ目。(hico)

『しっぽの国のビビビ』(加藤タカ 文渓堂 2003 1200円)
 しっぽのある者だけが住む国で、ネコのビビビは、ついに「ヨルネコ」の役目が回ってきます。
「ヨルネコ」とは、この国に夜を迎える、重要な仕事。
 それをまかされて、うれしくて、うれしくて、張り切るビビビ。友達みんなに言いまくります。
 さてさて、ビビビは無事「ヨルネコ」の仕事を終えることが出来るのか?
 ページを繰るごとに、しだいに時間が過ぎていく。背景も暗くなっていく。その辺りをドキドキできるように読めれば、子どもも入りやすいでしょうね。
 文字が多いのと、それが読みにくいのが欠点。活字の工夫や色使いに、もう少し工夫がほしい。(hico)

『かあちゃん かいじゅう』(内田麟太郎:作 長谷川義史:絵 ひかりにくに 2003.05 1200円)
 タイトルからしてすでに、なにやらおかしな事態になりそうな予感。表紙絵がまた、おもしろいであろうことを示す。
 で、それを全然うらぎらない。
 どうしても怪獣映画に行きたい「ぼく」と、今日はダメというかあちゃんの、攻防が始まります。
 どうなっていくかはお楽しみとして、小さな3世代家族のそれぞれの個性が、画の隅々まで描き込まれていて、飽きさせない。
 ものすごいオチが待っているわけではありませんがそれがまたいい。暖かくなれます。(hico)

『ぼくと楽器 はくぶつかん』(アンドレア・ホイヤー:絵・文 宮原峠子:訳 カワイ出版 2002/2003.05.01)
 カワイ出版だから、楽器の絵本なんですが、「はくぶつかん」とあるとおり、古今東西の珍しい楽器や歴史的な楽器を次から次へと見せてくれます。
 表紙から見開き、そして内部に至るまで、楽器、楽器、楽器。楽器の辞典のよう。だたし絵本としてつくられていますから、無味乾燥ではありません。
 知らない楽器って、こんなにたくさんあるんですね〜。
 そこから世界の多様さに目を向けることができます。いいです。(hico)

『おおきなきかんしゃ ちいさなきかんしゃ』(マーガレット・ワイズ・ブラウン:文 アート・セイデン:絵 小池昌代:訳 1951/2003.04.30 1600円)
 講談社のクラッシク・コレクションとして出版されました。マーガレット・ワイズ・ブラウンです。
 おおきなきかんしゃとちいさなきかんしゃがともにカラマズーの町からトンブクトゥの町まで走る。ただそれだけが描かれています。
 もちろん、きかんしゃ自体が当時とは違ってもう、ノスタルジックなものなのですが、ちいさなきかんしゃがおおきのに負けずに走っていく様はそれだけで、もうおもしろく、ドキドキできます。詩的な言葉もリズム感よく訳されています。(hico)

『フローラのもうふ』デビ・グリオリ:作 山口文生:やく 評論社 2001/2003 1300円)
 ライナスの毛布、フローラ版です。
 フローーラの毛布が見つからず、家族がそれを一生懸命探す姿が描かれていきます。
 野菜畑まで探すんですから、もう大変。兄姉両親のまじめな顔がいいです。(hico)

『みんなの すきな 学校』(シャロン・クリーチ:文 ハリー・ブリス:絵 長田弘:訳 2001/2003 1600円)
 『めぐりめぐる月』のシャロン・クリーチが文章を書いています。
 みんな学校が大好き。校長先生のキーンさんも学校や学生が大好き。
 な〜んも問題がない。
 かと思うと、そうじゃない。
 キーンさん、生徒や教師ができるだけ多くの時間を学校で過ごすのが幸せだと思ってしまって、土曜日を登校日にし、日曜日を〜。みんなは、キーン校長を好きですから、反対もできず、どうしたもんか。
 笑えます。(hico)

『ねこのフェアリー』(こやま峰子:文 渡辺あきお:絵 スネル博子:英訳 自由国民社 2003.04.10 1600円)
 舞台はジョツジュ・サンドが暮らした村ノアン。
 ここに名だたるアーティストたちがやってきて、インスピレーションを得て作品を生み出していったのです。可哀想なショパンの名作の多くもここで作られています。
 てなことを背景に、猫の「ぼく」が「愛の妖精」と呼ぶフェアリーへの想いと、ノアンの暮らしぶりが、描かれています。
 素朴な村ノアンと猫のラブラブとサンド。
 どっちかって言うと、ノアン村観光ガイド絵本かな。私も行きたくなったもの(行かないけど)。(hico)

『いい ゆめを』(山下明生:作 渡辺三郎:絵 ポプラ社 2003.05 1200円)
 満月の夜、お母さんと男の子と女の子がベランダに。
 それぞれに今日は特別な日。
 月は、世界中のさまざまなものに「おやすみ」を告げます。マンボウ、ネムノキ、キツネ・・・。
 静かな静かな夜。渡辺の画は夜を次々と切り取っていきます。
 それでも眠らない3人は?
 「語り」にぴったりの絵本。でも一人でゆっくり読むのもいいな。(hico)

『まあばあさんの ゆきのひのピクニック』(すとうあさえ:文 織茂恭子:絵 岩崎書店 2002.12 1300円)
 大雪が降った日、お誕生日だったののちゃんはおばあちゃんがお祝いにこれなくなったので、プンプン。そこでまあばあさんがののちゃんをピクニックに誘います。
 まあばあさんに連れ出されて、雪の世界にいろんな発見をしていくののちゃん。それが楽しい。画が活き活きしているからでもあるでしょう。
 最後のオチは、巧いです。(hico)

『デリラ・やんちゃな子ひつじのおはなし』(ジョン・ベーメルマンス・マルシアーノ:作 いしいむつみ:訳 BL出版 2002/2003.04.10 1300円)
 イマドキ、なんだろう? と思うほどシンプルで骨太の画なのがかえって新鮮。
 ページを繰ると、文章も結構詰まっていて、重いです。
 内容も、アイデンティティを巡る物で、ほんとうはキツイ。それを、画が救っているのですよ。
 孤独な農夫が買えたのは、羊としてのできが悪い一匹。農夫は羊にデリラって名前をつける。そうして孤独は癒され、デリラとの楽しい毎日。デリラは仕事の手伝いもよくやるのね。
 案外のことに、デリラの羊毛の質はよく、それで得たお金で農夫は羊を増やす。12匹も買えました。
 かれらはデリラと違って、優秀な羊。羊の羊たる生き方を訓練されている。
 デリラと来たら人間と一緒に寝るわ、手伝いはするわ、で、彼らからすれば羊失格で相手にされない。
 羊になるか、デリラのままで羊から疎外されるか。
 デリラは選択を迫られる。
 重いでしょ。(hico)

『おまえ うまそうだな』(宮西達也:作・絵 ポプラ社 2003.03 1200円)
 血のつながらない父と息子の物語。
 アンキロサウルスの子どもと、ティラノサウルスの大人。ティラノサウルスが食べようとしたら、父親とまちがわれてしまって、仮の父息子をやるはめになったわけ。
 勘違いに乗ってしまうティラノサウルスの表情がユーモラス。いいやつだ。
 「父権」の復活だとか、以前言われましたけど、で、これは一見肉食の強いティラノサウルスは父親で、草食のアンキロサウルスとの関係はそー見えるかもしれないけど、あくまで勘違いによって生じているのをお忘れなく。
 そしてもし、勘違いによってこうした関係を築くことができるなら、そこに可能性を探ってみるのも悪くない。(hico)

『はるになったら』(シャロット・ゾロトウ:文 ガース・ウイリアムズ:絵 おびかゆうこ:訳 徳間書店 1958/2003.04.30 1400円)
 昔の絵本です。
 何度も言ってますように、今ではもう作れない絵本で、今でも読みたい絵本は発掘してくればいいのです。
 姉弟物。
 文は姉のモノローグ。まだ赤ん坊の弟に、自分がこれから体験することをみんな、教えてあげる、という気持ち。
 と同時に、それは彼女が何を弟に伝えたいか、ですから、彼女自身が浮き彫りにされていく段取りです。(hico)

『猿神退治』(那須正幹:文 斉藤吾朗・絵 ポプラ社 2003.05 1200円)
『虫めずる姫君』(森山京:文 村上豊:絵 ポプラ社 2003.05 1200円)
 ポプラ社の新シリーズ「日本の物語絵本」2冊。
 今の子はあんまし知らない今昔などから素材を採っています。昔話ではなく、説話などの辺りにポイント合わせたのが、いい。
 那須、森山のそれぞれの語り口の違いもおもしろいし、文やその物語と画の組み合わせも、楽しみなところ。淡々と語る那須に斉藤の画が強弱をつける。姫のキャラを立てるため、わざと一歩引いた丁寧な語り口の森山に、端々に遊びを載せた、柔らかな村上の画が寄り添う。
 シリーズですから、10冊ほど揃えば、形がはっきり見えてくるでしょうね。(hico)

『キスなんて ごめんだよ!』(エマ・チチェスター・クラーク:さく まつかわ まゆみ:やく 評論社 2001/2003.04.10 1300円)
 ジャングル、おさるのぼくは、キスが大嫌い。みんななんであんなにキスが好きなんだろう。ベタベタして気持ちが悪いのに。
 好きだから、挨拶で、キス・キス・キス。
 特にあかちゃんには、みんな、キス・キス・キス。
「やめなよ!」「いやがってるの、わからないの?」ってぼくは訴えるけど・・・。
 ラストは巧い着地。心地よし。(hico)

『ゆきうさぎのちえ』(手島圭三郎:作 リブリオ出版 2003.04.10 1700円)
 手島の版画はとても静かだ。
 ゆきうさぎが生まれて、独り立ちするまでを、黙って描いている。
 過酷な試練、危機が何度も訪れるが、親も兄弟も消えていく中、たった一匹が
新しい冬を迎える。
 冬の静けさに、月の夜、生き残ったうきうさぎたちの活き活きとした描写で、物語は閉じられる。(hico)

『ハウエルのぼうし』(新月紫紺大:作・絵 講談社 2003.03.25 1600円)
 「ハウエル」と主人公名が付けてあるとおり、無国籍です。
 帽子を脱いではいけない村のハウエル。しかし、帽子を脱いでもOKの町があると聞き、そこに向かうことに。
 寓話です。
 見開きの左に文、右に画。シンプルです。
 画は、文の説明のようでもあるのですが、そこから半歩はみ出した幻想があります。
 寓話ですから寓意は書きません。
 ラスト、左に描かれた一枚は余分だと思う。(hico)

『ジェンダー・フリーって、なあに?』(全3巻 草谷桂子:文 鈴木まもる:絵 大月書店 2003 4800円)
 『ジェンダー・フリーの絵本』全6巻を以前発刊した大月書店の新しいシリーズ。
 今回は理論とかじゃなく、具体的にジェンダー・フリーの絵本を3つ創作している。
 しかもいいのは、ジェンダー・フリーを前面に押し出していないこと。ふつうの物語で、ジェンダーなど気付かない仕上げ方。ただし、各場面で「?」と引っかかってしまうとき、そこがあなたのジェンダー意識なんですね。(hico)

『はじめまして ねこのジンジャー』(シャーロット・ヴォーク:作 小島希里:訳 偕成社 2003/2003 1400円)
 ジンジャーみたいな毛並みのノラ子猫。
 とってもやせっぽち。体中汚れているし。それは、餌探しに必死で、毛並みのお手入れなんて余裕がないから、
 あるとき、テレサって女の子がジンジャーに餌を与えますが、警戒心の強いジンジャーは、、、。
 もう猫好きの人は、買いです。
 別にすんごいことが描かれているわけでもないけれど、画のタッチと同じく、ゆったりとした時間の中で、ジンジャーとテレサの心が通っていく様は、ニコニコしてしまいます。
 難しいテーマがあるでなく、一枚一枚ページを繰る楽しさ。(hico)

『ムンバ星人いただきます』(花くまゆうさく マガジンハウス 2003 1800円)
 これ、もうその強引なムンバ星人に参りながら、堪能。
 この星を調査しに空から降りてきたムンバ星人。
 ばくは彼と一緒に調査にでかけるけど、ムンバの調査の仕方って、知らないそのものになること。だから、たこ焼きみたら、どでかいたこ焼きになってしまうし、ぼくがそれを食べないとその調査は終わらないし・・・・・。
 最後にとても恐ろしいことが待っているのを、ぼくはまだ知らない。
 子どもに大受けでしょう。(hico)

『ピクニックにいこう!』(パット・ハッチンス:作・絵 たなかあきこ:訳 徳間書店 2002/2003.04.30 1400円)
 めんどりとカモとがちょうの3匹が食料もって、ピクニックにいくことに。
 が、なんだかとんちんかん。いつの間にか家に戻ってしまうわ、食料はなくなっているわ。
 そーゆー、抜けている3匹と抜け目ないある3匹の対比で、笑ってやってください。
 ややこしいことなし。画をじっくり観るだけで、笑えます。(hico)

『ヘンリー フィッチバーグへいく』(D.B・ジョウンソン:文・絵 今泉吉晴:訳 福音館書店 2000/2003.04.25 1200円)
 ヘンリーとともだちは、フィッチバーグの町に行こうと約束。48キロの道のり。
 ヘンリーは歩いて行きたいという。ともだちは、バイトして汽車賃稼いで行くという。
 ってことで、ヘンリーの道行きと、その間に友達がいくら稼いだかが、繰り返し描かれます。
 やっぱり歩くのが一番! なんてラストだったら、やだな〜と思いましたが、作者は巧いラストに着地しました。
 画はいささか奇妙なタッチで、それが印象的です。(hico)

『ななしの ごんべさん』(田島征彦・吉村敬子:作 童心社 2003)
 田島・吉村コンビの2作目。今回は、戦争時代子どもだった田島と、身体障害者の吉村、二人の体験を重ね合わせ、戦争における子どもの日常風景を描いている。障害者の女の子と、絵の上手な双子の男の子のユーモラスな会話、その日々。
 しかし戦争の陰は迫り、ラストの場面へと突入します。
 田島の画は、暮らしが山から島へ移ってから少し変わってきていて、風景にいい陽がさしているのですが、今作ではそうした風景と、荒々しい筆遣いと色遣いが入り混じって、スピードと奥行きを与えている。
 戦争物(敗戦物)は、な〜、って方にも結構読ませるとおもいますよ。(hico)

『よっぱらった ゆうれい』(岩崎京子:文 村上豊:画 教育画劇 2003.05.13)
 教育画劇の日本の民話シリーズ、第一弾。
 民話じゃなく古典落語ですが、古典落語まで視野に入れてしまうのは、案外、正解かもしれません。
 今作は「応挙のゆうれい」を素材にしています。
 岩崎の文はへたに民話風にせず、ストレートに書かれているので、これもヘンなフィルターが掛からず正解。
 そしてなにより、村上の画の良いこと! いつもの村上のタッチですが、この物語とピタリ。(hico)

『ピパルクとイルカたち』(ジョン・ヒンメルマン:作 はねだせつこ:訳 岩崎書店 2002/2003.05.20 1300円)
 ソ連の東端、氷に閉じこめられたイルカたち。
 村人たちは、必死で氷を割り、助けようとするのですが、なかなか進みません。
 ようやく政府が動き、砕氷船が向かいます。そうして、氷は破壊され、海への道ができたのですが、イルカたちは船をおそれてか、動きません。
 寒い寒い場所なんですが、画は暖かく、この実話をうまく伝えてくれています。(hico)

【創作】
●幼年物
「コブタくんとコヤギさんのおはなし」(ヴァーツラフ・チトゥヴルテック作 関沢明子訳 にしむらあつこ絵 福音館書店 2002/2003.4)
 コブタくんとコヤギさんがまきおこすおかしな毎日があまりにものんびりとうらやましい。作家紹介をみると1947年ごろに書かれ、雑誌に連載されていたとあり、時代のもつゆとりを身にまとったお話だったのだなとわかった。コブタくんはちゃっかりしていて、コヤギさんはしっかり者のようでちょっとぬけている。絵がちょっぴりラダを思わせて、チェコっぽくてうれしかったです。
 小さなお話5話の中でわたしのすきなのは2人があげパンを作るお話。あげパンがトゥラララトゥラララと油の中で歌い始めたら出来上がり!とか、コブタくんがつまんだあげパンをアチチと飛ばしてしまってとんでいっちゃったところとか、何でもない話なのだけれどふふふっと笑ってしまうのですもの。
 お話はどれも短く、寝る前に「読んで!」ともってこられても、心ゆったりと読んであげられました。おもしろくて一つで済まなくなって、1冊読むはめになる時も。


「2年2組はいく先生 松井ばしょうくん」(那須正幹作 はたこうしろう絵 ポプラ社 2003.5)
 「2年1組ムシはかせ」に続く2年生シリーズ第2弾。子どもたちの日常からちょっとプラスαの生活を提案をするやり方がいつもながらうまいなあと思う。今回は2年生ではまだなじみがないと思われる俳句のしくみを作り方や季語、切れ字など豆知識コラムを多用しながら説明し、なおかつ主人公の男の子の女の子に対する心の揺れをきちんとすくい取ったお話にしている。だんだん男の子の俳句がうまくなっていくのもにくい。そうねえ、2年生にしては男の子たちがしっかりしてるなというところが気になりましたが。(1,2年生」の男の子は半分幼稚園児みたいなものだから、この本の書き方だと3.4年生くらいに読めてしまった)
こういうハウ・ツー+読物って楽しくて、自分もやってみようとすぐ思ってしまうみたい。家でも指折り数えながら、何かもしょもしょ作っていましたよ。こういう原動力を持つ本をもっと学校で活用してほしいなあ。
学校の先生にぜひぜひ読んでもらいたいです。(以上ほそえ)

『13ヶ月と13週と13日と満月の夜』(アレックス・シアラー:著 金原瑞人:訳 求龍社 2002/2003.05.26 1200円)
 『青空の向こう』でクリーヒットしたシアラーの新訳。この間にPHPから『魔法があるなら』が出ています。
 今回も読者モニターに先読みさせて、その感想を帯に、という方法をとっています。カバーは透明で、そこにタイトルがプリントされ、カバーをはずすと表紙には文字がない、という造り。出版社の売る気が伝わってくる。
 主人公は平凡な生活を送っている、13歳。赤い髪の毛とソバカスを気にはしているが、問題を抱えているわけでもない。
 ある日、転校生、メレディスが現れる。彼女は誰とも友達になる気はないらしい。でも、気になるカーリー。親友が欲しいカーリーは無駄と知りつつメレディスにアタック。
 メレディスによると、彼女は孤児で、いつも学校に連れてきてくれすおばあさんが引き取ってくれた。
 でも、カーリーが観ているとメレディスはあばあさんを召使いのように扱っている。
 カーリーはあぼあさんから、信じられない話を聞いてしまう。実は自分がメレディスで、、魔女が彼女と体を入れ替えたのだと。
 さて、カーリーはどうするのか?
 どんな危機でもあきらめない、真っ当な児童書。
 巧みな作家だから、読ませます。
 が、もう一皮むけたところがみたい。(hico)

『チェンジリング・チャイルド』(ジュリー・ハーン:著 海後礼子:訳 ソニーマガジンズ 2003/2003.04.30 2200円)
 トムは、母親とともに、おばあちゃんの家にやってくる。場所はロンドン、セントポール寺院の近く。母親はガンを煩っていて、乳房を切除している。けれどそんなことにめげてはいない。母親とおばあちゃんの関係は巧くいってなく、できれはその修復をしたいと母親が考えているのも、やってきた理由。
 トムの目的は、2歳の頃、この家の地下室での体験した不思議を調べること。地下室の床は夜になると破れ、その奥にはフリークな人々が居る、17世紀の地下室へとタイムトリップできるのだ。彼らは悪徳な旦那によって見せ物として使われている。17世紀の地下室ではトムは透明になってしまい、彼自身が怪物とよばれてしまう。
 こうして、21世紀に起こる、おばあちゃんと母親の物語と、17世紀の冒険が平行して語られていく。もちろん両者はどこかで結びついてはいるのだが、それはないしょ。
 17世紀ロンドンの風景が細かく描かれ、フリークたちのそれぞれが抱えている問題も描かれキャラは立ってます。トムは彼ら、とくに「チェンジリング・チャイルド」として見せ物にも、そして娼婦にもされているアストラを救おうと賢明になるけれど、なかなかうまくいかない。解剖学のために、フリークな死体を求めるドクターなども登場して、17世紀ロンドンの暗部が浮上してくる。
 一方の21世紀は、おばあちゃんと母親と、その間に立つトムとの微妙な関係が描かれ、ま、トムは17世紀の悩みと21世紀のそれを抱えて大変なんですが、がんばってます。大人たちの問題を子どもがフォローするという、90年代以降の子ども像ですね。(hico)

『となりのジュリエット』(薫くみこ:作 2002.12 900円)
 何ほどの波瀾万丈もなく進む時間の中で健太郎と樹里の交流が、ポツポツとつづられていて、それがリアル。
 もう少し書き込めば、できのいい長編になるのでしょうが、ここで止めておくのは正解だと思います。
 二人の子どもの風景、ただそれだけ、なのが、とても大切に思います。
 樹里のキャラ、とても立ってるし。(hico)

『いぬうえくんのおきゃくさま』(きたやま ゆうこ:作 あかね書房 2003.05.10 1100円)
 きたやまだから、物語のタッチは誰もがご存じだと思います。
 シリーズ3作目の今作もそこからはみ出していません。
 いぬうえくんにおきゃくさまがくるということで、彼と同居している(というか、いぬうえくんが間借りしている)熊のくまざわくんは、いぬうえくんのためにも、ちゃんとした接待をしようと賢明です。
 お客がどんな動物かも判らないまま。
 きたやまの画はスムーズで、なんの違和感もなく読めます。
 無事に終えて「ホッ!」という気持ちが人間にはあることを幼年に伝えようとしています。成功しているかはともかく、このアプローチはいいぞ。(hico)

『三日月ジョリー』(竹下文子:作 鈴木まもり:絵 岩崎書店 2003.04 1200円)
 海の特急便屋テールのシリーズ2作目。
 今回は、兄を探しているルキって女の子と出会う。放浪の旅のこの子、ある財布を盗みんでしまう。叱ってテールが預かるが、その中にある写真の母子。先日ある島のおばあちゃんから、遠くの島に居る息子へのクッキィを届けたのだが、届け先は評判の良くない黒丸紹介だった。そして、財布に入っていた写真の母親は、若き日のおばあちゃんに間違いなかった。
 ルキの行く末、謎と陰謀が、ほどよくブレンドされています。
 テールのキャラがしっかり立っているのがこのシリーズの強み。(hico)

『ごっとんクリスマス』(越水利江子:さく 渡辺有一:え 新日本出版 2002 1200円)
 あやちゃんとそうへいくんシリーズ3作目。
 クリスマスツリーの飾り付けで大忙しのあやちゃんとそうへいくん。でもけんかになってしまって、おじいちゃんと一緒にジュースを買いに行く。
 買ったジュースを積もった雪に穴を掘って、埋める。
 さてさて、飲むもうと探したら、掘っても掘ってもない。代わりにいろんな物が出てきて、生きているマンモスまで・・・。そりゃもう大騒ぎ。
 こうしてクリスマスならぬ、カーニバルのノリで物語は進んで行きます。
 テンポ、言葉のリズムで読ませていきます。(hico)

『ぼくらは 月夜に 鬼と舞う』(藤沢呼宇:作 岩崎書店 2003.04.30 1200円)
 第一回、ジュニア冒険小説大賞作品。
 中身は、ライト・ノヴェルズですが、「ジュニア」とあるように、まだライト・ノヴェルズを読むにはスキルが足らない年齢層向けの作品です。
 著者略歴を見る限りでは、もう少し作品の深度を上げられると思いますが、デビュー作だから、これでもOKにしときます。次作から、スキル全開してくださいませ。
 とかいたように、物語は単純。つまらないという意味ではありません。読書の一手段である、一時現実から退避することができる面白さがあります。
 ゲームで、たとえば『メガテン』(という略語がわからない人は、このゲームをプレイしてないだけですから、気にしないでくださいませ。)を体験している人には、新しい物語ではないでしょう。
 が、ここには『メガテン』にはない、受験戦争で苦しむ子どもがでてきます。そこら辺りのリアルさと、荒唐無稽さを併せ持つという意味で、この作者は、なかなかなものです。
 でも、タイトルは疑問。読者をキャッチするためには、もう少し工夫しようよ。(hico)

『虫たちは どこへいくのか・クリコニマチョウがおしえてくれたこと』(岸一広:著 ポプラ社 2003)
 時期ものとしては少し速いですが、「蝶おたく」の岸さんがまとめた記録集です。
 調べ学習とかには、文章が多すぎて、引くかもしれませんが、そこを少し我慢して読み進めると、おもしろいよ!(hico)

『ふたりのさっちゃん』(福田岩織:作・絵 文研出版 2003.04.26 1200円)
 新小学一年生で、引っ込み思案のさっちゃんは、クラスでともだちもできない。ついには学校に行けなくなる。けれど、お兄ちゃんが・・・。
 学校で孤独なさっちゃんは、マンガの中で明るく遊ぶ自分を描いているのですが、それが最終的に、クラスにとけ込むきっかけになる。つまりふたりのなっちゃんが一人になる。
 小さな物語ですが、シンパシー感じる子どもは結構いると思う。(hico)

『冥界伝説・たかむらの井戸』(たつみや章 あかね書房 2003 1200円)
 小野篁の伝説と、主人公が夏に訪れたおじさんチの井戸がからんで、一夏の冒険が始まります。
 たつみや章らしく、物語は破綻なく、意外性もさしてなく、ほどよいテンポで、快調に進みます。
 ネタバレしてしまうとしょーうがないタイプですので、ヒントも書きませんね。
 つくづく考えてしまうのは、このレベルの物語がたくさんで出てくれれば、児童書出版界は豊かになるのです。(hico)

『はばたけ! るすばんヒーロー』(河野礼子:作 ふりやかよこ:絵 文研出版 2003.05.20 1200円)
 夫婦ゲンカのままニューヨークに単身赴任した父親。編集者である母親はもちろん仕事をすてられません。出張が多いので、祥太は一人が多い。隣の猫大関(太っているのね)と仲良しなので少し気が晴れます。飼っている和美さんは夫が数年前に蒸発してます。
 両親のことが気がかりな祥太。父親からはメールが届くけれど、返事がなかなかだせませんん。
 大けがをした和美さんの夫から連絡が入り、和美さんは鹿児島へ。
 で、夫を本当にまだ愛していると判った和美さん。それを聞いて祥太も、ちゃんと話しなくちゃと祥太は両親に悩みを打ち明ける。
 のですが、和美さんがなんで蒸発した夫と再会したとたん愛情が確認できるのが、よくわかりません。それがきっかけで祥太くんは離婚不安を打ち明けるのですから、ここがちゃんと書けてないと、この部分もリアリティなしです。
 そうした曖昧さからか、『はばたけ! るすばんヒーロー』なんてわけのわからないタイトルがつけられてしまいます。もう少し練り込んで欲しいです。(hico)

『ポップコーンの魔法』(たかどの ほうこ」作 千葉史子:絵 あかね書房 2003)
 暖かい、物語です。
 花子はクラスでも目立たない女の子なんですが、心の中では「ハンナ」って名前の、すらりとした美少女。ピアノの練習でか『ポップコーン』って課題曲が巧く弾けません。そんな花子にピアノの先生はとうもろこしをくれます。家でポップコーンを作ってみたら、きっと弾けるようになりますよ。と。
 公園、ブランコ、お決まりのシートにのって漕いでいると、いつのまにかハンナになっている花子。
 ここから小さなファンタジーがスタート。カメリアって子と出会います。
 心と心の通うあう過程が、さわやか。
 このレベルの物語が欲しい。(hico)

『ジュウベエとあたし 犯人を追う』(川越文子:文 夏目尚吾:絵 文研出版 2002.09.30 1200円)
 耳はたれ、がに股の犬ジュウベエ。でもあたしはダイスキ。
 ある日、白いバンに轢かれそうになったあたしを救ってくれたジュウベエが、はねとばされる。
 重態のジュウベイ。でもその心があたしの中に入ってくる。
 あたしとジュウベイの犯人探しが始まった。
 あたしとジュウベイの絆が、好感度高い。
 表紙はベタ。もう少し工夫を。(hico)

【評論】
『クララは歩かなくてはいけないの? 少女小説にみる死と障害と治癒』 ロイス・キース 藤田真利子訳 明石書店 2003年4月

 副題のとおり、『若草物語』『すてきなケティ』『ハイジ』『少女ポリアンナ』など、少女小説・家庭小説を中心とした子どもの文学を、身体的な障害の点から論じている。目次は、次の通り。

 第一章:罰と憐れみ;障害、病、治癒のイメージとその提示
 第二章:『ジェイン・エア』と『若草物語』の臨終場面;生きていくには善良すぎる
 第三章:『すてきなケティ』スーザン・クーリッジ;申し分のないよい子になること
 第四章:『ハイジ』のクララと『秘密の花園』のコリン;奇跡的治癒
 第五章:『少女ポリアンナ』と『ポリアンナの青春』;障害、階級、ジェンダーの研究 第六章:『リバーハウスの虹』エセル・ターナー;混乱、挑戦、死
 第七章:作家が次にしたこと;二十世紀後半の障害者の描写

 原題のTake Up Thy Bed and Walk(「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」)という新約聖書のイエズスの言葉には、きれいに治癒されるべき、克服されるべき欠点としての身体的障害、という見方が強くあらわれている。そして、西欧文化の体制内で形成されてきた少女小説には、その見方がたしかに引き継がれ、障害・死・治癒が、現実の病理の妥当性とは関係なく、象徴的に扱われている。
 『すてきなケティ』では、脊髄損傷の麻痺は、主人公ケティの克服されるべき性格上の欠点(やんちゃ、癇癪など)と結びつく。言いつけを守らずにブランコに乗ったせいで事故に遭い、背骨を傷めたケティは、思春期に数年間も忍耐強くベッドに横たわり、家政を仕切ることを学ぶ。共同体が求める家庭の天使としての役割を果たして、女性らしい気遣いができるようになると、障害も取り除かれる。
『若草物語』の病弱なベスが、たくましく野心家の姉ジョーの支えとなったように、「障害者でない登場人物が成長し学ぶための十分な余地を残しておくために、(彼女たちは)控えめでいなくてはならない」(p.78)場合もある。その控えめさゆえに、彼女たちは、死ななければならないこともある。
 『ハイジ』では、車椅子は、都会で寂しく暮らす少女クララの檻である。アルムの山々の自然や善良な子ハイジと触れ合うことにより、枷である車椅子は谷底へ打ち捨てられ、クララは依存状態を克服して「立ち上がる」。ここで、自然が、障害を治癒する場としてロマンティックに機能しているという論も、うなずける。
 英米の19世紀の少女小説は、研究分野でもおなじみで、ジェンダー論、おとぎ話、フェミニズムなど様々なな論点から読み解かれてきたが、身体的障害からの読み直しは、新鮮だった。回復と治癒が、現実の身体的障害のありようや治癒可能性、医学的論拠とはまったく無縁に、比ゆとして用いられていること。また、精神性と身体性を表裏一体に結びつける子どもの文学の手法の一つの面が、本書では明らかにされている。
 現代の作品を取り上げた七章は、さらに発展した研究になっていくと思う。20世紀後半の物語では、身体的な障害を持つ人物が、主にアウトサイダーや脇役として登場する。主人公になる場合は、19世紀の少女小説のように必ずしも劇的な治癒があるわけではないが、それでも、そのハンディキャップをいかに自己の中に統合し、ワンランクアップするかに主眼が置かれるようである。
 キースは、エスニック・マイノリティ(特にアフリカ系アメリカ人)とハンディキャップを持つ人とを類比して考え、その「側」にある声をどう届けるか、という点での共通性を見出している。出自やハンディキャップなど、マイノリティの諸要素を同列に論じていくことは、それ自体が、主流にある側の傲慢になりかねないため、この意見に対しては、私は懐疑的である。
 もうひとつ、ここでは取り上げられていない『ぼくはレース場の持ち主だ!』(ライトソン)や『奇跡の子』(ディック・キング=スミス)などで、逆に、障害をもつ子どものイノセンスや善良性をすくいあげられていることには、それ自体に、新たな意味を持たせる(=差別化する)という点で、従来と同じまなざしが、実は脈々と受け継がれているのではないかということも、直観的に感じる。
 子どもの文学を、障害に限らず、主流でない側の描き方を見直すことで再読する試みは、これからも広がっていくはずであり、その方法の参考にするのにも実用的な一冊である。(鈴木宏枝)


『日本児童文学史の諸相 試論・解題稿』 宮崎芳彦監修 日本児童文学史研究プロジェクト 白百合女子大学児童文化研究センター 2003年4月
 
 4年間にわたるプロジェクトによって、時系列・社会派作品の正典だけに傾くことのない、新たな「児童文学史」の構築が試みられた。7人の執筆者が、各分野を担当。「児童文学研究史」「少女小説史研究」「幼年文学史研究」「現代絵本史研究」「大正期童謡史研究」「現代児童演劇史研究」「現代読者論史研究」の七項目から、多面的に、子どもの文学・文化史が捉えられている。
 それぞれの章では、必ずしも児童文学研究領域内で出されたものではない論文・資料も丹念に収集して、全体像を概説した上で、重要論文・文献に解題をつけ、内容や意義を分かりやすく読み解いて示している。幼年文学のように、重要とされながら、なかなか手がつけられてこなかった分野や、また、読者論のように英米児童文学研究ともつながって発展していく分野など、「立て方」じたいがひとつの方法として新鮮な日本児童文学史研究である。
 書物、雑誌、紀要などから幅広く収集され、解題をつけられている論文を分類し、重要度を見抜く目は、複数のメンバーの中で鍛えられたものであると思うし、その多面性がまた、正典一本だけで形作られるのではない、子どもの文学/子どもの文学研究の領域とつながる。
 とても刺激的な分厚さ。さらに、プロジェクトは続くようで、今後も楽しみである。(鈴木宏枝)